第31話 神様からの褒章

 フラミィはルグ・ルグ婆さんの言葉に驚いて、自分の左足の親指に恐る恐る触れてみた。

 すると、今までとは違うしっかりした感触があった。右足の親指と同じ感触だ。

 フラミィは恐る恐る立ち上がり、ルグ・ルグ婆さんの顔を見た。

 ルグ・ルグ婆さんは両手で何か掬う様な仕草をして、フラミィの次の行動を促した。

 フラミィはそっと右足を上げ、左足で小さく跳ねた。すぐにカヌーの底に着地する。

 カヌーが垂直にちゃぷんと揺れて、パッと周りに夜光虫が輝いた。

 不安定なカヌーの底につけた左足は、グラグラしなかった。

 青白い光に下から照らされて、右足を上げたままフラミィはルグ・ルグ婆さんを見た。

「グラグラしないわ。カヌーが揺れているのに」

 ルグ・ルグ婆さんはうんうん頷いて、目をキラキラさせてフラミィに言った。

『骨があるんだもの』

「わー!?」

 フラミィが大声を上げルグ・ルグ婆さんに抱き着いた。ルグ・ルグ婆さんも『キャーッ』と歓声を上げてフラミィを抱きしめ返した。そして二人は、グラグラ揺れる小さなカヌーの上で揃って右足を高く上げ、海面に映る姿を見た。フラミィは左足を軸にして立っている自分の姿を見て胸を高鳴らせた。夢みたいな気分だった。

『さぁ、海の神様に挨拶をしてごらんよ』

 ルグ・ルグ婆さんの言葉に頷いて、フラミィは両手を上げる。しなやかで初々しい自己紹介の踊りから、神様へ呼び掛ける踊りをカヌーがひっくり返らない様に踊った。物凄く踊りやすくて感動した。

 けれども、折角上手に踊れているのに海の神様は現れてはくれなかった。

『やっぱり人間の前にはそうそう出てこないねえ』

 ルグ・ルグ婆さんが呟いて、唸った。

『ワラだって、身体をくれるってんじゃなきゃ、アターの前に現れたりしなかったからね』

「そんな。神様たちは、私達人間に全部を与える為にいるって言ったじゃない。味方じゃないの?」

『味方だよ。ワラ達神々はアターらを愛すように出来てんの。だからこそ、本来は個人的に付き合っちゃダメなんだよ』

「どうして?」

『そりゃあ、だって絶対に好』ルグ・ルグ婆さんは何か言い掛けて、慌てた様子でグッと黙り込んだ。そして、フラミィの呼びかけに応えずにいる海の神は正しい、と心底思った。

 神々は人間との接触を極力避けるものなのだ。『この人間の頼みなら』となってしまうのを避ける為に。それは、神々が唯一嵌ってしまう罠の様なものだった。

 ルグ・ルグ婆さんは皺しわの口を、ぎゅっとへの字に歪めた。しかし、いけないと思いつつも、目の前の娘を助けてやりたいという気持ちが拭いきれない。 

 だからルグ・ルグ婆さんは心の中で言い訳をした。

この娘はワラに身体をくれるんだから。アドバイスくらいしたって良いじゃないか。

『ごほんっ、でもまぁ、まだ手はあるよ』

「なになに?」

『アターは神様から褒章を頂いてんだろ』

 え、と、声を上げて、フラミィは首を傾げた。

「ほうしょう? それはなに?」

『良い事をしたご褒美さ。アターを守る御守りだよ』

「そ、そんな凄いもの持ってないよ。神様とお会いした事もない」

『いーや、持ってるね。アターのネックレスで揺れてるじゃない』

「ええ!? ど、どれ?」

 フラミィがタロタロに貰ったネックレスを持ち上げて見せると、ルグ・ルグ婆さんは、ネックレスの飾りとして揺れている羽を指差した。タロタロが拾ったという青い羽じゃない方の、怪我をしたクワクワ鳥から貰った白い羽だった。あれから、フラミィは貰った羽をネックレスの飾りの一つにしていたのだ。

「こ、これ? でも、これはクワクワ鳥がくれたんだよ、神様じゃない」

『アターは神様がどんなお姿をしているか知ってンの?』

 知らない。フラミィは首を振り、それから思い当たった。

「そういえば、『ありがと』って、喋ったわ」

『うんうん、神様だからね。ただのクワクワ鳥は喋れない』

「神様だったの」

 フラミィは驚いて、クワクワ鳥の真っ白な羽をしげしげと眺めた。

 ルグ・ルグ婆さんは頷いて、萎びた指で羽を一撫ですると手を合わせた。

『褒章を持つ娘なら海の神も無視できまい。見せておやりよ。褒章をもってんだぞってサ』

 そう言われて、フラミィは海へ羽を掲げ、もう一度踊りで呼び掛けた。

『海の神様、お願いします。神様の羽を持つ私の前にお姿を現してください』

『うまいね、うまい。流石だよ、親指の骨がいい仕事してる!』

 ルグ・ルグ婆さんが、景気づけにフラミィの踊りに手を叩いてみせた。

 そうしていると、ぬぅーっと海底から大きなクジラが現れてフラミィの目の前に顔を出した。礁原で骨を探していた時に、フラミィを助けてくれたクジラだ。そのクジラの上に、フジツボだらけの小さな女の子がちょこんと行儀よく座っていた。

 ルグ・ルグ婆さんが嬉しそうにくるんと宙返りし、フラミィに小さな声で耳打ちした。

『海の神だ。幼女の姿をしているけど、とんでもなくババアだから、気を付けるんだよ!』

 フラミィは頷いて喉を鳴らすと、カヌーの底に正座をして頭を下げた。

「海の神様、はじめまして。フラミィと申します」

 くぱぁ、と難儀そうに女の子の口が開いた。魚の口みたいだった。良く見ると、丸い口の両側に一本ずつ髭がふわふわと揺れている。女の子は泡が弾ける様々な音階を奇妙な声にして喋った。

『フラミィ。悪戯に神の褒章を使うでない。それは天界への通行証ぞ』

「すみません、どうしてもお会いしたかったのです! 私の幼馴染がこの辺りで起きた大波にさらわれてしまいました。行方をご存じないでしょうか?」

『ああなんじゃ、その事か』

 女の子のフジツボだらけの顔に二つ、切れ目が入り開いた。銀色の目だ。その目玉が瞼を動かしながらくるりと回り、瞬きをした。フラミィは、海の神様がどことなくホッとしている様子なのが気になった。

『五人呑んだ。四人は既に死んでおったぞ』

「あの、生きてる男の子です! どこにいますか!?」

『わらわは「呑んだ」と言ったろう。今頃海の底じゃ』

 フラミィは愕然として、口を手で覆った。けれども希望を捨てず、カヌーのへりにしっかり掴まって身を乗り出した。

「そんな、酷いわ」

『なんじゃ、あのまま島付近に漂わせておけば良かったかの? 他の危険な者共の目印にならぬようにしてやっというのに』

 どうやら、海の神様は島付近の海を守る為に飛行機を「呑んで」くれたらしかった。

 きっとタロタロは飛行機の翼の破片にくっついていたから、巻き込まれてしまったのだ。

「酷い、酷い! 手違いだわ。お願いします、タロタロを返して下さい。せめて波の行きついた場所だけでも教えていただけませんか? タロタロは泳ぎが上手ですし、強い子です。まだ諦める状態じゃないと私は思っています」

 フラミィが喘ぎ喘ぎ懇願すると、海の神様はにゅるんと腕を組んだ。フジツボだらけの腕は、タコの足みたいで、指が無かった。

 海の神様は目を閉じて、魚の様な唇を歪めた。

『ハッキリ教えてやらねばいかぬようじゃの。フラミィ、残念じゃが、子供の命は消えた。ついさっきじゃ。外洋の底に連なる山々の影に沈んだ』

「うそ」

 フラミィは身体中の力が抜けて、ドサッとカヌーの底に尻もちをついた。

 神同士の意思疎通は出来ないものの、フラミィの様子で察したんだろう、ルグルグ婆さんが悲しそうな顔をしてフラミィを支えた。 

『フラミィ、こうなっっちゃ仕方がないよ』

 ルグ・ルグ婆さんがそう言うと、フラミィは激しく首を振ってカヌーから身を乗り出した。

「海の神様は、島の子供の見分けがつかなかったのですか! タロタロは子供の歯が全部抜けたばかりです! 漁にだって最近連れて行ってもらえるようになったばかりで、これから大人になって島の皆に魚をたくさんもたらすはずだったのに、どうして命を奪ったの!?」

 何かの罰ならまだ納得も出来るけれど、タロタロは巻き込まれてしまっただけだ。だから、フラミィはどうしても海の神様を責めずにいられなかった。

 海の神様は閉じた瞼をピクピクと痙攣させて言った。

『運命じゃ、居合わせた運命』

「運命!? 張本人が運命なんて言うのおかしいわ!」

 フラミィは怒ってカヌーから身を乗り出し、今にも海の神様へ飛び掛かろうとしたが、ルグ・ルグ婆さんに止められてしまった。それでもフラミィは海面を無茶苦茶に叩いた。

『フラミィお止め! 海の神は島の為に早急に飛行機を海へ消してくれたんだ。悪いのは、ワラだ。漁に出てる者らの方へ飛行機をやっちまたからね。ワラのせいさ、ごめんよ、ごめんよフラミィ』

 フラミィは自分にしがみ付き、萎れて震える老婆を力なく見て、ぽろりと涙を零した。

 ルグ・ルグ婆さんにこんな風に謝られると、悲しみが勝って怒りが和らいだ。

 海の神様もルグ・ルグ婆さんも、タロタロを失う原因を作ったのは同じであるのに、この老婆の女神だけを悪く思えない不思議さに、神様達が人間と個人的に仲良くならない様にしている理由がなんとなく分かる様な気がした。神と人との間には、個人的な気持ちを優先させてはいけないシーンが多すぎる。

「ルグ・ルグ婆さん、私どうしたらいいの? あの子は、寂しい海底から島へ戻れないの?」

『踊っておやり、島はこちらだよ、と』

 ネーネ、どこ? と、元気な声がフラミィの心の中で木霊する。

 フラミィは腕で涙を拭って、立ち上がった。

 海の神様が潮の流れを作って、カヌーを島の方向へ流し始めた。

 フラミィが踊り始め、ルグ・ルグ婆さんも一緒に踊ってくれた。

『おいで、島の子 ネーネはここよ』

『島へ連れてったげる』

 フラミィの胸で、タロタロがくれたネックレスが揺れて夜光虫の光にキラキラ輝いた。

 カヌーは青白い光に乗って島へと真っ直ぐ進み、やがて島の浜辺へ乗り上げた。

 フラミィは踊るのを止めて、カヌーから降り砂浜に突っ伏しネックレスを胸に抱いた。赤ん坊の頃から可愛がっていた、風の様に駆け回るタロタロを諦めきれなかった。

「私が呼べば、すぐに飛んで来たのに。身体の一部を失ったみたい。タロタロのパパとママに、なんて伝えたら良いの? これからどんな気持ちで生きれば良いの? 私もタロタロの所へ行きたいわ」

『フラミィ! そんな事言うんじゃないよ、行きたく無くても行く事になった者達が怒って、本当にアターを連れてっちまうよ』

「良いよ、連れて行けば良いよ! そうだ、ルグ・ルグ婆さん、今ここで身体を差し上げます。私、もう足の骨があるよ! そうよ、そういう話だったじゃない」

『フラミィ、でも、今のアターにはこれっぽちも踊りたいという願いが無いよ』

 ルグ・ルグ婆さんはそう言って胸を痛めた。目の前で打ちひしがれる娘よりも強くこの胸が痛み、代りにこの娘の痛みが軽くなれば良いのに。彼女は、若い身体を手に入れたいと思うより強く、そう思った。

 こうしてフラミィとルグ・ルグ婆さん二人が悲観に暮れていると、二人を浜に送った海の神が声を掛けて来た。 

『のぅフラミィ、ワラワは神に用事があり、今から会おうと思う。そなたも会ってみてはどうか』

「え? そんな事が出来るのですか? 神様に会えますか?」

『そなたは褒章を持っておる故、可能だろうと思うのじゃ。そなたを見ていると、数多の死を見てきたワラワでも辛い。残された者の涙ほどワラワの胸を抉るものもそうないのじゃ』

 海の神様も、なんだかんだ神様だ。フラミィの事を気にしてしまっている。

 フラミィは海の神様の言葉を最後まで聞かずに胸を高鳴らせていた。

 もしも会えるのなら、タロタロが海に沈んでしまった事は間違いだ、と、訴える事が出来るかも知れない。もしかしたら、ご慈悲をくださるかも!

 目を輝かせたフラミィに、ルグ・ルグ婆さんが訝しんだ。

『なんだい? 海の神は、なんて言ってんだい?』

「私を、神様に会わせてくださるって!」

 ルグ・ルグ婆さんはそれを聞いて、目を見開いた。そして、ちょっと白けた様子で目を細めた。上手くいきっこない、神様だって、人の命を蘇らせたりはしないだろう、という胸中が、表情にありありと出ていた。

『ふぅむ、神様に直談判するってのかい?』

「うん! タロタロの死は間違いだもの!」

『ダメモトってヤツだね。でも、それでアターの気が済むならやってみると良いよ』

 海の神様がフラミィに頷いて見せ、言った。

『踊りの女神に、神との交信を頼みたい。ワラワが浜辺でそうすると、津波を起こしてしまうでの』

 フラミィがそれをルグ・ルグ婆さんに伝えると、ルグ・ルグ婆さんは『仕方ないねぇ!』と言って踊り始めた。

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