第25話 私は謝らない
フラミィが与えた花の蜜を、パーシヴァルは上手く飲み込めたみたいだ。
パーシヴァルは土気色だった顔に血色を取り戻し、唇から穏やかな吐息を漏らした。
フラミィはそれを見届けると、彼の髪を指で梳き、涙を一粒零して微笑んだ。
さらさらしたあなたの髪、波に濡れた夕暮れの砂浜みたいな色をしている。
けれどこれから開く瞳は真昼の
水中では、お日様の光の縞が踊っている。煌めきの中を滑らかに泳ぐのは、強くて美しい棘のある魚。
フラミィは立ち上がり、不審そうに自分を見ているエピリカへと振り返った。
エピリカの頬は、フラミィに叩かれたところが赤くなっている。しかし、彼女は全く堪えていない顔だ。目を細めてフラミィを見上げ、「なによ」と言った。
フラミィはグッと足に力を入れた。
部屋に敷かれたヤシ織りマットの頑丈な踏み心地に勇気づけられながら、フラミィは言った。声が震えない様に気を付けた。
「あなたは私に謝らないのね?」
エピリカの目が更に細くなった。薄い隙間から覗く鋭い光が、フラミィを射す。
「謝らないわ」
「エピリカ!」
オジーがエピリカをたしなめる様に彼女の名を呼んだ。
エピリカはオジーを一瞥して立ち上がった。
「言ったでしょう? 私は後悔していない。あなたは邪魔だわ、凄く。波の様に順番にするターン、円陣を描いて飛ぶ跳躍、ステップで鳴らすリズム、あなたがいると、全部揃わない。笑い処じゃないところで誰かが何処かで笑っている事に、あなたは気付かない。何度教えても出来ない。何度教えても! それなのに仲間がうんざりしていても、あなたは楽し気で―――」
「エピリカ! 止めなさい!!」
「オジーだって、そう思っていたからフラミィを辞めさせたのでしょう? 他の踊り子が同じ失敗をしても、辞める事を勧めるまでにはならなかったのじゃなくて!?」
オジーはグッと黙って、目を閉じた。
「儂は、島の為に……」
「私もです!! 大きな島から空港が出来たと招かれた事を覚えていまして? あの大きな島は、余所者に島を乗っ取られてしまった。長老や、歌の女神に歌を捧げる歌うたい達の顔を見て、オジーは何も思わなかったと言うのでしょうか」
エピリカはオジーに答えさせる為に一旦言葉を切って、待った。
しかし、オジーは肩を落として答えなかった。
きっと大きな島の人達の事を思い出しているのだろう。
エピリカは眉間に皺を寄せ、絞り出す様に言った。
「幸せそうに見えなかった」
訴える様に顔を覗き込むエピリカに、何度も頷き返して、オジーは辛そうに目を閉じる。
外で騒ぐスコールの音に、掻き消されそうな声でオジーは答えた。
「捧げる歌に、何か問題があったのでは、と、思うのだね」
フラミィは息を飲み、手で口を覆った。
「――――そんな」
エピリカは厳しい目でフラミィを見据えた。
「安心しなさい。憶測よ。でも、私は恐ろしくなった。島を守る為に私が出来る事は……」
踊る事。この島は、踊りの女神がいて、踊りを捧げる島なのだから。
ちゃんと毎回、女神の興味を惹ける様に。乱れ無く、完璧に、心躍る様に。
――――私がいたら……。
フラミィは、オジーみたいに目を閉じる。
島を守ろうとするルグと、踊りたい、踊りたいと願うだけの自分。
目を閉じれば、ひととき、この場から消える事が出来る。
フラミィは、「自分の願いだけを考えて何がいけないの?」と、駄々をこねる自分を消したい。
「……エピリカ、私……」
「謝らないわ」
切り捨てる様に言い放ち、エピリカは息を吸う。
「あなたや島の皆に恨まれる事、怖くない。これが私のやり方で、神様はそれをお受け入れになられなかった。私はそう受け止めるだけ」
「それで虚しくないのかね、エピリカ。それではあんたの心は何処にいるのだ」
オジーが痛々しそうに聞いた。島を司る者として、同じく島の為に踊るルグ・エピリカの気持ちに一番寄り添えるのは、きっとオジーだから。
「こころ?」
エピリカは皮肉気な微笑を浮かべ、外に降り注ぐスコールを見る。彼女の表情が、ふ、と優しくなった。その瞳は澄んでいて、神にお叱りを受けた罪深い女にはとても見えなかった。
彼女は腕と手指で『スコール』と小さな動きを見せ、『ヤシの木』『風』『海』と静かに表現した。まるで囁くようだった。
そしてエピリカは最後に、炎の閃きが零れ落ちそうな瞳をして『島』と、両腕を広げた。
*
フラミィは何を言って、どうやってオジーの家を出て来たか、記憶に無い程ぼんやりとして、オジーの家の前でスコールを見上げた。
カラコロと音がして、スコールに霞む前を見る。
ルグ・ルグ婆さんがほっこり立っていて、フラミィへ手を差し出した。
フラミィが、ぎゅうっと老婆の手を握ると、ルグ・ルグ婆さんは「イタタ、痛いよぅ」と言いながら鏡の布を翻して自分とフラミィを覆った。
布の中で、ルグ・ルグ婆さんがフラミィを見上げて微笑んだ。
『さぁ、レインツリーへ連れてったげる』
二人を包んだ鏡の布はスコールの中煌めいて、くるんと回って立ち消えた。
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