第23話 行くべきところ
「パーシィは、無事?」
ルグ・ルグ婆さんが去った後、フラミィは煙のたつ舞台の上でエピリカと向かい合っていた。
フラミィは、パーシヴァルが心配でならなかったのに、意識を失い、エピリカに抱き支えられている彼に駆け寄る事が出来なかった。意識を失っているのだからしょうがないとわかっていても、エピリカに身体を支えさせているパーシヴァルに、心が絞られる様な感情が湧く。今この瞬間も、自分が彼を心配している事が苦しかった。フラミィは自分の気持ちを守る為に、知らず知らず彼に攻撃的な気持ちになる。
――――どうしてエピリカを庇ったの?
「息をしているわ」
エピリカが短く答えた。彼女は恥じ入る風でも、許しを請う風でもない顔をして、静かにフラミィを見返していた。
フラミィはエピリカのその表情から、彼女は自分のやった事を後悔していないのだと感じた。
「どうしてそんなに強いの」
フラミィは囁いた。エピリカは聞こえなかったみたいだ。彼女は怪訝そうに眉を寄せ、首を傾げただけだった。
その様子が憎たらしくて、悔しくて、そして何故か彼女の事が酷く悲しくて、フラミィはわっと泣き出した。
「あ、あなたは、ルグじゃなくなった! これから踊れないし、皆に、け、軽蔑されるよ! あなたの事大好きだった人達も、き、きっとあなたから離れていく! それなのに、ど、どうしてそんなに落ち着いているの、どうしてそんなにも、つ、強いの! どうして、わ、私が、な、な、泣いているの! どうして……!!」
エピリカは面倒臭そうな顔をして、ハッキリ答えた。
「私は、私が間違ってないと、今でも思うからよ。そして、あなたが泣くのは、あなたが、この結末を、間違っていると思っているからよ」
「……そんな……そんな事無いわ」
「私の知った事ではないわ」
エピリカがフンと鼻を鳴らし、立ち上がった。
彼女は気丈にも、パーシヴァルを引きずって煙に包まれた舞台から脱出しようとしていた。
フラミィは気圧されて、呆然と立っていた。
煙の外から、彼女を呼ぶ声が聴こえた。
「ネーネ! 大丈夫か!?」
タロタロだ。
フラミィはハッとして、反射的に声を上げる。
「ネーネは、ここよ」
「ネーネ!!」
煙が薄く晴れ、タロタロが飛び込んで来た。
その後から他の男達もやって来て、フラミィを気まずそうに見、ちょっと頭を下げた。
フラミィはどんな顔をすればいいかわからなくて、タロタロのボサボサ頭に顔を埋めた。タロタロの髪からは、潮の香りがした。
エピリカは男達に囲まれても堂々と頭を上げていた。しかし、素直に男達の後に続いた。
フラミィはタロタロに飛びつかれてグラグラ揺れながら、運ばれるパーシヴァルと連れていかれるエピリカの背を見ていた。パーシヴァルの事が物凄く心配だったのに、彼の傍へ行こうという気になれなかった。フラミィは、自分にこんな残酷なところがあったのだと驚いた。
直ぐにママとオウルおじさん、アローラもやって来て、フラミィに手を伸ばす。
どこもかしこも無事なフラミィは、大丈夫よと小さく微笑んで、彼らの手を借り舞台から降りた。
舞台から降りたフラミィを、ママがギュッと抱きしめて、泣き崩れた。
ママは、ごめんなさい、ごめんなさい、と、声にならない声で言っていた。
フラミィはママを抱きしめ返して、『お願い、何も言わないで』と思った。
――――謝る事で、ママが感じていた疑念を明らかにしないで。ママの後悔で、ママが思っていた私への評価を鮮やかにしないで。
ママ、ママ。
あなたの誇りじゃなくてもいい。
ただ、愛していると言って。
*
衝撃的な夜が明けると、朝からスコールが島を洗った。
島人達は各自の家でバナナ以外の美味しいフルーツを、しょんぼりとした気分で朝ご飯にした。
フラミィとママも家で二人だけの朝ご飯だ。ママは前回の満月の次の朝よりも、もっと元気がなく、しんみりしていて、フラミィはどうしたら良いかわからなかった。
なので、オジーがスコールの中、家を訪ねて来た時はホッとした。
オジーはフラミィに謝り、再び踊り子として踊る事を望んだ。
フラミィは望みが叶ったというのに、どうしてだか、ちっとも嬉しくなかった。
それからオジーは、パーシヴァルの容態を教えてくれた。
彼は生きていて、夢と現の間を朦朧としているらしい。
フラミィは、ルグ・ルグ婆さんが命を奪う程の事はしないだろう、と信じていたけれど、身体が震え、胸が苦しくなった。
「背に焼かれた罰の烙印のせいで、酷い痛みと熱に襲われておる」
オジーは憔悴した顔を覆い、長く重たい息を吐く。
老人にとってパーシヴァルは、余所者から大切な客人に、そしていつしか、彼の不幸を深く悲しむ存在になっていた。
「ありとあらゆる薬草や薬、呪いを試そうと思うが……もしかしたら、大きな島へ連れて行った方が良いかも知れない」
「大きな島は遠いわ!」
フラミィが咄嗟に反応した。
昨夜彼の様子を見に行かなかったクセに、彼が島をこんな形で去る事には恐怖を感じた。
オジーはフラミィの言葉に頷いて、
「そう、大きな島は遠い……船の揺れや強い潮風は、痛みと熱を持つ身体には堪えるだろう。それに、罪の烙印を持つ者を、大きな島の者が上陸させるかどうか……」
フラミィは、「烙印は彼に対してのものじゃない」と反論しようとして、止めた。
「そうよ……苦労して大きな島へ行って上陸させてもらえなかったら、また帰って来なくてはいけなくなるわ」
「うむ……儂も、まずはこの島にある薬や療法で様子を見てみようと思っておる」
「そうよ……それがいいわ。それがいいわ……」
胸をキリキリさせる罪悪感と、自分への蔑みでフラミィは瞳を暗くさせ、尚も繰り返した。
「それがいいわ……」
スコールの激しい音よりも、胸の中が騒がしく、冷たかった。
*
オジーが自分の家へ帰って行ってからも、スコールは終わらなかった。
満月の晩のお祭りが終わって、今日からルグ・ルグ婆さんが手伝ってくれる事になっていたけれど、骨を探す気分になれなかったから、ちょうどいいとフラミィは投げやりに思った。
けれど気落ちしているママと一緒に家の中にいるのも辛かったので、フラミィは家を出た。
レインツリーのところへ行こう。
フラミィはそう思い立って、不味くなってしまったバナナの葉を傘にして、レインツリーのある島の墓地へと向かった。
スコールは勢いを弱まらせる事無く降り注いで、フラミィをずぶ濡れにした。
足が泥で汚れる隙もない程だ。
フラミィはこんなにも雨に洗われているのに、汚れが落ちない様な気がして、仕方がなかった。
今向かうべきは、レインツリー?
と、心の中で声がした。
「じゃあ、何処だと言うの?」
フラミィは小さな声を上げて反論する。
「何処だと言うのよ? シェルバードの崖? 鍾乳洞? 礁原? ……何も見つからない!! 何も得られない!!」
誰も答えない。スコールだけが天から絶え間なく降り注いで、フラミィのすべらかな頬を流れ落ちて行く。
誰か教えて。何処へ行けばいいのよ。
雨に打たれて立ち尽くしていると、前方からペタペタと足音がした。足音に合わせ、ポコポコと清らかな木琴の音がする。
顔を上げると、雨霧に霞むナイオの花やハイビスカスの咲き乱れる道の向こうから、老婆がゆっくり歩いて来るのが見えた。
老婆は、雨に打たれておらず、濡れていなかった。
雨がその人を打つ前に、ピチピチと小さな音を立てて消えている。
フラミィは鼻を啜って、その人を見た。
その人は、雨で霞む景色の中、ゆっくりと踊った。
『どこへいくの?』
フラミィは踊りに付き合わず、声を出した。
「わからないの」
『困ったね』
その人はペタペタと寄って来て、フラミィを見上げた。
皺しわの顔の中で、海みたいにキラキラ光る黒目がフラミィを痛々しそうに見ていた。
色の無い薄い唇が、たくさんの事を言おうとして沈黙し、震えていた。
「ルグ・ルグ婆さん、何処へ行ったらいいの?」
『そんなの』
ルグ・ルグ婆さんはフラミィの手を取って、揺すった。
『アターの行きたい処でいいんだよ』
ルグ・ルグ婆さんと手を繋ぐと、雨はフラミィの事も打たなくなった。
「レインツリーに行きたい……でも……本当は、行かなきゃいけない場所があるの」
『うん』
「ルグ・ルグ婆さんは駄目って言うかも」
『特別に言わないよ』
「……本当?」
『ほんとう。そこへ行ったら、レインツリーにワラも一緒に行ったげる』
フラミィは唇を尖らせてルグ・ルグ婆さんを見た。
「私、結構怒ってるよ」
『不可抗力だモン。それに、だから、特別って言ってるじゃないか』
ルグ・ルグ婆さんがフラミィの両手を取って、浮き上がった。
二人は宙に舞い上がって、雨の中、ツンツン草の生える茂みへと飛んで行った。
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