第22話 ルグ・ルグ婆さんのおしおき
満月の晩がやってきた。
いつもの砂浜に御馳走が並び、火が焚かれ背の高い木々の影が踊る中、島人みんなが集まった。
前回の時に起こった事を気にして、ママは集まりの隅っこの方で小さくなっていた。
フラミィもママと一緒に、隅っこの方で膝を抱えて大人しく座っていた。
自分だけならまだしも、ママをこんな風にさせる状況になった原因全部が悲しく、腹立たしかった。
焚かれる炎の灯りに照らされない場所でひっそりとしている母娘の傍に、何人かが寄って来た。
一人はもちろんタロタロだ。彼はフラミィが寂しそうだと近くに寄って来るし、寂しそうじゃなくても寄って来る。とにかく寄って来る。
彼は、お祭りでフラミィと一緒にいるのが久しぶりの事なので、悪いと思いつつ彼はちょっとだけウキウキして彼女の傍に座った。
もう一人は、アローラだった。彼女は小さな妹を連れ、背にもっと小さな弟を背負ってやって来た。
ミニラ池で蹲るフラミィを見つけてしまった彼女は、それからずっとフラミィの事を気にしていて、隅っこで小さくなっているフラミィを放っておけなかった。
「ここ、いいかしら?」
と、尋ねるアローラに、フラミィは『どうして?』と不思議だったけれど、直ぐに気持ちは嬉しさに変わって「どうぞ」と、恥ずかしがりながら答えた。
アローラも少し、はにかんでフラミィの傍に座った。アローラが隣に座ると、優しいお乳の香りがした。
フラミィはアローラの背負う赤ん坊を覗き込む。赤ん坊は口の端に白いものを微かにこびりつかせて良く眠っていた。
「さっきお乳をたくさんもらったのよ」
アローラがそっと背負った弟を揺する。
「かわいいわね」
フラミィのママも寄って来て、アローラの弟を覗き込み、瞳の中全部を黒目にして微笑んだ。
そのママの傍にやって来たのは、パパの弟のオルラおじさん。彼は毎回満月の夜のお祭りで、ママの傍に来ているのを、フラミィは知っていた。今回から邪魔するみたいになって、フラミィは少しおじさんに申し訳ない気持ちだ。
おじさんは、フラミィ達から遠くの方にあるご馳走を抱えて持って来てくれた。
こうして寂しかったのが賑やかになり、なんとなく感じていた疎外感がなくなると、フラミィの心は慰められた。この場にいて良いと許された気がした。
信じてくれる人や、そんな事いいんだよと許してくれる人は、ちゃんといるんだと思えた。
アローラにありがとうと言うと、アローラは恥ずかしそうに俯き、髪で顔を隠して言った。アローラはどうやら、フラミィと同じで少し恥ずかしがり屋みたいだ。
「ううん、私ね、フラミィと話してみたかったんだ。……私ね、ずっと踊りに参加したいなぁって思っていたけど、こうでしょ?」
と、言って、アローラは、タロタロと遊ぶ小さな妹と、背負った弟を見る。
「だからね、フラミィの事良いなぁって見てたの」
フラミィは驚いてアローラを見た。見られていたなんて、と、思うと胸が高鳴った。
「ど、どうして? 他にも踊り子はいるのに。私なんて、下手だし……」
「うん、そうなんだよね。でも、フラミィって本当に楽しそうに踊るから、私の目には一番目立ってたの。楽しそうで、良いなぁって」
「そ、そうなの……」
「あ、あのね……私、フラミィの踊ってるところ見るの、好きだった……」
「……」
フラミィもアローラも、俯いて髪で顔を隠した。
フラミィは胸の中がじんわりと温かくなるのを感じた。嬉しくって、曲げた膝に顔をくっつけて身体を小刻みに揺すった。
二人で照れていると、木琴と太鼓の奏でが始まり、人々が静まる中、踊り子たちの姿が見えた。
満月の夜の踊りが始まろうとしていた。
タロタロが横から抱き着いて、「オレも、ネーネの踊り好きだった」とポツリと言った。
フラミィは彼のボサボサ頭を撫でて、顔を上げ、舞台を見る。
舞台のすぐそばに、パーシヴァルが近づいて行く姿が見えた。フラミィのいる位置からは、彼の斜めからの横顔が見えた。
その横顔は、神様を待っているみたいだ。
神へ捧げる踊りだから?
いいや、違う。
フラミィは薄々気付いている。
喝采が上がった。
足の怪我から復活したエピリカが、高々と両手を上げて舞台へと現れ、気高く微笑んでいた。
パーシヴァルの背筋がグッと伸びた。
口元がゲームに負けた時みたいに微かに笑っている。
喝采に混じって、彼が『ルグ・エピリカ!』と、エピリカを呼ぶと、エピリカが彼を見つけた。
彼女はぐいっと頭をもたげてパーシヴァルを冷たく見下ろした後、踊り始めた。
フラミィは唇を噛んで、自分の左足の親指を見詰める。
これのせいよ。いやな事は全部。
そう自分に言い聞かせた。
*
踊り子たちの息の合った踊りは、素晴らしかった。
フラミィがいなくなって、調和が取れて動きが揃っている。
島の率直な幾人かは『これで良かった』とすら思った。
そういう人達のそういう気持ちがなんとなく伝わって来る様で、フラミィは辛かったけれど、島の繁栄を祈った。
祈りながら、パパを探す。けれど、皆舞台の方を見ているのでパパの顔を見つける事は出来なかった。
そうよね。パパは、踊る私を見に来てくれていたんだから。
がっかりしている間に、最後の踊りが始まった。
フラミィとエピリカの因縁の踊りだ。
幾人かがチラリとフラミィを見た。フラミィは俯きかけたが、その時、誰かが耳元で言った。
『顔をお上げ』
びっくりしてパッと声をの方を見たけれど、誰もいない。両隣で踊りを見るタロタロとアローラの声では無かったし、さっきの声が二人には聴こえていない様子だった。
声は老婆の声だった。
――――ルグ・ルグ婆さん?
直ぐに思い当って、フラミィはキョロキョロ辺りを見渡した。
高いヤシのてっぺんや、炎から立ち上る火の粉の向こうや、踊る影の陰影の中……。
フラミィが満月の中を探し見た時、どこからか急に湧き起こった雲が満月を隠し、稲光が光った。
最初は誰も気にしなかった。たとえ嵐でも、満月の晩には踊り続けてきたからだ。
しかし、細い稲妻が空を一直線に駆け抜け、踊り子たちの踊る舞台に直撃したので、流石に皆が悲鳴を上げて強い光から顔を覆った。
フラミィも目を見開いて、痛いくらい眩い光景を見た。
踊り子たちは無事かしら!?
落ちた稲妻は舞台を揺らし、光を霧散させ、燃え上がっていた。
半狂乱で舞台から駆けおりる者、飛び降りる者達の影が見えて、フラミィは安心する。
しかし、舞台のそばで誰かが叫んだ。
「ルグ・エピリカ!!」
「ルグ・エピリカが!!」
皆のどよめきと悲鳴が、悪夢の中みたいに響いた。
「ルグが、まだ舞台の上に、いるぞ!!」
叫んでいるのは、パーシヴァルだった。
立ち上がった炎の激しい揺らめきの中、座り込むエピリカの姿があった。
彼女は炎に囲まれて、逃げる事が出来ずに目を見開き、舞台の外を見ていた。何が起こったのか飲み込めずにいるみたいだ。
島人達が恐れ慄いて硬直している中、パーシヴァルが駆け出し、海で自身とシャツを濡らすとエピリカ目がけて炎の中へ飛び込んで行った。
「パーシィ!!」
フラミィは叫んで、舞台へ駆け出した。
タロタロが俊敏に追って来て、彼女の腕を掴んで止めた。
「ネーネ! 行ったら駄目だ! 危ない!」
「フラミィ!」
ママとオウルおじさんもフラミィに追いついて、彼女が舞台のそばへ行かない様に押さえ付けた。
「パーシィが!!」
フラミィは必死でもがき、再度ドーンと激しい雷の音と光でいっぱいになった時、皆の腕を振り払って再び舞台へ駆けた。
舞台では、炎の中パーシヴァルがエピリカを助け起こしたところだった。
燃え上がる炎に圧倒されて、フラミィは舞台に上がる事すら出来ない。
クワクワーッと、笑い声が響いた。
激しく燃え上がる炎の中の揺らめきが腕となり、脚となり、腰となり、パチパチ閃光を放ちながら蠢いた。お終いに、炎が薄布の様に閃き巻き上がり、小柄な老婆が現れた。
老婆は浅黒く日焼けし萎びた身体を、真っ白な貝殻のスパンコールが揺れるブラトップと、真珠貝の内側色をしたフリルスカートで包み、踊っていた。
ウッドビーズで編まれたベルトが、彼女の動きに合わせて木琴の調べを奏でている。
老婆のうなじから垂れた薄布がはためいて、キラキラ光った。
ルグ・ルグ婆さんだ。踊りの女神は踊りながら燃え上がる舞台に降臨し、厳しい顔で皆を見下ろしていた。その顔は、フラミィの知っているルグ・ルグ婆さんとは、違う女神みたいだった。
皆が声を上げ、誰かは泣き、誰かは叫び、また誰かは祈ってその場にひれ伏した。
『ワラは島の神の遣い、ルグ・ルグである』
と、ルグ・ルグ婆さんはこれまたフラミィの知らない顔で言った。
ボサボサの白い髪が炎の紅を映し、熱風にたなびいていた。
老婆は、エピリカに萎びた人指し指を向けた。
『そこなるルグは、島の掟を破った。故に、罰を与える!!』
目を見開き、怯えの表情を顔中に張り付かせたエピリカを、パーシヴァルが庇う様に抱いている。
フラミィはパーシヴァルまで何か恐ろしい目に合うのではと、身を震わせた。
『退け、島の外から来た男。その女は掟を破った。踊りたい者を、故意に踊れなくした』
その言葉に、島人が顔を上げ、信じられないとどよめいた。
エピリカの顔が見た事も無い程歪んだのを、フラミィは見た。
まるで、自分がエピリカになった気持ちで、「お願い、言わないで!!」と思った。
しかし、ルグ・ルグ婆さんは彼女の罪を言い放った。
『前回の満月の晩、フラミィにワザとぶつかったのは、アターだエピリカ!!』
心に様々な衝撃を受け、島中が時を止めたみたいに静まり返った。
そんな中、誰かが笑い出した。
狂ったみたいに笑い出した。
それは、罰を与えるルグ・ルグ婆さんでも、罪を着せられ踊りを辞めさせられたフラミィでも無かった。
その女は立ち上がって言った。髪を振り乱し、パーシヴァルを押しのけながら。
「エピリカ……やめ……」
「うるさい! 余所者に何がわかる!? 女神ルグ・ルグ! 私は完璧な踊りで、完璧に島の繁栄を祈りたかった! 神にお仕えするあなたに!! 島の皆の為に!! ああ、私達の女神……今日の舞台をご覧になられて? フラミィがいなくなり、踊り子たちの息が合い、やれる型の幅が増えたのを、よもや踊りの女神が見えなかったとでも?」
ルグ・ルグ婆さんは、エピリカを冷たい眼差しで見てから、クワクワクワーーーッと、大笑いした。
『完璧? 完璧だって……!? 人間が、完璧な、踊りを!?』
笑い過ぎてヒィヒィ言いながら、息も絶え絶えといった様子でルグ・ルグ婆さんが言った。
『ア、アター、本気で言ってンのかい!? クワ、クワワックワーーーッ!! やめとくれよ、ワラのお腹がよじれちゃう!! ちゅ、宙にも、クワワ……ッ、浮けない、ク、クワッ……分際で!!』
「な……!!」
エピリカが顔を赤くして傷付いた顔をした。
ルグ・ルグ婆さんは指で目尻の涙を拭いて、四肢を動かし彼女の上へ舞い上がった。
『娘、お前の島にはどんな人間がいる? 全て完璧かい? 神様はそんなこたぁ、どうだっていいんだよ。いいかい、良くお聞き!! 神様は、愛の対象に条件をつけない!! 決して見損なうんじゃないよ! 巧みだとかそうじゃないとかそんなモンは、アターらが勝手にコンテストでも開くんだね!! 満月の晩の踊りに持ち込むんじゃないよ!! それっ、お仕置きだエピリカ!! 掟破りの烙印をくれてやろう! お前はもう、踊るんじゃないよ!!』
ルグ・ルグ婆さんはそう叫んで身を翻し、複雑な手と腕の動きを見せた。すると暗雲がピカリと小さな光を孕んだ。ルグ・ルグ婆さんが鋭く腕を振り下ろすと、光は心得た様にエピリカ目がけて小さな稲妻をピシャンと放った。
ありとあらゆるものが引き裂かれそうな音がカッと響く中、黒いシルエットだけになったパーシヴァルがエピリカの身体に覆いかぶさったのが見えた。
パーシヴァルがエピリカを庇い、自分の背を稲妻に晒したのだ。
稲妻に打たれたパーシヴァルは、呻き、身体をガクンとのけ反らせ、エピリカを庇い抱いたまま膝を突いた。彼の背が、パッと燃え上がった。
「パーシィ!!」
フラミィは自分の事の様に悲鳴を上げて、炎が燃え盛っているのも目に入らずにルグ・ルグ婆さんの前に躍り出て、パーシヴァルとエピリカを背に両腕を広げた。パーシヴァルの背の炎は直ぐに消えたみたいだ。しかし、彼の背には、火傷で出来た奇妙な文様が細い煙を上げていた。
「ルグ・ルグ婆さん、もう止めて!!」
『フラミィ! 身体が火傷するじゃないか、来るんじゃないよ! これは掟破りの罰なんだ』
「パーシィに当たってるわ!!」
『飛び出して来たんだから、ワラは悪くないよ! それに、掟破りをかくまうのも同罪さ!!」
ルグ・ルグ婆さんは、再び的を絞る様にエピリカに視線を定めている。
「ルグ・ルグ婆さん!! これ以上したら、私、身体をあげないわ!! あげないから!!」
パッとルグ・ルグ婆さんがフラミィの方を見た。
目を真ん丸にしている。
『ええ!? そ、そんなの困るじゃないか、嘘吐き!』
「あげないったらあげないわ!!」
『ムキーッ! でも、まだエピリカに……』
「もう、十分罰は受けたわ! これから、生きていく分、受けているわ……!!」
フラミィはとても悲しい気持ちで、ルグ・ルグ婆さんを見詰めた。こんな凄まじい力を、踊りで使う事が出来るなんて。まさか、ワザとじゃないとはいえ、パーシヴァルを傷付けるなんて。しかも、その事をなんとも思っていない様子にも胸が痛む。
女神なんだわ。
自分とは、全く違う領域の。
判り切っている事だ。なのに、酷く突き放された気分だ。
ルグ・ルグ婆さんはフラミィの顔を見ると「フン」と言って、空高くに舞い上がり言った。背後で揺らめく鏡の布が、橙色にめらめらと光っている。
『本来なら、島人全員の罪でもある。しかし、そこな娘フラミィは、先日神を助けた功徳があり、この娘が望むのであれば罰を軽くしてしんぜよう』
――――どうするフラミィ? と、ルグ・ルグ婆さんが思念の小声で聴いて来た。
「どんな罰がどんな罰になるの?」
――――本来なら次の踊り子が……つまり女の赤ん坊が……生まれるまで作物も魚も捕れないって感じなんだケド……。
「駄目よそんなの!!」
『むぅーん、みなのもの、フラミィの心の広さによって、半年間バナナが凄く不味い罰にする!!』
ピシャーンッ! と、島中のバナナの木が光った。
皆、『バナナが!?』と、ショックを隠せなかったが、仕方ない。
いつの間にか燃え盛る炎は消えていた。
崩れかけの舞台では、倒れたパーシヴァルを抱きかかえるエピリカと、ぼんやりと満月を見詰めて脱力するフラミィだけが、煙に見え隠れしていた。
ルグ・ルグ婆さんの姿は既に消えていて、暗雲は瞬く間に晴れ、美しい満月が輝いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます