第16話 迷子

 振付の一つ一つが形を変え続ける水の様だった。身体の脈動感に風が巻き上がり従っていた。跳躍がフラミィの心臓の鼓動までも奪って飛び、音無く着けたつま先は鋼の様に揺らがず、これでもか、これでもかと静を心に焼きつけ、先程の跳躍を恋しくさせる。フラミィはまんまと脳裏の中で生き生きと跳躍するルグ・ルグ婆さんを思い描き、この踊りの到達点を感じる。イメージの中まで奪われ、跳躍の舞台にされてしまった。

 ルグ・ルグ婆さんは不思議な踊りを終えると、尚も手足と呼吸を蠢かせながらフラミィの目の前に降りてきた。

 フラミィは自ずと膝を折り、老婆の女神の前で両手を組んだ。


――――ああ、反則だわ、こんなの。どうしたら、どうしたら、貴女になれますか。私もこんな風に踊ってみたい。


「なんだい、大袈裟だね」


 ルグ・ルグ婆さんはフラミィを見てクックと笑い、満更でもなさそうにポーズをキメた。ブラトップの白い貝殻ビーズたちがさざ波の音を立てた。


「だって……だって……」


 いつまでも跪いているフラミィに、ルグ・ルグ婆さんはシッシッと追い払う仕草をした。


「こんなくらいでそんなに目をキラキラさせるのはおよし。およしったら」

「だって凄いんだもの……もっともっと頑張って骨を探さなきゃと思ったわ。でも、ルグ・ルグ婆さんは宙に浮けるのに、どうして足の指の骨が必要なの?」

「バカだね、宙に浮く事が万能だとでも思ってンの? 踊れる身体で宙に浮くから踊れるんだ。踊れない身体で宙に浮きゃ、踊れないさー」


 もっともな様な、釈然としない様な……フラミィは首を傾けれるだけ傾けた。

 ルグ・ルグ婆さんは薄い片眉を上げて、歯と歯の間からシッと音を出す。


「ナマコが宙に浮いたって踊れないだろ?」

「酷い!」


 クワクワーッとルグ・ルグ婆さんは笑う。そして、フラミィをからかってナマコみたいにくねくねして見せた。


「ただの例えさ。アターは可愛い娘だよ。若い身体のね! さぁさぁ、むくれないで左足の親指の骨を探すんだよ!」

「ルグ・ルグ婆さん、そのぅ……神様にはお伺いできた?」


 ルグ・ルグ婆さんはフラミィの問いに『そうだった!』と、手を打った。


「そうそう、その話をしに来たんだよ! なのにアターが喜劇を始めるからさ。面白かったねぇ」

「いいえ、ちっとも! ねぇ、神様は左足の親指の骨の行方をご存じだった?」


 ルグ・ルグ婆さんは首を振って、皺しわの頬に、皺しわの手を当てた。


「それがねぇ、そんな小さな物まで知らないって……。でも、アターが骨を貰い損ねた原因は分かったよ」

「本当!? 一体どうしてなの」


 フラミィは胸をドキドキさせて、ルグ・ルグ婆さんに詰め寄った。

 ルグ・ルグ婆さんは『待ちなさい、待ちなさい』とフラミィを押しとどめ、落ち着かせた。

 フラミィは落ち着いてなんていられない。

 皆が与えられて、自分が与えられなかったもの。フラミィにとって、とても必要なもの。足の親指の骨。

 踊りに必要な……。

 どうしてなのか、知りたい。『何故?』の後に続く理由も。

 ルグ・ルグ婆さんは「ウェッホン」と咳ばらいをしてから話し出した。


「原因はね、アターのせいさ」

「え?」


 フラミィはルグ・ルグ婆さんがふざけているのかと思って、顔を歪めた。

 ルグ・ルグ婆さんは飄々とした顔をいているから、本当か冗談か区別が出来ない。


「わ、私……? でも、でも……私、覚えがないわ」


 ルグ・ルグ婆さんはウンウンと頷いて、フーンと鼻息を吐いた。


「だろうねぇ。生まれる前の話らしいから。アターは生まれる寸前に、左足の親指の骨を望まなかったんだ」

「そんな、嘘よ!!」


 フラミィはそんなハズは無いと首を振った。自分が踊れない身体で産まれてくるのを望むだなんて!

 けれどルグ・ルグ婆さんは「神様は嘘吐かないよ」と言って、唇を尖らせる。

 フラミィは水溜まりだらけの冷たい地面にへたり込み、目を見開いてルグ・ルグ婆さんを見上げる。

 嘘よ、と、掠れた声が出る。自分の声じゃないみたいだ。


「私、そんな事望んだりしないわ……」


 『何か』や『誰か』のせいだったら良かったのに。原因が、自分? そんなの、目も当てられない。

 ルグ・ルグ婆さんはフラミィの前にしゃがんで、彼女の腕を擦った。


「ホラ、お尻が濡れてしまうよっ、立ちなさい。ワラはアターの事、大馬鹿者だと思うケド……ウェッホンッ……で、でもサ、ウ~ン……えっと、きっと、その時のアターには他に大切なものがあったと思うのよネ? 他の目標があったとかさぁ。ん~……ワラの慰め方、あってるかい?」

「踊る事以上に大切なものも、目標も、私には無いわ……」

「そんな事ないさ、踊りの女神が言うのもなんだケド……踊らない人らだって島にはたくさんいるだろう? 皆大事なモノや目標をもっていると思うよ。アターだって、さっきのジャリガキ(クソガキ)に怒ってたじゃないか。アレは踊らない女達にも尊敬の念があるからだろう? それともホントはジャリガキと同じ考えなのかい?」


 フラミィは酷く反抗的な気持ちでルグ・ルグ婆さんの言葉を受け取った。

 そういう話じゃないのを、ルグ・ルグ婆さんは分かっているハズなのに、どうして踊る事を選ばない人達の事を引き合いに出すのだろう?


「尊敬していないから彼らに混ざりたくないとか、そういう話じゃないわ。わかっているくせに。そんな言葉を掛けられたら、もっと踊りたいとか踊り続けたいという気持ちを、もう見詰めたり追ったりするなと言われている気分だわ」

「オヨヨ……そうだねぇ、ワラったら、現実を見なさいって説教する親みたいだね。でもさ、現実を見なさいなフラミィ。アターが骨を望まなかったのがどうしてだかは分からないけれど、そういう事なんだから、もう泣いたって仕方がない」


 くすん、と鼻を鳴らして、フラミィはルグ・ルグ婆さんを見た。

 ルグ・ルグ婆さんは、泣く子を持て余した時みたいな、ちょっと苦い顔だ。


「ホラ、ホラ、お尻が冷えてしまうってば。明るく考えようじゃない? もしもアターが骨を持って産まれて来たなら、ワラに身体をくれようなんて思い付かなかっただろ? ワラは若い娘の身体をもらうチャンスが無かったワケだ……んん!? そう考えると、ワラはアターを褒めてやらなきゃいけないね!」


 ワラたち、出会わなかったよ、きっと。


 ルグ・ルグ婆さんが言った。

 フラミィはそう言われて、この女神と出会わなかった自分を想像する。左足の親指の骨をちゃんと持って、しっかりとした重心で踊れる自分だ。

 それは、大方満足いきそうな人生であると思う。むしろ、そっちの方がいい気もする。

 けれど目の前でほんわか光る老婆を、フラミィは好きだ。

 思っていたより現金で、大雑把で、頼りなくて、ちょっとクールだけれど……。

 神話として崇めていた女神も、それはそれは素晴らしいのだけれど、神秘性はあれど個性は無かった。

 知ってしまった後、好きになってしまった後で、『もしも』の幸せであろう人生と、この女神との出会いを天秤にかける事が出来ない。

 世の中、天秤にかけられないものばかりだ。

 けれども気持ちはまだ拗ねている。フラミィはまた鼻を啜って、目を細めた。

 よしよし、とルグ・ルグ婆さんがフラミィの頭を撫でた。

 フラミィは腕で目元を拭い、ルグ・ルグ婆さんを見上げる。


「どうしたらいいと思う?」

「そりゃあ、アター」


 ルグ・ルグ婆さんが呆れた顔で口の片方の端を上げた。欠けた歯がファイアフライの灯りに青白く光った。


「骨を探すんだよ! あ~、アー! クソの蓋にもならないやり取りをしちゃったね!」

「な、そんな事言わないで」

「だってアターがメソメソしただけじゃないか!」

「そ、そんな事ないわ。ルグ・ルグ婆さんと私が出会……」


 フラミィの言葉を、ルグ・ルグ婆さんは両手を振って遮った。


「あ~、そういうのいいってば! さぁ、探すんだよ!! 話を聞いてから神様がえらくアターを気になさってね、手助けして良いって仰るから、ワラも一緒に探したげる」


 そう言って、鏡の布を閃かせてクルリと回る。やる気満々だ。

 フラミィは顔をパッと輝かせた。ルグ・ルグ婆さんが協力してくれれば、鍾乳洞の天井の様な手の届かないところも探せるし、自分よりもずっと島に詳しいだろう。


「本当!?」

「本当! さぁ、生まれる前と言えばマシラ岳だ。あの頂上でアターらは神様と島で生きる約束をするんだからね」


 ルグ・ルグ婆さんは腕をブンブン振り、ぴょんぴょん跳ねながらそう言って続けた。


「鍾乳洞は良い線いってたケド、見つからないみたいだしサクサク行こうじゃないか! マシラ岳の崖は探したかい? ホラ、あそこに住む鳥だか魚だかわからない奴らは、白いものを集めるのが好きだろう?」

「シェルバードの事?」


 シェルバードは、ルグ・ルグ婆さんの言う通りマシラ岳の裏側、朝日が島で一番当たるなだらかな崖に住む鳥の事だ。名前の通り、貝殻を集めて巣にする習性がある。他にも、白くてくちばしに咥えられる物ならなんでも集める収集家だ。

 フラミィは彼らの真っ白に輝く美しい崖を思い浮かべ、膝を打つ。


「神様に望まなかった骨を、シェルバードが拾っていっちゃったかもって事ね?」


 ルグ・ルグ婆さんは頷いて、手ごたえがありそうな予感でも感じたのだろう、「むふ」と、笑った。

 そして、萎びた腕と皺しわの手をフラミィに差し出す。


「探そう!」


 フラミィは「うん」と頷いて、ルグ・ルグ婆さんの手を取って立ち上がった。

 そうして二人はそのまま手を繋ぎ、どちらからともなく歩き出した。

 鍾乳洞を出ると、星が薄くなり、夜が明け始めていた。



 どうしてだろう?

 だったら、どうして私はこんなに踊りたいの?

 こんなに、こんなに、迷子みたいに。

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