第9話 ふたたび、ルグ・ルグ婆さん

 踊りが全て終わり、踊り子たちが舞台から降り始めた。

 エピリカはキキニィキに肩を借りて、足をひいて舞台から降りていた。

 あの人はなんという名前ですか、とパーシヴァルがフラミィに聞いた。

 フラミィは彼の方を見ずに、「エピリカ。この島のルグよ」と、小さな声で答えた。

 エピリカ、と、パーシヴァルは熱のこもった声で囁くと立ち上がり、舞台から降りたエピリカの方へ駆けて行った。

 フラミィは自分の本当に怪我をしている足に触れ、俯いていた。 

 ズキン、ズキンと傷が疼いて仕方がない。

 パーシヴァルは皆が止める間も無く、名誉あるルグ・エピリカに駆け寄ると、片足を突いて彼女の手を取った。


「エピ」


 彼は、エピリカの名を最後まで言う事を許されなかった。

 エピリカは急に行く手を塞ぎ、手を取って来たパーシヴァルの手を勢いよく振りほどくと、慌てて立ち上がった彼の頬に鋭い平手打ちを喰らわせたのだ。

 フラミィは全てを見ていなかったけれど、パンッと乾いた音が響いた瞬間に、パーシヴァルに『ルグとはどんな人物か』を詳しく教えなかった事を後悔し、手で口を覆った。

 エピリカの目は吊り上がった後、急速に細くなってパーシヴァルを睨んだ。

 彼女は怒りを込め、強く低い声で彼に言った。まるで、言葉の力で殴りつけるかの様だった。


「ようこそ、余所者の、男! 私は、ルグよ! おわかり? 二度と、不躾に、私に触るんじゃない。いいか? 次は、無知なフリを、させない」


 島で一番偉い女は言い切ると、高い所にいる鷹の様にオジーと目を合わせた。

 オジーは彼女の強い視線を澄んだ目で静かに受け止め、客人の頬を打った彼女を叱らなかった。これで、『パーシヴァルが悪い』と証明された。

 彼女は目を伏せ小さく頭をオジーへ下げた後、息を飲む島の人々を見渡して、良く通る声を響かせる。


「ここは私達の島。島にはルールがあり、私達はそれを守っている。だから島に住んでいる。誰か親切な人は、その事をこの男によく教えてあげて頂戴。島や海、女神ルグ・ルグや、神様を、私みたいに怒らせないようにね!!」


 彼女の剣幕に、皆が夢から覚めた顔をして凛々しく頷くのを確かめると、エピリカはパーシヴァルのペースに飲み込まれていた島の威厳を取り戻せて満足したのか、パーシヴァルに冷たく「歓迎するわ」と言い残すと、グッと顎を上げて自分の家へと帰って行った。

 後には、パーシヴァルの方を見ないで気まずそうに宴の後片づけをする人々と、手で頬を押さえポカンとするパーシヴァル、彼を指差してゲラゲラ笑う子供達だが残された。

 笑う子供達の中で、特にはしゃいだのは言うまでもない、タロタロだ。

 直ぐに仲間達とルグ役、パーシヴァル役を演じ、『ぶたれるパーシヴァルごっこ』を始めた。

 ルグ役は物凄く威厳があって格好良かったが、パーシヴァル役はというと大袈裟なくらい吹っ飛んで、砂まみれになって転げまわる様を、如何に情けなく演じられるかが競われた。

 後片付けが大方終わってもその遊びが続いたので、フラミィはハラハラした。


 タロタロったら、酷いわ。パーシヴァルは知らなかっただけなのに、あんなにからかって。

 ああ、パーシヴァルが酷く怒りませんように!


 しかし、フラミィの心配をよそに、パーシヴァルは何度も繰り返される自分の醜態に、とうとう吹き出した。初めは顔をしかめていたけれど、可笑しくなってしまったみたいだ。

 そうなると、島の大人達も吹き出して笑い出した。大体は、パーシヴァルのビールに酔っぱらっていた。


「酷い、です。僕、転がって、ません!」

「ボク、ルグガ、ナニカ、シリマセン!!」


 タロタロが砂の上にひっくり返ったまま、パーシヴァルの口調を真似て叫んだ。


「じゃあ、君が教えて、タロタロ!」


 パーシヴァルはタロタロに飛び掛かって、くすぐり始めた。

 タロタロはギョッとして、それからヒーヒー苦し気に笑い始めた。

 彼らを少し離れた所から眺めていたフラミィは、そっと立ち上がり足をひいて家へと帰って行った。

 知らない場所から込み上げてくる気持ちが、なんだか熱いうえに酸っぱ過ぎて、悲しくも無いのに泣き出したくって仕方がなかった。

 フラミィは自分のベッドまで辿り着くと、葦の長いハーブを敷き詰めたマットに倒れ込み、目を閉じた。


 あの人を見ると、とても楽しい気持ちになるのに、その後でどっと苦しい。

 あの人の笑った顔を、ずっと見ていたいと思うけれど、涙が零れそうになるのはなんで?

 今日会った人なのに。

 島の皆も、彼のせいでこんな気持ちになっているのかしら?



「イカン、イカン! そりゃあ、恋さ!!」


 耳元で急に声が聴こえて、フラミィはバッとベッドから起き上がった。

 部屋は真っ暗であるはずなのに、声の主が神々しく光っていたので明るかった。


「ルグ・ルグ婆さん……」

「アターがあんまりどんくさいから、ワラはヤキモキしちゃったよ!」


 フラミィはバツが悪い気持ちで苦笑いして、サンゴ礁で怪我をした足をルグ・ルグ婆さんに見せた。


「……ふふ、怪我、しちゃった」

「おー、可愛そうなワラの足!! 痕を残すんじゃないよ、フラミィ」

「……どうにかならないかしら?」

「明日、ロスマウ鍾乳洞の入り口付近で、ツンツンした葉の林を漁ってご覧。黄色とオレンジの大きな花が一輪咲いているから、それを摘まずに花びらの中に溜まっている朝露だけをそっと飲むんだ。いいかい? 摘んではいけないよ」


 それから、誰にも花の事を言っては駄目。皆が欲しがっちゃうからね。

 フラミィは頷いて、真面目に復唱した。


「ロスマウ鍾乳洞の、林ですね」

「黄色とオレンジの花だよ、夕焼けみたいな」

「摘まない、誰にも喋らない」

「そう。アターはおりこうさんだね。まぁ、オツムはどうでも良いんだけどね」


 ルグ・ルグ婆さんはフラミィの頭を撫でて、ついでに『ぐふふ、美しい黒髪……』と笑った。

 フラミィの身体を手に入れる事が、楽しみで仕方がないらしい。


「ルグ・ルグ婆さん、私の左足の親指の骨、サンゴ礁にあるかしら?」


 昼間の事もあって、フラミィはまたサンゴ礁を探すのがちょっと怖くなっていた。

 ルグ・ルグ婆さんは真っ白な髪をフワフワさせて、首を揺する。


「アアン? サンゴ礁か……悪くない推理だけど、詰めが甘いねぇ。フラミィは外洋

が好きかい?」


 そう言うルグ・ルグ婆さんに、フラミィは首を振った。


「どっちかというと、怖いから好きじゃないの」

「だろう? 海は何でも攫ってく。誰が好き好んで外洋の闇に溶けたいだろか? 骨もそんなに馬鹿じゃないと思うんだよねぇ」

「骨は私を待ってるよね? 私が厭でここに収まってくれなかったわけじゃないよね?」


 フラミィは自分の左足の親指を指差して、気になっていた事を聞いた。

 ルグ・ルグ婆さんはちょっと自信なさそうにむにゃむにゃ言ったあと、頷いた。


「そりゃ、アターのものだからね。アターの傍にあるハズさ!」

「どうして私ったら貰い損ねたのかしら?」

「そこはワラが神様に聞いてあげるよ。本当は場所も聞いてみようと思ってるんだけどねぇ……でも今、神様の機嫌がすこぶる悪くってねぇ」


 なかなか、仕事以外の話が出来ないのよぅ、やんなっちゃう、とルグ・ルグ婆さん。


「まぁ、神様どうなさったの?」

「それがさ、聞いて頂戴。ここ最近、ここいらの空をブンブンうるっさいのが飛び出したじゃない?」

「ああ、飛行機……」


 フラミィはパーシヴァルの顔を思わず思い浮かべて、きゅんとなる。慌てて、ブンブン頭を振った。

 そんな彼女を怪しそうに見ながら、ルグ・ルグ婆さんは愚痴った。


「そそ、大きな島へ来るあの煩いヤツだよ! アレがうるっさくて仕方がないのさ。あの人らは歌をうたう島人だのに、ブンブンゴーゴー煩くって島の歌が聴こえなくなっちまってる。加えて、大きな島の人々の報告と言ったら、ホテルが建ったとかドーロが出来たとか……!! 良く聴こえないし、初めて聞く事ばっかなもんだから、歌の女神も何が何だか分かんない歌を神様に歌って怒られてた。おお、いやだ」

「そうなんだ……じゃあ、やっぱり自分で考えて探すしか無いのね」


 飛行機が島周辺を飛ぶのを、フラミィは止められない。

 それに、神様のご不興を買っていると知らずに、飛行機乗りを島に迎えてしまった。もしかしたら、ご機嫌が良くなっても教えてくれないかもしれないな、と思った。


「ワラも、なるべく協力するよ。今日みたいに死に掛けられたらたまんないし」

「見てたの?」

「ワラを誰だと思ってんのサ、ご覧」


 クワクワ笑って、ルグ・ルグ婆さんは首の後ろから垂らした鏡の布を広げ、身体を包んで見せた。

 すると、鏡が部屋の暗闇を映し、ほとんど背景と同化した。なので、老婆の首だけが宙に浮いているみたいになった。


「木々の中では緑の中へ、海の中では碧の中。炎の中でも燃えないよ」

「すごい」

「へへん、でも人の前には出られない。全く同じ人はそうそういないからね。だからワラは、風と舞って飛ぶんだよ。飛んで、たかーいところからアターら(あんた達)を見ているのさ!」

「ねぇ、じゃあ、あの時のクジラはルグ・ルグ婆さんが?」


 思い付いて、フラミィが聞いて見ると、違うと言われた。


「やめてよ、あんな外洋の化け物!」

「か、関係無いのね……」


 見守っている様な事を言っておいて、見ていただけとは。

 フラミィの中で、思い描いていたルグ・ルグ婆さんの神聖さがどんどん薄れていく。

 それってちょっと悲しい。だって、身体をあげる相手なのに。


「これから、どんな風に私を助けてくれるの?」

「ん~、あんまり人の事に介入しちゃダメなんだよ……、ホラ、アターらも自然は自然のままにって、落ちちまった小鳥のヒナを拾わないだろ?」


 助けの欲しいフラミィは急いで口を挟んだ。


「たまには巣に戻してあげたりするわ。助け合わなくちゃ」

「ん~……そうねぇ、じゃ、見かねたら。でも、誰にも言ってはいけないよ! 贔屓は争いの種」

「ありがとう! ルグ・ルグ婆さん!!」

「シー! 声が大きいよ……そろそろ、朝だ。ひと眠りしないと明日の骨探しに響くよ」

「あ、ま、待って。もっと色々教えて欲しいのに」


 縋るフラミィを、ルグ・ルグ婆さんはちょっと鬱陶しそうに見た。


「んもう、またすぐ来るってばさ」

「次は起きてる時に来てくれる?」

「う~ん、あんまり関わっちゃダメなんだってば……」


 腕を組むルグ・ルグ婆さんに、フラミィも腕を組んで目を細めて見せる。


「私、探すやる気を失くしてしまうかも」

「フン。老人を脅すなんて、後々ロクな目に合わないよ。でもまぁ、踊りの島で足の骨が無いなんて、神様も憐れんでくださることでしょう。ワラとアターの仲もきっとお許しくださるかねぇ……? ま、なんとかならぁ! バアイ、フラミィ!」


 ルグ・ルグ婆さんは一人納得した風に、鏡の布を翻した。

 鏡の布はキラキラ瞬いて、どこかから吹いた黄金に光る風にふわりと膨らむ。

 ルグ・ルグ婆さんは布の影に入り込もうとして、あ、そういえば、と、フラミィに忠告した。


「アターの胸を焦がしてンのは、恋の芽さ。恋はイイヨォ。情熱を覚えるのは踊りに良い。今のうちにしとくが良いさァ! でも、身体を汚すんじゃないよ!!」


 クワクワクワーーーー!!

 フラミィに「シーッ!」と言ったクセに、笑い声を木霊させてルグ・ルグ婆さんがピョンと跳ねる。

 すると鏡の布がふわりと浮いて、黄金の風にピカピカくるくる回り、釣りのウキみたいに細くなると、上下に霧散した。

 部屋は真っ暗にならなかった。

 窓から朝のお日様の光が薄く差し込んでいて、クワクワー! と、クワクワ鳥が鳴いていた。

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