第8話 偽ルグ・ルグ婆さんの踊り

フラミィを助けてくれたパーシヴァルは、足を怪我した彼女を抱えて島に上陸した。

 余所者を嫌う島の長オジーは、最初疑わし気にパーシヴァルを迎えたけれど、彼が大きな島の長からの紹介状を見せると、渋々といった態で彼を島へ迎え入れ、夜に歓迎の宴を開いた。

 パーシヴァルは島で目立った。

 皆、物珍し気に彼を見た。

 島はとても温かいのに半裸ではなく、長袖の服を着ているのがまず変だった。足に靴を履いているのも珍しかったし、肌が白すぎるのも、思わずジロジロ見てしまう。傍に来るものを捕まえ、何かにつけ詳しく質問しては、紙に熱心に書きつけている。喋り方も、ゆっくり途切れ途切れでなんか変だ。

 けれども醜くはなかった。背が高くすっきりしていて、動作がなんとなく優雅だし、物おじせずに人懐っこく微笑む顔はハンサムだった。

 子供みたいに何も知らなくて、世話の焼けるところもなんか可愛い。島の男達みたいに威張らないところも大変よろしい。島の女達、特に年かさの女達は、すぐに彼を好きになった。

 島の男達は「なんだよなんだよ余所者が」という顔をしていた。島の男の子たちは彼らの味方をして、パーシヴァルをイジメる事に決め、彼のカバンをひったくると、ひっくり返して中身をぶちまけた。

 そして、心を奪われてしまった。

 コイツ……! 変な物ばっかり持ってる!


「これはね、紙、鉛筆、虫眼鏡、コンパス、絵のついた本、歯ブラシに、真鍮のコップ。フルーツ・ナイフに……あ、それはパンツ……やめて、返して。被っては、駄目です……」


 色々触っても怒らないパーシヴァルは、宴の前には子供達の人気者になった。

 パーシヴァルは群がる子供の中心で悪戯そうに笑って、小さな円柱の筒を取り出し、片手で風を避けながら、シュッと火を出した。

 子供達が目と口と鼻の穴を開いた後、わっと飛びつくより早く腕を上げて、


「これは、ジッポー。危ないから、絶対に、触っては、駄目、です」


 そうして、服の胸ポケットから白いタバコを取り出して、火をつけて煙を吐いた。

 オジーは彼のタバコを気に入った。自分の手作りのヤツの方が好きだけれど、たまにはこういう整ったのも良い、と頷いた。

 彼は泳ぐ飛行機から、ビール樽も持って来て皆に振る舞った。

 ビールはたまに大きな島から手に入れるお酒で、島の男達はこれが大好きである。

 そういうワケで、結局島のほとんどの人間がパーシヴァルを好きになってしまった。

 パーシヴァルは魅力的だったし、島の人たちは好奇心に純粋だった。

 フラミィも、もちろん彼を好きになった。

 けれどもたちまち人気者になったパーシヴァルに近付けず、怪我した足を引きずって彼を取り巻く人々の周りをウロウロしていた。


 私が最初に出会ったのにな……。


 唇を尖らせていると、夕日に染まり橙色に揺らぐ浜に焚火が焚かれ、宴が始まった。お馴染みのパンの実とココナッツスープ、マグロのココナッツマリネ、土の中で蒸した魚介類と豚、ウニ、焼いたパイナップルに、トマトとジンジャーで煮込んだ鶏……ご馳走がたくさん並んだ。

 これにはパーシヴァルよりも、島の人々―――特に、遅くまで漁に出ていたり、芋を耕して働いていて、料理に加わらなかった男達が驚いた。

 こんなご馳走を急にオジーに用意させるこの男、きっと只者ではないのだろう、と、彼らは思った。

 これによって、パーシヴァルは初対面の時よりも(ビールの恩もある)、彼らに丁寧に扱われる事になった。

 と言っても、変な来客よりもやっぱりご馳走の方が魅力的だ。

 皆歓声を上げて、パーシヴァルから離れ、ご馳走に群がった。

 皆がパーシヴァルから離れると、フラミィのママがヤシの葉や木の器に食べ物を盛って彼の前に並べ、頭を下げた。


「娘を助けてくださって、ありがとうございます」

「やー、いえいえ」


 彼はママに笑って、少し遠くで彼を見ていたフラミィを見つけると手招きしてくれた。


「無事で、良かった、です。フラミィ、おいでよ」


 フラミィは呼ばれて嬉しかったのに、何故か俯いてしまった。

 ずっと彼を見ていたのに、彼がこちらを向いた途端、彼を見れなくなってしまったのだ。


「ああ、そっか。足が……」


 パーシヴァルはフラミィが近寄って来ないのは、足の怪我で動けないと思った様だ。

 ママに用意して貰った食事を抱え、自らフラミィの隣にやって来て、あぐらをかいて座った。

 彼が傍に座る時、飛行機から出るイヤな風の匂いがしたけれど、フラミィは何故かイヤじゃ無かった。

 それよりも、傷の手当てに時間が掛かって、髪にオイルを塗って艶々にしておけなかったとか、そんな事ばかりが頭の中でグルグルした。

 ママは少しだけ離れた場所に座って、こちらを見ていた。娘を助けて貰ったので、何かしら世話をしてお礼をしたいのだろう。若い男―――しかも島の外の男とフラミィを二人きりにするのも、ちょっと心配なのかも知れない。


「具合はどう、ですか?」

「……大丈夫」

「良かった」


 にっこり微笑み掛けられて、フラミィもつられて微笑んだ。


「ぱーしばるは、」

「パーシヴァル」

「ぱーしばる」


 パーシヴァルは何が気になるのか、何度か自分の名前をフラミィに復唱させた後、うーん、と言って、


「惜しい……じゃ、パーシー、は?」


 と、促してきた。


「ぱーし」

「パーシー」

「パーシィ」


 パーシヴァルは、うん、と微笑んで頷いた。


「そう呼んで、ください」

「パーシィ?」

「はい」


 フラミィはパーシヴァルの特別な名前を貰った気がして、パァッと微笑んだ。

 パーシヴァルも唇から白い歯を覗かせて、微笑んだ。


「あー!!」


 タロタロが並んで座る二人を見つけ、駆けて来た。

 彼は今の今まで、パパに焚火や松明の準備に駆り出されて出遅れてしまったのだ。

 焚火の木の組み方を覚えたかったので、手伝いに嬉々として加わった彼だが、直ぐに後悔した。

 フラミィと変な飛行機男が、楽しそうに並んで座っている!

 なんとしても、引き離さなくては。

 タロタロはぐいぐいと二人に割り込み、真ん中に座り込んだ。

 彼を可愛く思ったのだろう、パーシヴァルがタロタロの頭を撫でようとしたけれど、タロタロはヒョイと避けた。


「パーシー、です」


 パーシヴァルがタロタロに自己紹介した。

 フラミィは、特別が薄まってガッカリした。この調子だと、島の皆もきっと彼のことをパーシィと呼ぶだろう。

 タロタロは、彼の為に盛られた蒸し豚をヒョイと横取りして口に入れた後、「タロタロ」と、もぐもぐしながら言った。


「タロタロ、よろしく」


 パーシヴァルが、海でフラミィにした様に、タロタロへ手を差し出した。

 タロタロは口の中の物をゴクンと飲み込んで、差し出された手に首を傾げた。


「なんだよ? 肉ならもう飲み込んじまったぞ」

「アクシュ、だよ」


 タロタロの手を握り、上下に振ってパーシヴァルが言った。


「仲良くしようっていう、挨拶、です」


 そういう意味だったのか、と、フラミィは頷いて、「やだ」と答えたタロタロの前に手を伸ばし、パーシヴァルに手の平を見せた。

 海で『アクシュ』をしたけれど、意味を知らなかったからもう一回したい。

 パーシヴァルは微笑んで、大切なものを扱う様に彼女の手を握った。

 大きくて温かい手を、フラミィは一生懸命握り返した。

 ちょうどタロタロの目の前で、フラミィとパーシヴァルの『アクシュ』が成される事となり、彼は凄く面白くない顔をして二人の手を叩いた。

 タロタロの頬が破裂しそうになる寸前、太鼓と木琴の奏でが流れ出した。

 砂浜の舞台に踊り子達が上がって並んだ。皆お揃いのパレオを身体に巻いて、華やかにしている。

 火の明かりに煌々と輝く踊り子たちを見ると、フラミィの胸がキュッと萎んだ。 

 フラミィの気持ちなんて無視して、歓迎の踊りが始まった。

 踊り子たちは美しい歓迎の言葉を宿した振付をゆったりと踊り、次に島を紹介する明るく楽しい言葉を宿した振付を踊った。

 踊り子たちの滑らかで鋭い動きや、息遣い、節に合わせて上げる声が、明かりの中で弾んでいる。

 フラミィは舞台を見上げるのは久しぶりで、彼女達の素晴らしさを思い知らされた。

 自分がこの中に混じっていたのだと思うと、厭でも先日のエピリカたちの笑い声が心の中で暴れ出す。

 今夜はエピリカが踊っていないのが、せめてもの救いだった。 


「うわぁ、素晴らしい」


 パーシヴァルが声を上げ、ワクワクした顔で舞台を見ている。

 フラミィは島の踊りを喜んでもらえて嬉しかったけれど、自分も舞台で踊るところを見て欲しかったな、と思い、直ぐにブルッと頭を振るう。


 だめよ、見せられない。


 今までどれだけ失敗しても、皆と動きが揃わなくても、更にそれを島中の人に見られても平気だったのに、パーシヴァルには見られたくないと思った。それは自分でも凄く不思議な気持ちだった。


 私が踊りを見られたくないと思うなんて……でも、もしかしたら、それが普通なのかも。


「フラミィ、あの踊りには、なにか意味が、ありますか?」


 ぼんやりしていたフラミィに、パーシヴァルが勢いよく小声で聞いてきた。

 フラミィはハッとして、頷く。


「う、うん、あるわ。さっき終わったのが歓迎の踊りで、今の楽しいやつが島の紹介なの」

「へー、へー、振り付けに、意味とか、ありますか!?」


 フラミィが頷くと、パーシヴァルが目を輝かせて、


「後で、教えて、ください」


 と、頼んだ。

 踊りによる歓迎と島の紹介が終わると、今度は劇調の踊りだ。これは、島の伝説をさり気なく紹介しつつ楽しむ趣の踊り。

 子供達が喜んで駆け出し、舞台の前の方を陣取った。 

「なに? なに!?」と、パーシヴァルも立ち上がり、子供達の群れに混じって舞台の前へと走ったので皆が笑ったが、彼はちっとも気にしていなかった。

 パーシヴァルは誰もいない横に話しかけ、ハッとした様にフラミィを振り返る。

 フラミィは苦笑いして、手を小さく振った。

 すると、パーシヴァルは戻って来て「ここでも、見れます」と微笑んだ。

 一方、パーシヴァルに釣られ嬉々として子供の群れに駆け込んだタロタロは、己の瞬発力を憎んでいた。

 ちょうど込み入った場所を取ってしまい、『始まるからもう立ってはいけない! 座って見なさい!』と、注意されて身動きが出来なくなってしまったのだ。


 ぱーしぃめ!! 


 タロタロは罠にはめられた気分で、再び並んで座る二人を振り返り歯ぎしりするしかなかった。

 さて、踊り子たちの踊りが始まった。

 彼女たちの踊る中に、大きな大きな仮面を被って座り、奇妙な動きをする踊り子が一人いる。


「あの人は、踊らない、ですか?」


 と、パーシヴァルがフラミィに聞いた。


「です。あれは、島の守り神ルグ・ルグ婆さんなの」

「おー、ルグ・ルグ……?」


 熱心に見入るパーシヴァルに、フラミィは微笑む。

 あれは本当は、ルグ・ルグ婆さんの偽物の役だ。

 そして、後で正体がバレて、本物のルグ・ルグ婆さんに怒られる、という物語になっている。

 あの偽物役は、『踊れない』のを観客に判り易く伝える為に、ずっと座って踊る。

 あれなら、私にも出来たのになぁ、なんてフラミィは思った。

 でも、実はとても大変で難しい踊りだ。ほとんど主役だから息つく暇は無いし、巧みに変な動きをして観客を笑わせなくてはいけない。

 今夜の偽ルグ・ルグ婆さんは完璧だった。

 動きも間も判り易くて面白く、かつ華があって、引きつけられた。


「ユーモラスだが、素晴らしい……」


 パーシヴァルにも、踊り子の良さが分かるらしい。

 踊らない人間にあの役の良さを伝えるとは、本当に凄い。と、フラミィも偽ルグ・ルグ婆さんに見入った。

 フラミィはそれが誰か、知りたかった。

 座りの踊りだけで、こんなに見事に人の心を惹きつけるこの踊り子は誰だろう?

 キキニィキ? いいや、キキニィキは顔を見せて島の美人役を踊っている。

 フラミィがたくさんいる踊り子の顔を順に確認している間に、ついに偽ルグ・ルグ婆さんの仮面が剥がされ、踊り子の顔が露わになる時が来た。

 パッと現れた顔は、エピリカだった。

 波打つ甘い茶色の髪に、汗に光る滑らかな額。正体がバレても人を惑わそうとする妖艶な表情の中で、妖しく輝く瞳が石と石を打ち合わせた効果音と共に、激しく瞬きする。長い睫が羽ばたくようだった。


――――そうか、偽ルグ・ルグ婆さんなら、足を痛めたフリをしていても……。


 フラミィは衝撃と悔しさに息を飲む。

 見事な偽ルグ・ルグ婆さんを踊れる事に対する嫉妬と、たとえ足を痛めても、あなたには踊る場所があるのね、というやり場のない嫉妬。

 ……それから、フラミィはふと、パーシヴァルを見る。

 パーシヴァルはさっきまでの彼とは違い、酷く真剣で熱いまなざしをして、敬意を表する様に片手を胸に当てていた。

 彼の視線の先には、歓声や拍手や口笛を目一杯浴びる、エピリカの姿があった。

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