第7話 クジラと水上飛行機

翌朝、フラミィとタロタロは、朝ご飯のパンの実とフルーツの残りとココナッツをカヌーに積んで、礁湖へ漕ぎ出した。

 オールを漕いで透明な碧い水面に滑り出して行くと、背後から朝のお日様が礁原を輝かせ、フラミィの心を励ましてくれた。

 これから温まろうとしてそわそわしている朝の空気と同じ様に、フラミィもそわそわと胸を熱くする。


 今日は見つける事が出来るかしら?

 それにしても、ルグ・ルグ婆さんったら、肝心の骨の場所を教えてくれればいいのに。

 島の守り神でも場所が分からないものを、私に見つける事が出来るのかしら?


「ネーネ、ぼんやりしないで! 進路が曲がっちゃう」


 ぼんやりしてオールを漕ぐ力が抜けてしまったフラミィを、先頭を漕ぐタロタロが叱った。

 ハッとして「ごめんね」と、言い掛けていると、遥か彼方の空の上から、ゴーッと音が響いてきた。

 なんとなくそちらの方から、風もやって来る。美しい潮風とは違う、ムッとくる匂いが付いていた。

 音と匂いの方を見れば、真っ青に続く空の彼方で朝日を受けてピカリと光る小型の飛行機が見えた。


「おー、そっか、今日は飛行機の日だ」


 タロタロが飛行機をよく見ようと、カヌーから身を乗り出した。カヌーが揺れて、傾く。


「その内、私達の島の上も飛び出すのかしら」


 フラミィも小さな飛行機を眺めて呟いた。


 一年程前に、二つ隣の大きな島に空港というものが出来て、その島は『観光地』という所になった。

 『観光地』になった島の長は、空港が出来た時、近隣の島の人達を招いた。

 フラミィの島の人達も、もちろん招かれた。

 長老のオジーと、とても真面目な漁師の頭と、好奇心の強い若者達数人が出向いて、歓迎を受けた。

 フラミィたち踊り子も招かれた。是非宴で伝統の踊りを踊って欲しいと頼まれたのだ。

 フラミィたちは髪にプルメリアの花を飾って、お洒落をした。

 そして皆で力を合わせオールを漕いで、大きなカヌー三艘を操り、大きな島まで赴いた。

 その時、タロタロがお土産の生きた豚や鶏、フルーツの籠に潜り込んで付いて来たのは、もう笑い話になっている。

 他の島の人達もたくさん呼ばれた。

 『空港』は大きな島の、開けた、しかし風の凪いでいる土地に出来上がっていた。

 それは、平たくて固い地面だった。

 皆困惑してそれを見た。地面に触れて見たり、恐る恐る足を踏み入れたりしてみて、何が一体『素敵』なのかを確かめる。固い地面は、裸足の足には熱すぎた。

 そんな皆の頭上で轟音が響き、プロペラのついた飛行機が強い嫌な風と共に着陸した。

 フラミィ達踊り子の、髪を飾った白いプルメリアは、残らず嫌な風に吹き飛ばされてしまった……。


 オォーン、と余韻を残して、小さな飛行機が見えなくなると、フラミィはその時の大きな島の村長さんの悲しそうな目を思い出す。

 大きな島には固い道路が敷かれ、海辺に大きな建物が建ち並び、毎週二回、雪崩の様に『観光客』がやって来るという。彼らは、海や太陽やそよ風、魚や果物、花、草の籠や布、木彫りの神様にお金をたくさん払って行くというから、大きな島はお金持ちになった。

 お金を持ったことがないフラミィだけれど、それで色々なものが手に入れられるという事は聞いている。

 大きな島の村長さんは今、笑っているかしら? 

 何が手に入ったのかしら?


「また乗りたいなー」


 タロタロが飛行機の消えた方向を名残惜し気に見ながら、熱っぽく囁いた。

 オジーとタロタロは、飛行機に試乗したのだ。


「駄目。もう二度と乗らないで」


 フラミィは首を振って、タロタロに言った。

 タロタロがパンの実程の窓から顔を覗かせている飛行機が、物凄い音を立てて空へ飛び立った時、フラミィは生きた心地がしなかったのだ。


「二度と会えなくなるかもって、心配したんだから」

「ふふふっ。ネーネも乗って見れば良かったのに。空の景色といったらもう、凄かったんだぜ」

「マシラ岳から見れるわ。さ、礁原よ。今日も手伝ってね」


 フラミィは男の子らしい感動に付き合わず、さっさとカヌーから降りて、左足の親指の骨探しを始めた。



 フラミィ達が昨日と同じようにバナナの葉を足に巻いて、礁原を練り歩いていると、外洋の方でバシャンと大きな音がした。

 見れば、濃い群青色の沖の方から、巨大なものがこちらへヌ~っと近寄って来ていた。

 ギョッとしてのけ反るフラミィを、タロタロが支えた。


「大丈夫、クジラだよ、ネーネ!」

「う、うん。でも、私外洋が怖いの。そこにいるものも怖いのよ」


 もしも大きな尾ビレで大波を起されて、外洋へ引きずり込まれたらどうしよう。

 外洋にはきっと、果ても底も無いから、永遠に溺れ続ける事になってしまうかも。それに、タロタロの大きさならきっと一のみにされちゃうわ!


「なんもしないよ」


 タロタロはへっちゃらみたいで、外洋の方へ身を乗り出して、一緒に泳いでみたいなぁ、なんて言い出すので、フラミィは気が気じゃない。


「タロタロ、目を合わせては駄目!」

「大丈夫だって! クジラが来ると良い事あるって、死んじゃったグランマが言ってたぜ」

「ヤダヤダ、今日はもう帰ろうタロタロ!」


 フラミィは誰が何と言っても、暗い外洋の中でヌ~っと動く巨大な影が怖い。

 焦ってカヌーへ戻ろうとしたその時だった。

 妙にグラグラする足場を踏んだと思ったら、バキッと、いきなり足元が崩れた。


「ネーネ!?」


 死んでしまったサンゴ礁を踏めば崩れるものだけれど、もっと奥深いところまで脆くなってしまった場所だったらしい。

 フラミィが立つ足場は、地面ごと崖崩れみたいに崩れ去って、外洋側へとなだれて行く。

 フラミィは死んだサンゴ礁の塊や欠片に足を捕られ、悲鳴を上げて外洋へ落ちた。

 ドボンと落ちる瞬間、手を伸ばして助けを求めた青い空に、こちらへ飛んで来る銀色の飛行機が見えたけれど、それどころじゃない。

 両腕を掻いて浮き上がりたいけれど、大きな岩みたいなサンゴ礁の塊に足が引っ掛かっていて、重みでどんどん沈んでいってしまう。

 水中でエビたちの立てるパチパチ音がして、フラミィの鼓動と重なる。

 見上げる水面は眩しい位に青く、美しく輝いて揺れていた。


 ヤダヤダ、私、まだ上手く踊れていないのに!

 死んでしまったら、ルグ・ルグ婆さんもがっかりするわ。

 それに、ママや、タロタロや、オジー、島の人達―――。


 フラミィがもがいていると、タロタロが飛び込んで来た。

 彼は必死でフラミィの足からサンゴ礁の塊を外そうとするのだけれど、サンゴ礁の塊は見た目通り岩みたいで、あんなに脆く崩れたクセにそこだけはちっとも砕けない。


 足の親指どころか、足ごと失うしかないのかしら!?


 フラミィがとうとう、口から大量の泡を吐いた。

 タロタロが彼女の身体を抱いて、浮き上がろうとしているけれど、無理だ。

 もう駄目だ、と、フラミィが諦めかけた時、深い闇の向こうからヌ~っとクジラが近寄って来た。

 フラミィは、さっき空気を全部吐いてしまったはずだったのに、また泡を吐いた。

 クジラは、目を見開くフラミィとタロタロをいっぺんに尾びれで掬うと、海面へ打ち上げた。


「わああぁぁ!?」


 打ち上げられたフラミィとタロタロは、ポーンと海の上を飛ぶ。

 のんきで平和な雰囲気で日に照らされている島と、キラキラ輝く青い海が視界いっぱいに飛んで行く。

 なるほど、空を飛ぶ景色って、素敵。

 フラミィは混乱する頭の中で、そんな事を思った。

 二人は揃って外洋の海面に落ちて、フラミィだけがまた沈む。

 足から血が溢れ出した。

 もしも近くにサメがいたら、大変だ。

 クジラが『また沈むの?』と言いたそうに寄って来たので、フラミィは思い切ってクジラの目を見て、自分の足を指差してみた。

 クジラは分かったのか分かってないのか定かではないけれど、フラミィの下に潜り込んで、彼女を背に乗せ浮上した。


「ぷはーっ!!」


 クジラの不思議な感触の背中にしがみ付いて、フラミィは息を吸い込む。


「うそ……? 助けてくれたの?」

「ネーネ―! ネーネッ!! だ、大丈夫!?」


 タロタロが半狂乱になって泳いで来た。

 フラミィは彼に手を振って見せる。


「だいじょーぶよー! ネーネはここー!」

「ああああ、ネーネ、良かった! ね!? クジラは怖くないんだよ!」

「……そうね。ありがとう」


 恐々、艶々光るクジラの背を撫でると、クジラが悠々と礁湖の方へ向かった。


「すごい……わかるのね?」

「ずるいー! オレも乗せて! 乗せて!」


 纏わりつくタロタロに見向きもせず、クジラはゆったりと泳ぎ、礁原のすぐそばに身体を横づけしてくれた。

 けれども、大きな塊に挟まれた足からようやく激痛がやって来て、フラミィはクジラの上で蹲る。

 タロタロの手を借りても、重しのついた足を引きずって、カヌーまで移動できそうになかった。

 クジラも、礁原があるから礁湖までは、フラミィを連れていけない。


「ううう、オレがひょいとネーネを抱っこ出来たら良いのに……」


 タロタロは悔しがったり悲しがったりした。


「大人を呼んで来るから、待ってて」

「ええ、ヤダ、置いていかないでタロタロ」


 助けてもらったけれど、しばらく外洋で巨大なクジラと二人きりは、やっぱり怖いフラミィだ。

 もしも沖の方に美味しそうなものを見つけたら、一緒に沖へ連れて行かれてしまうかもしれないし、気が変わって振り落とされたら堪らない。


「しょうがないだろ。待ってて!」

「タロタロ~」


 タロタロは「大丈夫だってば」と、言って、カヌーに飛び乗った。 



 タロタロが島へオールを向けた時、フラミィを乗せたクジラの横に、飛行機が落ちて来た。

 落ちて来た、と、少なくともフラミィとタロタロは思った。

 しかし、飛行機は、目をギュッと閉じたフラミィの前で、沈んだりせずに、水しぶきと波を立ててスイーッと水面を優雅に滑った。

 プロペラのついた変な飛行機で、両側に、イカダがバランスを取る為につけるヤツにそっくりな浮きがくっついている。どうやら、それで海に浮かんでいるみたいだった。

 グォングォン、ガタガタ、と、機体が恐ろし気な音を立てて震えている。

 その機体の操縦席に、若い男が乗っていて、彼の方もクジラに乗っているフラミィを驚いて見た。

 彼が目に当てていた変な物を取ると、顔が見えた。

 礁湖みたいな明るい碧色の、優しそうな目をしていた。

 薄いグレーのかかったオレンジ色の髪を、後ろでキュッと縛っている。

 しばらくポカンと眺め合った後で、若い男が我に返った様に、フラミィへ声を掛けて来た。


「ええと、お嬢さん、コンニチワ」

「……こんにちわ」

「な、なにか、お邪魔したみたいで、すみません」


 フラミィは怪し気に若い男を見て、それからウッと呻いた。

 足の痛みを忘れる事ばかり起きて、ありがたいような、ありがたくないような、複雑な気持ちだ。

 もしも、足がなくなってしまったどうしよう。

 若い男が、フラミィの怪我に気付いたみたいだ。

 操縦席から降り、浮きに飛び乗ってフラミィをよく見ようとする。


「大丈夫ですか?」


 タロタロがカヌーで戻って来て、彼に助けを求めた。

 彼なら、フラミィを移動させられるだろう。


「ニーニ(兄ちゃん)、ネーネをカヌーに運ぶの手伝って!」

「よし来た」


 若い男は着ていたシャツを脱いで、海に飛び込むと、クジラに用心しながらフラミィに手を伸ばす。

 フラミィは痛みに顔を歪めて、首を振った。


「足に岩がくっついてんの。あなたまで沈んじゃう」

「うわ、凄いな……。大丈夫。待ってて……」


 若い男は一旦飛行機に戻り、何かヘンテコな輪っかを持って泳いで来た。


「これに足を乗せて」


 フラミィは上半身を男に後ろから支えてもらい、足をヘンテコな輪っかに乗せてクジラから降りた。

 タロタロが、足を浮かす輪っかの力添えをして支えた。

 不思議な事に、クジラはフラミィが無事に若い男の飛行機の浮きに乗り上げると、海に浮く飛行機の周りを大きくぐるーっと回って、沖の方へと泳いで消えてしまった。


「これで取れるかやってみよう」


 若い男が機体からごそごそと銀色の棒を出して、フラミィの足に引っ掛かったサンゴ礁の岩へ打ち付けると、手ごたえがあった。

 彼は何度か銀の棒を力強く振り、とうとう岩を壊してくれた。

 どっとフラミィの足から血が出ると、脱いで機体に引っ掛けてあった自分のシャツを裂いて、足に巻いてくれた。

「これでよし」と言って、髪から滴を垂らして微笑み掛けられた時、フラミィは自分の頬が急に熱くなって戸惑った。

 ありがとう、と小さな声でお礼を言うと、頼もしい手を差し出された。


「どういたしまして。僕は、パーシヴァル、です」

「ぱーしばる?」


 この人は、どうして手を差し出しているんだろう? あげられるものなんて持ってないのに。と、思いながら、フラミィは彼の顔を覗き込んだ。

 パーシヴァルは明るく笑って頷くと、フラミィに聞いた。


「そう。お嬢さんは?」

「……フラミィ」

「フラミィ、はじめまして」


 ぐいっと、手を握られて、フラミィはビックリする。

 急に触って来るなんて、と怒ろうとしたけれど、


「よろしく」


 と、彼があんまり良い人そうに笑うので、フラミィは俯いて小さく頷いた。

 脇で、海の中から顔を出し、タロタロがパンパンに頬を膨らませていた。

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