第10話 怪我をしたクワクワ鳥
朝ご飯が終わると、フラミィはルグ・ルグ婆さんに言われた通りに、島のロスマウ鍾乳洞へ向かった。
ロスマウ鍾乳洞は、島の北東にそびえるマシラ岳と緩く繋がった、背の低いむき出しの岩山にぽっかり大口を開けている。
入り口の直径がヤシの木二本分くらいの大きな縦穴で、深さは直径の倍はある。深い底には、水がこんこんと湧いて溜まっている。一応、下に降りる足場はあるので、上に登ってもこれるのだけれど、小さな子供はこの辺りに遊びに行くのを禁止されていた。
あまり人が近寄らない場所だ。
けれども、ルグ・ルグ婆さんが行けと言うのだし、多分足が治るんだろう、という希望もあって、フラミィはひょこひょこ不恰好に歩き、ロスマウ鍾乳洞へ向かった。
低い岩山なので、普段だったら大した事もないだろうけれど、怪我した足を引きずって登るのはちょっとした一苦労だった。
フラミィは怪我が治り、軽やかに駆けて帰る自分の姿を想像して自分を励ましながら、ロスマウ鍾乳洞を囲って生えるツンツンした草の茂みを掻き分けて、ルグ・ルグ婆さんが言っていたオレンジ色と黄色の花を探す。ツンツン草は、フラミィの身長ほどもあり、葉も分厚くて、掻き分けるのに力がいって苦労した。
しかも範囲が広いので、せめてざっとした位置を聞いておけば良かったと、後悔する。
「早くしないと、朝露が消えてしまうわ……」
空を見上げれば、お日様の位置が村を抜け出して来た時より高くなっていた。
「もう、無いかも……」
そしたら、また明日咲くかしら? 待っててもらえるかしら?
そんな事を考えていると、まだ探していない位置の草の茂みで、ガサガサ音がした。
フラミィは驚いて、身を屈めて息を潜める。
タロタロがついて来ちゃったのかしら?
どうしよう、内緒にしなきゃいけないのにな。
そーっと、音のした茂みに近寄って、草の間から覗いて見ると、ツンツン草がそこだけ茂っていない小さなスペースに、オレンジ色の光が見えた。
花だ!
花は、小さな夕日みたいにほのほのとオレンジ色に光って、野ユリみたいな花弁の花が朝露を零すまいと上を向いて咲いていた。
「あった……!」
フラミィが花に近寄ろうと茂みから転がる様に飛び出すと、同じタイミングでガサガサッと反対側の茂みから、小さな影が飛び出した。
「わ!?」
フラミィとそれは、お互いがお互いにビックリして、目を丸くして見詰め合った。
それは、美しいクワクワ鳥だった。そう、朝にクワクワ鳴くクワクワ鳥だ。
タロタロよりも大きい鳥なので、迫力がある。
フラミィは一歩引こうとして、怪我した方の足をもつれさせ尻もちをついた。
クワクワ鳥は、優雅な長い首をヒュッと縮めて、頭に戴いた華やかな羽冠をぴゃーっと扇の様に広げた。
真っ白な胸の羽が、花の光にオレンジ色に染まって輝いていた。
「トトト……あのね、私あなたを驚かそうとしたんじゃないの。そこの、花に用事があるだけなの」
フラミィは恐る恐るクワクワ鳥に話しかけながら、身体を起こし、四つん這いでじりじりと花に近寄った。すると、クワクワ鳥が「クワーッ」と鳴いて、近寄って来た。
「わわわ、違うの、あなたに何かしようとしてるんじゃないの……あ!? 駄目!!」
クワクワ鳥が花に近寄り、大きくて長いくちばしを近づけたので、フラミィは慌てて咄嗟にくちばしを捕まえた。
「ングムァー!?」
クワクワ鳥がジタバタした。
フラミィも、花をつつかれて朝露を零されたら大変、と、くちばしにしがみつく。
「ご、ごめんね、でも、朝露を零されたら困っちゃうのよ!!」
「グムワー!」
「ごめんったら! 大人しくして……」
「キュワー!! きゅるるるるる!!」
フラミィとクワクワ鳥は花を避けながら揉み合った。
クワクワ鳥の頑強な足の先の爪は鋭くて、フラミィの足や腕を傷付ける。
大きなくちばしで顔を挟まれながら、フラミィはある事に気が付いた。
クワクワ鳥には大きな翼がある。けれど、一度も翼を開かないのだ。
それから、ピンときた。
「ね、ねぇ、ちょっと待って、あなた……」
「クワクワーーーーッ!!」
「お、落ち着いて、ねぇ、翼を見せて」
フラミィはなんとかしてクワクワ鳥を組み敷くと、閉じられた翼を無理矢理調べた。
クワクワ鳥は、クワクワ鳥史上発した事の無いであろう奇声を上げ、フラミィを突こうとする。
フラミィはクワクワ鳥の猛攻撃を受けながらも、発見した。
「ああ、やっぱり。あなた、翼が折れてしまったのね?」
クワクワ鳥はフラミィの言う事がわかるのか、動きを止めて彼女の顔を小さな目玉で見た。
クワクワ鳥の目玉の中で、ギラギラしていた剣が取れ、悲しみがうるうると揺れていた。
フラミィは眉を寄せ、
「あなたはこの秘密の花を知っていて、翼を直しに来たんだわ……違う?」
「クワクワクワ……」
小さな鳴き声で、クワクワ鳥は答えた。
フラミィは溜め息を吐く。
花は一つ。
「あのね……私もこの花が必要なの」
「クワワーッ」
クワクワ鳥は、それを聞くと再び頭の飾り羽をピャーッと広げた。
「だってね、私、踊りたいのに左足の親指の骨が無いのよ。それを早く探さなきゃいけないの。だからね、足の怪我を治さなきゃいけないの」
「グ・ワッ!!」
クワクワ鳥は知った事かとばかりの態度で、片翼だけ羽ばたかせると、フラミィから離れた。
「だよねぇ……!」
フラミィと傷付いたクワクワ鳥は再び、花を中心にジリジリと向かい合う事になった。
どちらかが隙を見せれば、花は隙をついた方が……。
しかし、しばらくするとクワクワ鳥はくたりと脚を畳み、蹲ってしまった。
フラミィはこれ幸いと花に近寄ったけれど、ストンとやる気を失くして、クワクワ鳥の方を見る。
「……いいの? 取っちゃうよ……?」
「クワー……」
どうやら、フラミィとの取っ組み合いで、最後の力を使ってしまったらしい。
もしかしたらフラミィよりずっと前から傷付いた翼を抱え、花を探し回っていたのかも知れない。
フラミィの頭の中で、不意に昨夜のルグ・ルグ婆さんとの会話が流れた。
『自然は自然のままにって――――』
「……」
自然のままに、という事なら、花はフラミィのものだ。
だって、クワクワ鳥にはもう、花を取り合う力はないのだから。
――――でも……。
フラミィは自分の怪我した足をジッと見て、それからクワクワ鳥に近寄ると、力を失ってしまった身体を腕で抱いた。
「ごめんね、花を摘んでは駄目なんだって。あなた大きいから、引きずっちゃうけど……」
フラミィはクワクワ鳥に一応断って、艶々した羽毛の身体を花まで引きずって行くと、飲みやすい様に花を両手で支えた。
「譲るわ。私はほっとけば治るけど、あなたはきっと無理だもんね」
クワクワ鳥は目を瞬きさせて、ちょっとフラミィを見た。
フラミィは肩を竦める。
「飛びたくても飛べない気持ち、私わかるの」
クワクワ鳥は目をうるうるさせてフラミィの頬を優しく突くと、花にくちばしを差し入れ朝露を飲んだ。
すると、翼がたちまち夕日色に光り出し、骨の折れた部分から可愛い鈴の音が流れ始めた。
ツンツン草が、急に見た事の無い色とりどりの花を一面に咲かせては散らし、咲かせては散らしを繰り返し、落ちた花弁で地面が美しいサンゴ礁の海底みたいになった。
「わわわ……」
驚くフラミィの目の前で、クワクワ鳥が両翼を広げた。
油を張った様に七色に照り光る羽がお日様の光を受けて輝き、風を捉える。
クワクワ鳥は特に美しい尾羽を一本、くちばしで引き抜くとフラミィに差し出した。
『ありがとう』
涼やかな女性の声でお礼が聴こえた。
「え……!?」
クワクワ鳥はビックリするフラミィから視線を大空へ向け、羽ばたいた。
そして空の高い所でぐるりと輪を描いて一周すると、優雅にすぃーっと飛んで行ってしまった。
*
「良いなぁ……」
クワクワ鳥を見送って、フラミィは呟いた。
飛ぶために生まれて来て、翼があるのが羨ましい。
私だって……。そう思って、フラミィは左足を撫でる。足は傷ついたままだ。
もしかしたら踊る為に生まれて来ていないから、私は左足の親指の骨が無いのかも知れない。
フラミィはそんな事を思った。
骨の無いフラミィに、神様は言っているのかも知れない。
踊れない身体で産まれた。だから、わかるだろう?
俯くと、胸元から垂れる白い貝殻がお日様の光を受けて白く光っていた。
フラミィはそれを指先でいじって、囁く。
「そんなこと、ないわ」
この言葉を、自分じゃ無くて、誰かが言ってくれればいいのに……。
しんみりしながらしばらくペンダントの貝殻を指で撫でていると、ガラガラッと岩の崩れる音がした。
フラミィが顔を上げ身を低くして耳を澄ますと、またガララ、と音がして、その後ボチャボチャンッと水音がした。鍾乳洞の方だ。
立ち上がりかけた時、声も聴こえて来た。
「おおーい……誰かいませんか、なんてね……いるわけないですねぇだって秘境ですからねー! ガイドをつけるんだったー、初歩的なミスだー、目も当てられない! チクショー!」
パーシヴァルの声だ。いつもよりスルスル喋っているけれど、フラミィにはあんまり聞き取れなかった。
けれども、かなり取り乱しているのは、フラミィに伝わった。
フラミィは急いで鍾乳洞の穴の方へ行き、ツンツン草の茂みから顔を出す。
見れば、穴の縁から垂れた蔓草にパーシヴァルがぶら下がっていた。
「パーシィ!」
「おお、お迎えの天使!! 僕はこの土地のルグに馴れ馴れしくして怒られてしまいました。でも、それ以上の無礼は働いていません、どうぞお手柔らかにお裁きを……あ!? フラミィ~!!」
パーシヴァルは目を輝かせ、フラミィを呼んだ。深い穴の中で、彼の声がワンワン響いている。
フラミィは彼に嬉しそうな顔で呼ばれて、頬が緩んでしまった。
「なにをしているのー?」
「ち、地層を、見ようと、思ったんです!」
「チソウ?」
「あの、助けて! 誰か呼んで、来て、ください!」
太い蔓にしがみ付いて、どうやら助けを求めている様子だ。
フラミィは「ふふっ」と吹き出した。
「パーシィは、泳げるでしょー?」
「そうですが、そうですがーーー!?」
「水たまりは凄く深いの。蔓の一番先まで降りれば、飛び込んでも大丈夫よー!」
「えええぇ……あ!?」
フラミィは我慢できずにその場で笑い転げた。
何故かと言うと、パーシヴァルの掴まっていた蔓は、ほとんど水面まで伸びていたからだ。
「それにしたって、大変、だよ!!」
パーシヴァルは取り乱した自分が恥ずかしいのか顔を赤らめながら、慎重に蔓を腕や足に巻きつけながら降りて行く。
フラミィは鍾乳洞の入り口の穴の縁に、段々に掘って作られた階段をゆっくり降りて、水たまりの岸で降りて来るパーシヴァルを待った。
パーシヴァルは結構な高さから水たまりへ飛び込み(落ちるともいう)、フラミィの元へ泳いで来た。
でも、横穴の鍾乳洞を見つけて急に方向を変えた。
水たまりの水が流れ込む穴だ。入り口は小さめだけれど、覗き込むと驚くほど広く深い。流れ込む水は川となって闇をうねうね進んだり、一旦溜まったりして、島の側面の穴まで旅をし、海へ落ちる滝になる。
「わぁー、凄いな!」
パーシヴァルはざぶざぶ泳ぎ、鍾乳洞の入り口辺りでようやく水から上がると、中を覗き込んだ。
フラミィも彼の横に並んで、「ロスマウ鍾乳洞というの」と、紹介をした。
「へぇぇ~……」
ただでさえ穴の中から穴を覗き込むので、ギリギリ入り口付近までしか光が届かず奥は暗闇で見えない。
「ああ、鞄を、水たまりに……」
メモを取ろうとして、パーシヴァルはようやく自分の鞄の行方に気が付いて、再び水溜まりの中へと飛び込んでいく。
足の怪我のせいで手伝えないフラミィは、何か役に立ちたくて、鍾乳洞の中へそっと入った。
珍しい石かなにかあれば、喜ぶかも知れない。
そう思いながら薄っすらと暗い場所を見渡して、ハッとした。
中は、乳白色のつららが無数にぶら下がり、地面も石筍だらけだった。
見える範囲のそれらは、僅かな光を湿り気で反射させて、怪しく光っている。
思ったよりも早くパーシヴァルが鞄を取り戻し、フラミィの傍へやって来て、鍾乳洞の中を覗き込むと、感嘆の声を上げた。
「わー! 骨の山、みたい!!」
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