第5話 タロタロのプレゼント

 アローラ達に連れられて帰って来たフラミィを見て、ママが心配そうに駆け寄って来た。

 アローラ達はママに何も言わなかったけれど、ママは何となく何があったか察したみたいだ。

 水瓶に水を汲んで持って来てくれた少女達にお礼を言うと、ママはフラミィに寄り添って家へ入った。

 フラミィはグラスで編んだゴザに座ると、ママに言った。


「私、エピリカにわざとやったんじゃないの」


 ママはうんうんと頷いて、フラミィの傍に座って言った。


「もちろんよ。フラミィはそんな事しない」

「でも、そう思われているみたい」

「あなたを送ってくれた子は? あなたの代わりに水を汲んで運んで来てくれた子は?」

「……同情かも」


 ママは首をふって、フラミィの髪を撫でた。


「信じないと駄目。じゃないと信じて貰えないわ」

「でも、疑われてるわ」

「やってないのだから、やっていないって堂々としていればいいの」


 フラミィは頬を膨らませて、立ち上がった。


「でも、ママだって朝、皆に謝っていたじゃない! 昨夜はごめんなさいって!」

「そ、それとこれとは話が違うわフラミィ。あなたがエピリカに怪我をさせてしまったのは、本当でしょう?」


 フラミィはママの言葉を聞いて、ギュッと拳を握った。

 魚の小骨が喉に刺さっているみたいだ。でも、自分が踊れないからだ、と我慢して言わないでいた言葉が、とうとうフラミィから鋭く流れ出た。


「ほら! ママだって思ってる。私エピリカ怪我をさせたって!」


 ママはそれを聞くと、グッと黙って青ざめた。


「……そうじゃないと言うの……?」

「ほら! ほら!!」


 フラミィは両腕を振って、怒り出した。


「そうよ! でも、でも、私も転んだのよ!!」


 怪我はしなかった。でも、エピリカと一緒に、自分だって転んだのだ。


「でも、それはあなたが……」


 ママは言い掛けて止めた。

 でもフラミィには、続きが聴こえた。


 踊りが下手だからでしょう?


 フラミィは天井を仰ぎ見て、震える息を整えると、ママを見た。

 ママは目に涙をいっぱいに溜めて、フラミィを見上げている。

 フラミィはなんだかママを苛めいている様な気がして、溜め息を吐いた。


「……ママ、ごめんなさい」

「フラミィ……ママは信じ……」

「うんうん。ありがとうママ。エピリカに謝りに行ってくるわ。エピリカにちゃんとわざとじゃないって、謝って、許してもらう。そうすればエピリカもきっと、私がわざとエピリカを転ばせたんじゃないって皆に言ってくれるわ」



 わざとじゃ無かったの。踊りが下手でごめんなさい。

 わざとじゃ無かったの。踊りが下手でごめんなさい……。


 フラミィは心の中で何度もエピリカへの謝罪を繰り返しながら、彼女の家へ向かった。

 エピリカの家は村から少し離れた、パパイアの木が立ち並ぶ場所の傍にあった。

 フラミィはその辺で遊ぶ男の子達に頼んで、パパイアの実を何個か木から落としてもらうと、それを抱えてエピリカの家の戸口に立った。

 中から話声と笑い声が聴こえて来た。

 エピリカの声と、キキニィキの声だった。

 フラミィは水汲み場での事もあって、キキニィキの声に立ち竦んだ。

 ちょうど二人いっぺんにあらぬ誤解を解くチャンスなのに、挨拶をして、ドアを開けようと思うのだけれど、怖くて出来ない。

 家の中から、エピリカの明るい笑い声が響いてきた。

 足を怪我した踊り子じゃないみたいに楽し気だ。


「本当よ、あなたは英雄だわ」

「やめてよキキニィキ、お腹がよじれちゃう」

「だって、あのやっかい者を、身をていして追い出してくれたんだから」

「違うわ、あれは事故よ。気を付けてキキニィキ」


 ふふ、と、どちらかの笑い声がした。


「そう……事故ね」

「ええ。私はそう言って、あの子を庇い続けてあげるの……」


 フラミィはパパイアの実を危うく落としそうになって、ぐっと踏ん張った。

 あの二人は、何を話しているんだろう?

 何を確認し合って……?


「ああ、優しい、ルグ・エピリカ!」

「ふふ、これでもっともっと素晴らしい舞台が出来るわ」

「邪魔で仕方なかったものね、ステップも踏めない……」

「でもそのおかげで簡単だったわ。あの時の顔見た? 『ごめんなさい、ルグ・エピリカ』……」


 大笑いの声が、エピリカの家中に響いた。


「シー……、ウチは村から離れてるけれど、もしも聞かれちゃ不味いわ」

「そうね、エピリカ……」

「しばらく歩けないフリだから、助けてね。キキニィキ」

「もちろんよ」


 とうとう、フラミィの腕から、パパイヤが零れ落ちた。パパイヤは地面に落ちて、ゴトゴトと派手な音を立てて転がった。


「だれ!?」


 フラミィは急いで駆け出し、その場を離れると、トボトボと歩き出した。

 後ろでパパイヤの木から、ポンと一個実が落ちたけれど、フラミィは気が付かなかった。



 フラミィは村からも海からも離れた、大きなレインツリーの下にいた。

 レインツリーの周りには、石を積んだお墓がたくさん散らばっている。

 ここは島人たちの墓地だから、あんまり生きている島の人は来ない。

 でもフラミィは、ここが好きだった。

 パパのお墓があるし、レインツリー以外の木や、背の高い植物は生えていないから空が高い。真っ青な空を、白いカモメが横切るのを見るのも好きだ。

 そしてとても静かだ。笑ったり、お喋りする者はどこにもいない。

 だからこっそりここで、踊りの練習をしたりもした。

 フラミィは大きな木陰に寝そべって、日の光と風によって緑色にキラキラ光る枝と葉を見上げる。

 優しいピンク色の火花みたいな花が、輝きの中で咲いていた。

 宝石箱を見た事が無いけれど、きっと宝石箱の中を覗いたらこんな風だろうと、フラミィは思う。

 レインツリーは、きっと宝石で出来ている。


 死んだら、お墓はレインツリーの木陰がいいわ。

 皆はお日様の下を選ぶけれど、私は雨に打たれない方がいい……。


 踊りが下手と言われても良かった。踊れれば。

 陰で邪魔者扱いされても良かった。すみませんと謝って、それで踊れるなら。

 でも、踊りを使って傷付けられるのは我慢できない。

 エピリカの得意そうな声が、耳に木霊する。

 『もっと素敵な舞台が出来るわ』?


「満月の夜の踊りは、踊り子の舞台じゃないのに!」


 でも、エピリカの方が踊りが上手いのは事実だ。

 素晴らしい踊りで、島の豊穣をお願い出来るのは、ルグである彼女だ。

 悔しさに、フラミィは起き上がって、レインツリーの幹をバシバシ叩いた。

 大きなレインツリーは、ビクともしないで、黙ってフラミィの怒りを受け入れている。

 まるで、パパみたいに。

 フラミィのパパは、四年前に星か風になってしまった。

 パパは風が良いなって言っていたので、きっと風になったんだと思う。

 パパはいつも、フラミィの踊りを褒めてくれた。

 両腕を流れる様にクロスさせてから開く『風はいつも』の振付が特に上手だと言って、抱きしめてくれた。

 それから、顔を両手で覆い、ふわりと両腕を開いて抱く仕草をしてくれる。

『見守っているよ』。

 パパの瞳の中に、お世辞や同情は無かった。あるのは愛しさと誇らしさだけ。

 けれどパパはもういない。あんな風に褒めてくれる人はもういない。

 愛情のヴェールは、風と一緒に飛んで行った。

 でも、踊っていると、踊る女達を見る島の人々の中に、たまにパパを見つける。本当にそこにはいなくても、誰かの顔が一瞬パパになったり、吹く風の中から声が聴こえたり、するのだ。

 フラミィはレインツリーに身体をもたせ掛け、樹木の肌に自分の頬を寄せた。

 そのままズルズル座り込んで、左足の親指に触れ、語り掛けた。


「こんな目に合っても、私、踊りたいの。わざと転ばされても、心の楽しみが、誰かのたった一月の為に奪われても、疑われても、邪魔者扱いされても、笑われても……」


 左足の親指は、当然答えてなんてくれない。

 フラミィは左足の親指の、小さな貝殻みたいな爪を撫で、目を閉じる。

 踊り続けるなにかいい方法はないだろうか?

 舞台の外で、踊らせてもらうとか……。

 フラミィは、明るい舞台の隅っこで、誰にも見られずに踊る自分を想像した。

 舞台の上で、エピリカやキキニィキがチラリとフラミィを見て笑うだろう。

 そしてその内彼女達は踊りに夢中で、フラミィの事なんかすっかり忘れて腰を振り、汗を飛ばす。

 フラミィは頭を抱えてから、自分の頭をパシパシ叩いた。


「もうヤダ。踊りたい心も、踊れない身体も……」


 そう呟いた時、誰かの声が遠くから聴こえて来た。


「ネーネー!」


 タロタロだ。小鬼みたいに髪を風に乱して駆けて来る。

 フラミィは手を大きく振って見せた。


「なーにー? ネーネはここよー」

「わーい、ネーネ! 探したぞぅ!」


 タロタロはぴょんと飛んでフラミィの前にしゃがみ込み、息を乱して微笑んだ。

 この子も風なのだろうか、ここまで走って来くるまでに通り過ぎる、木や花や草の香りを全部持って来たみたいな匂いをふわんとさせて、フラミィの心を和ませる。


「どうしたの?」

「へへへー」


 タロタロは草のポシェットから、そっと何かを取り出した。

 それは、綺麗な羽とビーズを数個通したネックレスで、トップに白い貝殻が輝いていた。


「わぁ」


 フラミィは愛らしくて綺麗なネックレスに声を上げる。

 タロタロはくすぐったそうに笑って、ネックレスをフラミィに見せ、


「これは、死んじゃったグランマの腰帯についてたウッドビーズ。これは、お手伝いしてママからもらったテーブルクロスの飾りだった石のビーズ、これはミニラ池で拾った青い鳥の羽。黒いのは、オレのナイフを半分にして、ずっと前から作ってた黒曜石のコイン型ビーズ」

「まぁ、大切なものばかりじゃない」

「うふっ、トップが決まらなくてさ……でも今朝ネーネが頭に付けてた……」


 タロタロのよく日焼けした小さな手のひらで、白い貝殻がキラキラ光った。

 クワクワーっと、クワクワ鳥が何処かで鳴いた。


『左足の親指の骨を、探すんだよ!』


「……ありがとう、タロタロ……」

「ネーネが元気を出せますように」


 タロタロがそう言って、フラミィの首にネックレスをかけてくれた。

 フラミィの胸で白い貝殻が輝いた時、なんだか心の中から熱いものが込み上げてきた。


「ありがとう……私、がんばるわ」

「うん」

「タロタロ、私昨日、不思議な夢を見たの。聞いてくれる?」



 夢?

 胸に白い貝殻があるのに?

 もしも夢だっていい。

 私、左足の親指の骨を探すわ。


 クワクワーっと鳥が鳴いてる。

 あるいは、それはルグ・ルグ婆さんの笑い声。 


『早く早く! すぐにお婆ちゃんになってしまうんだからね!』


 風が吹いてる。温かくて、甘い、優しい風が。

 踊れなくて弱虫な私にも、等しく。

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