第45話水素と畑

2019年11月29日金曜日

 沢田は茂原市の元ゴルフ場に建てた社員寮を見下ろして、半分残したゴルフコースの小高い部分にシロと座っていた。

 8階建ての2棟の立派な建物の間に、ヘリポートを備えた2階建ての集会所とジム。その向こうには発電所。


 少し前には台風の大雨で遅れていた建設作業だったが、国立競技場建設に関わっていた業者を、政府の掛け声の元に総動員して完成させていた。

 安倍総理のお陰だった。


 住居棟に先行して発電所の建設を終えていた為、台風の後は近隣の停電地域に電気を供給する事も出来た。

 

 台風で被害を受けた本社の事務所とプラントも同じ敷地内に移していた。

 住居棟等から100メートルほど離れた、敷地の入口近くに本社が建っている。


 住居棟には、既に社員の70世帯が引っ越しを終えて住んでいる。

 新築の社宅は、家賃と電気代は無料にしていた。残りの50世帯分も直ぐに一杯になりそうだ。



 水素分離は世界50ヵ国と契約が済み、特許を取得済みだった。

 フィリピンの電力事業はMERALCOの株式50%をフィリピン支社が買い取り、『ハイドロ・マニラ』と社名を変更し、役員にはイザベルが名前を連ねていた。

 マニラ近郊のカビテ発電所は11月から稼働しており、SMモリノを中心にした地元住民に歓迎されていた。


 マニラ周辺の4箇所に新たに水素発電所を建設中で、その他に中小12の発電事業社を吸収し、水素発電へと設備を変更している。


 更にセブと、ドゥテルテ大統領の地元でもあるミンダナオにも水素発電所を建設中だった。


 フィリピン送電事業のNGCPからは中国資本は完全に引き上げられ、ハイドロエナジーが70%の株式を保持していた。


 RCBCプラザビルの1400平米のハイドロエナジー事務所は、新たな子会社も含めて約300人が働く大事務所となっていた。


 セブに建設していた家も完成し、イザベルの家族は快適に暮らしていた。

 父親は相変わらず漁に出ている。

 漁を手伝っていた弟は9月から大学に通い始め、電気関係の勉強をしている。

 古い家が有った隣の土地は、セブ島北部を管理するハイドロエナジー事務所を建設中だった。セブ支社はセブシティのITパーク内に開設されている。


 ハイドロエナジーの資産は膨れ上がっていた。

 銀行口座には1800億円。株式がNGCPの70%。ハイドロ・マニラの50%。傘下にした30以上の企業の株式も保持する。

 株式を入れた総資産は2兆円を軽く越える大会社になっていた。


 社宅に入っている従業員達も満足そうだ。通勤は徒歩2分。住居費と電気代は無料。約100人の社員の給料月額は平均で100万円を越えていた。

 年末のボーナスは給料の5か月分が支給される。


 駐車場に停められている車も壮観だった。メルセデスA・B・C・EクラスやG。BMW の各車。ポルシェカイエン。ボルボ。レクサスの各車。アルファードやクラウンといったトヨタの車。さながら、高級車の展示場のようだった。

 矢部は若い頃に欲しかったと言うフェラーリを買っていた。488というV8ターボの車で670馬力を発生するが、矢部は怖くてアクセルを全開にできないと言っていた。

 沢田は相変わらずFJクルーザーに乗っていた。壊れずに何処でも走れる。気に入っていたのだ。


 今日の夜の便でイザベルと家族が成田に到着する。

 明後日の日曜日に沢田とイザベルの結婚披露宴を行う事になっていた。


 

 午後8時半。イザベル達が成田空港到着口から出てきた。

 迎えに来ていた沢田にイザベルが飛び付く。

 イザベルの両親と兄弟姉妹を合わせて7人。ハイドロエナジー・マニラ支社の役員5人も一緒だ。


 イザベルは配偶者ビザ。家族は観光ビザ。役員達は今後の訪日も考えてビジネスビザを取っていた。


 総勢12人と沢田が、社用車のアルファード2台に乗り込み帝国ホテルへと向かった。1台は運転手が、もう1台は沢田が運転している。


 車が首都高速に入ると兄弟達は大騒ぎだ。オヤジが前に身を乗り出して聞く。イザベルが、笑いながら通訳する。

『このビルは何処まで続くんだ?』

 沢田が言う。

「1時間走り続けてもビルが途切れない、世界最大の街なんだ」

 イザベルが言う。

「最大なの?ニューヨークかと思ってた」

「ニューヨークは橋を渡ってニュージャージーに入れば、直ぐに普通の家が並ぶ住宅地だろ」

「そう言われればそうね。ロスアンジェルスだって、ビルが並んでるエリアは決まってるし、ロンドンもパリもビル街は広くない」

「クレイジーな街なんだよ、東京は」

「そうね。日本は落ち目なんて言う人も居るけど、いまだに何処に行っても両替出来るのはUSドルとユーロと円だわ」

「でもね、自慢出来ない部分も沢山有るんだ、日本には」

「そう・・・それは何処の国でも有ると思うわ」


 車は箱崎を過ぎ、林立するビル群にフィリピンからの一行が眼を奪われている内に帝国ホテルに到着した。



7月30日土曜日

 イザベルの家族は東京観光に出掛けた。フィリピン人のガイドを雇っていた。

 浅草、スカイツリー、上野、皇居、新宿、原宿、渋谷と言う、都内を巡るコースを頼んだ。

 兄弟達はディズニーランドに行きたがったが、週末は混み合うので週明けに行った方がいいと言うガイドに従った。


 午前中、イザベルは披露宴で着るドレス選びに時間を掛けていた。沢田はドレスを買おうと言ったが、一度しか着ない物にお金を掛けたくないと言って聞かなかった。

 沢田は、イザベルにどんなドレスがいいのかを聞き、秘密裏に好みに合いそうなドレスを帝国ホテル側に用意させていた。

 イザベルはドレスを試着する時は、沢田には見せたくないと言い、解放された沢田は部屋でビールを飲むことが出来た。


 昼食をホテル内で済ませ、イザベルとマニラ支社の5人を連れて、沢田はアルファードを走らせた。


 午後2時。茂原の元ゴルフ場に出来たハイドロエナジー本社に到着した。


 事務所に入った支社の5人は拍子抜けしたようだ。いつも高層ビルの近代的なオフィスで仕事している彼らの眼には、町工場の事務所程度に見えたのだろう。

 しかし、机でパソコンを使っている20人程の全員が優秀な人材で、世界中の契約先とのやり取りをしている。

 事務職に着けた社員は英語には不自由せずに、さらに他の言語を使える者ばかりだった。


 静かだったオフィスに入って行くと、全員が顔を上げて沢田とイザベルを見た。

 女性社員が言う。

「沢田さん、その方が奥さんですか?」

 沢田は、社員に自分の事を『副社長』とは呼ばせなかった。あくまでも名前で呼んで貰う。

「そうだよ。宜しくな」

 仕事を中断して全員が近寄って来る。

「綺麗・・・写真いいですか?」

 イザベルと2ショットの写真をみんなが撮る。イザベルも笑顔で応じた。

 男性社員が沢田に言う。

「奥さんはフィリピン支社の社長ですよね」

「そうだよ」

 女性社員が盛り上がる。

「支社長と、2ショット撮っちゃった!」

 奥から38歳で海外営業部の部長になった田中が出て来た。

 沢田達を見つける。周りで騒いでいる社員に怒鳴る。

「こら!仕事に戻りなさい! 沢田さん済みません」

「いいんだよ。これウチのカミさん」

 イザベルを紹介した。田中は英語で挨拶した。

「初めまして、海外営業部の田中です。フィリピンでのご活躍は存じております。明日は披露宴に出させて頂きます」

 イザベルが答える。

「沢田がお世話になっています。この人、気分屋で我が儘だから大変じゃないですか?」

「そんな事は・・・少しだけです」

 沢田が田中の頭を小突いた。

「バカ!そういう時は『そんなこと無いです。頼りがいの有るボスです』なんて言うもんだろ?」

 周りの社員は声を上げて笑った。


 事務所を出て水素のプラントを見せる。これはカビテに出来た100MWの物と比べればオモチャのような規模で、彼等は直ぐに関心を失った。


 プラントを出て、用意されていた2台のゴルフカートに乗って裏手に廻ると目の前にはゴルフコースが広がった。ゴルフカートから喚声があがる。


 カートから沢田が大声で説明する。

「18ホールの内の半分を残してある。社員は休日に何時でも楽しめるんだ。向こうに建っている2棟の建物が社員寮で俺もそこに住んでる」

 沢田の声に気づきシロが走ってくる。

「今、走って来るのがシロ。俺の愛犬」

 シロは沢田の膝に飛び乗って、隣のイザベルの顔をしばらく見て言う。

「この人知ってるよ。匂いを知ってる」

「オレのワイフだよ、奥さん」

「そうなんだ。いい匂いだな」

 シロはイザベルの匂いを嗅いだ。

 イザベルが沢田に言う。

「あなた、犬と話してる?」

「・・・んなわけ無いよ。犬だよ」

「そうよね」

 シロが言う。

「何で秘密なんだ?」

「いいから今は黙ってろ」


 シロは膝から飛び降りて走って行く。ゴルフコースの一番高い場所で待っている。

 いつも沢田と休憩している一番眺めのいい場所だ。

 シロの横までカートを進めて降りる。全員で敷地全景を見下ろした。

 フィリピンからの役員の一人が、ため息混じりに言う。

「これが私達の本社なんですね・・・水素分離の発明がここから世界に広がった」


 イザベルが社員寮の裏手の広い茶色の部分を指して言う。

「あそこは何なの?」

 沢田が答える。

「あそこは俺の畑。ニンジンや茄子。ネギも出来てる。ネギは千葉の隠れた名産で一年を通して・・・」

「何で副社長のあなたが畑を耕すの? 仕事が沢山あるでしょ?」

「いや、それがね、神様がニンジン作れって俺に言ったから始めたんだけど、やってみると面白くてな。どんどん畑が大きくなってさ。でも今は、俺が忙しい時は社員が交代で作物の面倒みてるよ。大丈夫、係りを決めてるから」

「誰がやってるの?」

「エンジニアが2人と営業部の2人とプラントからも2人」

「その人達は畑を耕す為の社員じゃないでしょ!」


 午後5時。沢田の部屋に畑を任されていたうちの3人が集められた。

 沢田にイザベルが呼ばせていた。 


 フィリピンからの5人はゴルフをしていた。

 

 イザベルの英語を、営業部の男がプラントの2人に通訳する。

「沢田が、あなた達に畑仕事をさせていた様で済みませんでした。これからは自分の仕事に専念して下さい」

 通訳し終わって、営業部の男が言う。

「ミセス沢田。何か勘違いしてませんか? 私達は畑から、土から学ぶ事を沢田さんに教えて貰ってるんです。水素発電で環境を守る事と、畑を守る事は同じなんです。畑の環境が悪くなると作物は育たない。まるで地球を守っている様に感じるんです。沢田さんの畑仕事の希望者は沢山いて、順番を待ってる位です」

 イザベルは暫く言葉を失った。

 沢田に向き直って言う。

「あなた・・・素敵」


 シロが一声吠えた。


 

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