第36話インド大統領と美少女

7月5日金曜日AM 7:00

 二階堂が目を覚ますとベッドの上の天蓋が目に入る。畳で言うと30畳程の飾りつけられた部屋のほぼ中央にベッドが置かれている。


 昨日、空港に到着後に連れてこられたのはホテルではなく、インド大統領『ラーム・ナート・コーヴィント』氏の邸宅だった。

 インドは議員内閣制の為に、政府で一番の実力者は首相の『ナレンドラ・モディ』氏だが、象徴の様に扱われる大統領の力も強大だった。

 特に大量の株式を保持する石油会社関係には強い影響力を持っていた。


 二階堂が、部屋のベランダに出ると、隣の部屋で寝ていたジェーンはベランダのテーブルでコーヒーを飲んでいた。

 目の前には手入れの行き届いた庭園が広がる。

 ジェーンが言う。

「おはようございます二階堂さん。何だか王族になった気分ですね」

「14億人になろうっていう国民のトップに立つ人の家だからね。王族に違いない」

 ジェーンの部屋から白い給仕服のウェイターがベランダに出て来てコーヒーを注ぎ足す。

 二階堂がウェイターに言う。

「こっちにもコーヒー貰えるか?」

「畏まりました。私はこちらの部屋の担当ですので、二階堂様の担当に申し伝えます」

 ウェイターは部屋の中に消えた。

 二階堂が言う。

「専属のウェイターね。参りました」


午前10時

 会談は屋敷内の応接間で行われた。

 幅10メートル、奥行き20メートルはあろうかと言う応接間の壁沿いにソファーが並べられている。

 話し合いには遠過ぎる距離だが、ジェーンのリクエストしたプロジェクターは、200インチの大スクリーンに写し出される物が用意されていた。


 開始時間の30分前に二階堂が応接間の様子を見に行くと、スクリーンではインド映画が上映されていた。

 それは会議の全員が集まり、開始直前まで消される事は無かった。


 スクリーンでは大勢の男女が、インド流行りの曲に乗ってひたすら踊っていた。


 後で聞いた話では、大統領は映画会社の会長でもあると言う事だった。


 応接間には大手石油3社の代表と弁護士達で21人。大統領に側近。そして二階堂とジェーンが顔を揃えた。


 肝心の契約は予想以上の出来だった。インド政府と一括で契約し、国営と準国営の大手3社が水素を取り扱う。


 日本出発前の予想では初年度150ミリオンUSドルが契約金額だったが、3社で最低300ミリオンという二階堂のブラッフのお陰で、初年度200ミリオン。翌年から11年目まで10%毎に上がり、11年目からは400ミリオンUSドルがハイドロエナジー社に毎年支払われる事になった。

 

 これは昨日の大統領との打ち合わせで出来上がっていた筋書き通りだった。

 二階堂が、3社でシステムを扱うので300ミリオンと言い、各社が値下げを要求するが中々要求を聞き入れず、最終的に大統領の一声で二階堂が折れる。


 大統領は石油各社に対して威厳を見せる事が出来、大金も得る。

 毎年5ミリオンUSドルが諸経費として、ハイドロエナジーから大統領に支払われる事になっていた。


『清濁合わせ飲む』事が、まだ難しいジェーンには、二階堂はこの件を告げていなかった。



PM 2:00

 沢田とイザベルはセブシティにあるショッピングモール、SM (シューマート)に入っているレストラン『マックス』で昼食を摂っていた。


 酸味のスープでフィリピンの代表的な料理のシニガンと、これもフィリピンの代表的な魚のバグースのフライがテーブルに並んでいる。

 シニガンはエビが入ったシニガンヒポンだ。ヒポンは日本人の事ではなくエビと言う意味だ。

 

 イザベルの座る席の横には買い物袋が並んでいる。両親と兄弟に洋服を買ったのだ。


 食後にはトヨタの販売店に行き、先ほど買った『ハイラックス・コンクエスト』を引き取って帰る。

 今は納車の整備を待っていた。

 現金で1.7ミリオンペソ(約380万円)

を支払った。借ナンバーが付けられ、直ぐに乗って帰ることが出来る。


 デザートのハロハロ(トッピング山盛りのかき氷)に沢田が手を伸ばした時にスマホが鳴る。

 二階堂の声が響く。

「インドの契約が終わりました。初年度200ミリオンです。毎年5ミリオンの経費が掛かりますけど」

「上等じゃないか。いつ日本に帰るんだ?」

「今日の午後は観光に案内してくれるそうなんで、明日の便で帰ります」

「分かった。俺は2・3日ゆっくりしたら帰る予定だけど、帰ってから何か有ったら連絡してくれ」


 電話を切った沢田をイザベルが見ている。沢田が言う。

「大丈夫だよ。多分、2日位は居られるから」

「良かった。すぐ帰っちゃうのかと思った」

 

 2人はトヨタで赤いハイラックスを受け取りダナオへと走った。イザベルが運転している。

 シティを出る前にガソリンスタンドに寄って軽油を満タンに入れた。

 70リッター以上入り4000ペソ近い支払いになった。物価の割りにガソリンや軽油は高い。軽油でリッター約50ペソ、ガソリンは60ペソ近い。


 車自体は素晴らしい。2.8Lのディーゼルターボエンジンは174馬力と45キロのトルクを発生し、全長5メートルを越える大きな車体を軽々と走らせる。エアコンを使ってもパワーが喰われる感覚が無い。

 

 イザベルは上機嫌で運転している。

「新しい家が建って、新車が有って。優しいハズバンドがいて・・・もう何も言うこと無い」

 沢田は助手席から首を伸ばしてイザベルの頬に唇を着けた。


 ダナオで新たに買った土地は、整地が終わり基礎工事に入っていた。

 10人以上の人が働いている。

 建築士が沢田の姿を見つけて近寄って来る。

 沢田が言う。

「順調に進んでるみたいですね」

「大勢雇ってますからね。3ヶ月で仕上げる約束をさせられたんで大変なんですよ」

「まあ、そう言わずに。早く終われば次の仕事に移れるでしょう」

「そんなに次々に仕事が無いですよ」

「山ほど有りますよ。この家の仕上がり次第で次の工事を頼みますから」

「ダナオですか?」

「そうです」

「それは、気合いを入れなくては」

 建築士は現場に戻っていった。


 横で聞いていたイザベルが言う。

「次の工事って何の事?」

「この前行った孤児院の子供達の部屋、酷すぎるだろ。裏庭が広かったからあそこに新しいの建ててやったらどうだ?」

「簡単に言うけど、あなた、給料いくら貰ってるの?」

「ペソだと4.7ミリオン位かな」

「1年間の給料が全部孤児院に消えちゃうでしょ!」

「月にだよ。年収じゃなくて月に4.7ミリオン」

 イザベルは言葉が出ない。

「だから心配要らないよ。困ってる人には分け与える・・・悪くないだろ」

「・・・あなた、最高!」

「今住んでる古い家の土地も自分のだろ。広さは?」

「確か、100平米位。売れば30万ペソ位になると思う。昔、買ったときは3万ペソだったって父が言ってたけど」

「売らないで取っておいて。もしかしたら仕事で使うかも知れないから」

 イザベルは黙って頷いた。沢田を見る目が潤んでいる。

 


PM 2:30

 二階堂とジェーンはインド政府のリムジンで市内観光をしていた。

 きらびやかな極彩色の建物を周った帰路で渋滞を避けて裏通りに入った時に、ジェーンは1人の少女と目が合った。その僅か200メートルの裏通りはスラム街の一角だ。

 ジェーンを見ていた少女は男に蹴飛ばされて道路脇に転がった。

 ジェーンは身体が動くのを止める事が出来なかった。

 リムジンから降りて少女に駆け寄り抱き起こす。まだ10歳位の筈だ。

 リムジンの助手席から案内の男もジェーンの行動に驚いて駆けつけた。

 ジェーンが少女の後ろに立っている男に言う。

「なんて事するの!可哀想でしょ!」

 男はジェーンが怒っているのを理解出来ない。案内役がジェーンに言う。

「関わってはダメです。行きましょう」

 ジェーンは更に言う。

「あなたの娘?子供を大事にしなさい!」

 男が笑って言う。

「そいつは買って来たんだ。ちゃんと金は払ってある。どうしようと俺の勝手だ」

「買った? この子を買ったの?」

「そうだよ。あんたが欲しかったら2000ドルで売ってやるよ」

 ジェーンは女の子に聞く。

「家は近くなの?」

 女の子は英語を理解せず、案内役が通訳した。

 女の子が怯えて言う。

「ピリビート」

 案内役が言う。

「ピリビートはニューデリーから東に300キロ先で、ネパールとの国境近くの街です。タイガー保護区も近い。山の方には貧しい人が沢山でスラムみたいになっている」

 ジェーンが女の子に聞く。

「家に帰りたい?」

「お母さんに会いたい」

 女の子は泣き出す。


 ジェーンは二階堂に言う。

「2000ドル頂戴」

「頂戴?俺が出すのか?」

「二階堂さん。あなたこの子を見て、何も感じないの?」

「だけどな、こんな子供達が沢山居るんだ」

「目の前にこの子が居るんです!」

 ジェーンの剣幕に負けて二階堂は財布から2000ドルを出した。

 男は引ったくる様に金を受け取り少女の尻を蹴った。

 次の瞬間ジェーンの回し蹴りが男の側頭部に入り、男は金を握りしめたまま倒れた。男の妻らしき女が出てきて何か喚く。

 少女の手を引いて、ジェーンと二階堂は小走りにリムジンに乗り込む。

 案内役が乗ると同時にリムジンはクラクションを鳴らしながらスラムを走り抜けた。


 ジェーンは二階堂との間に座らせた少女にゆっくりとした英語で言う。

「恐がらないで。あなたを家に帰してあげるから」


 大統領邸に少女を連れ帰り、シャワーを浴びさせバスタブに浸かった少女にジェーンが話しかける。

「名前は?」

「サーシャ」

「歳はいくつ?」

「14歳」

 栄養が足りない為に、もっと幼く見えていた。

 食事を摂らせ、部屋の給仕係りに女の子に合う服を持って来させた。

 服を着せてうっすらと化粧を施す。


 ジェーンの部屋に呼ばれて来た二階堂は少女を見て驚いた。

 目の前にはインドならではの絶世の美女が立っている。

「これ・・・この子がさっきの?」

「二階堂さん、よだれが」

「馬鹿言うんじゃない。しかし、驚いたな」

「綺麗でしょ。でも心配ね。家に帰ってもどうなるのか。14歳なんだって」

 

 その晩、少女はジェーンと一緒のベッドで寝た。明日の朝、故郷のピリビートに連れていく事にした。


 日本への帰国が先送りになった。


 


 

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