第29話結婚

6月24日月曜日AM10:20

 沢田とイザベルはセブに来ていた。

 今朝プエルトプリンセサを飛び立ち、約700キロの距離を沢田がイザベルを抱えて飛んだ。

 イザベルには厚着をさせて高度3000メートルを1時間半を掛けてゆっくりと飛んだ。


 セブ島ダナオシティ。セブシティから北に約35キロの海沿いの街だ。


 街中より南側の『ココパーム・リゾート』というホテルにチェックインしていた。

 イザベルの同級生が働いており、スイートルームに4000ペソで泊まらせてくれた。2泊分の8000ペソを沢田がカードで支払った。


 ホテルのレストランでサンドイッチを食べて、イザベルの実家へとトライシクルで向かう。


 ホテルより更に南へ5分程走ってトライシクルを降りる。海が目の前だ。

 セントラル・ノーティカル・ハイウェイと呼ばれている国道を挟んで、海の反対側に同じような家が立ち並んでいる。

 壁は竹を編んだ物で屋根はトタン板。いわゆるバンブーハウスだ。

 日本人から見れば『あばら家』と一言で片付けられてしまう様な家が10軒ほど並んでいる。


 ハイウェイを渡って一番左側の家にイザベルが沢田の手を引いて入って行った。

 家の中から歓声が上がる。母親と3人の子供達がイザベルに抱きつく。

 沢田は黙ってその光景を見ていた。

 イザベルが沢田を振り返り、紹介を始める。母親と弟、2人の妹。

 上の妹は大学生で19歳。下は12年制のグレードスクールの9年生で14歳。

 弟は12年生で17歳だ。

 もう1人、22歳の弟がいるが、今は父親と漁に出ていると言う。漁師の父親は50歳で、母親は45歳だと言った。


 漁師の稼ぎでは3人の子供を学校に行かせるのは無理だろう。長女である24歳になるイザベルの稼ぎで生活が出来ているのは沢田の目にも明らかだった。

 

 イザベルは沢田の事を家族にボーイフレンドだと紹介した。

 下の妹がイザベルから100ペソを受け取って外に走り出て行き、直ぐにコーラの大きなペットボトルを持って帰ってきた。

 コーラをグラスに注ぎ分け、車座に床に座って、久々に会ったイザベルと家族の会話が続く。

 沢田には彼らのビサヤ語は全く分からない。

 イザベルが沢田を見て言う。

「ごめんなさい。久しぶりに会ったから、みんな興奮してるの」

 仕事の話をしている。家族はイザベルがNBIで仕事をしているのを誇りに思っていた。


 PM12:30。家族全員で近所のバーベキューレストランにいた。

 父親と上の弟が漁から帰って来て、全員が集まって昼食だ。


 イザベルが沢田を『エネルギー会社の副社長』でボーイフレンドだと父親に紹介する。

 父親は握手の手を沢田に差し出すが、沢田は父親の手を取って、自分の額に当てた。目上の人に対してする行為だが、自分の彼女の父親なので、敬う行為が嫌がられる訳は無い。


 上の弟は22歳で、大学には行かずに父親を手伝って家計を助けている。


 イザベルの月の給料は4万ペソだと聞いていた。フィリピンでは高給取りだ。日本の感覚だと40万円と言う所だろう。毎月15000ペソを家族に仕送りしているらしい。本当は2万ペソ送りたいのだが、仕事上の出費も多く大変だと言っていた。


 父親は今日は大漁だったらしく機嫌が良いらしい。

 漁から帰る時間には浜に魚売りが集まっていて、漁師から魚を買って、それを売り歩くのだ。

 700ペソの売り上げが有ったと言い胸を張る。

 以前は借り物のボートだった為に、毎日レンタル代を払っていたらしいが、去年のクリスマスにイザベルがボートをプレゼントしてからは経費が掛からなくなったという。

 小さなバンカーボート(船の両側にアメンボウの様にアームが出て転覆しないようになっている)だけで1日50ペソ。エンジン付きだと150ペソを払わなくてはならなかったと言う。


 今は3人が楽に乗れるボートにホンダの5馬力の船外機が付いているんだと言ってイザベルの顔を見て笑う。


 家族全員が笑った。幸せそうな笑顔を見て沢田も笑った。


 家に戻って沢田は中を見渡した。家のサイズは約7メートルの正方形。手前の部分が土間になっており、キッチンやトイレが有る。奥にはベニヤ板で仕切られた小さな部屋が2つ有り、各々に2段ベッドが作られていた。妹と弟達の部屋だと言う。両親は居間で寝ているのだ。


 上を見ると天井板は無く、屋根のトタンが見えている。

 上を見上げている沢田にイザベルが言う。

「屋根の所々に明かりが見えるでしょ

。穴が空いてるみたいね。直さないと」

 沢田が言った。

「家、買おうよ。この近くに買える土地はないの?」

「有るけど高いの。隣の空き地なんか、私が大学生の時は1平米500ペソって言ってたのに、去年聞いたら3000ペソ以下では売らないって」

「広さは?」

 イザベルは母親に聞く。母親は思い出すようにイザベルに言う。

「エイト ハンドレット・・・」

 沢田が言う。

「800で3000ペソだと、2.4ミリオンか。いい値段だね」

 2.4ミリオン。500万円以上と言うと、一般家庭には遠く手の届かない値段だ。

 イザベルが言う。

「土地だけでそんな値段なんて無理」

 沢田は少し考えて、父親に向かって言った。

「娘さんと結婚させて下さい」

 父親は英語を理解しないので沢田はイザベルの顔を見た。

 イザベルは瞬きもせずに沢田を長い間見て言う。

「どういう事・・・本気?」

「嫌か?こんなジジイじゃ」

「嬉しい」

 イザベルはビサヤ語で父親に言う。

 父親は黙って沢田を抱いた。

 沢田はイザベルに言った。

「結婚して、家族に新しい家を買おう。俺が引退したら皆で住もう」

 イザベルが頷き、沢田に抱きついた。妹が沢田の言葉を家族に通訳する。


 家の外まで歓声が響いた。 


 隣の土地は850平米の広さが有った。持ち主は平米3500ペソだと言ったが、直ぐに現金で払うと言うと平米3000ペソで承知した。255万ペソだ。


 沢田は矢部に連絡して、イザベルが持っているPNB (フィリピン・ナショナル・バンク)の口座に1000万円を振り込む様に頼んだ。

 何をするのだと言う矢部に、結婚することになったと言うと、悲鳴のような声の後で受話器を落とす音が聞こえた。矢部は結婚式に出席すると言ったが、日本でも披露宴をするのでその時に来てくれと沢田は言った。


翌日、6月25日火曜日

 ダナオの街にあるセント・トーマス教会で沢田とイザベルの結婚式が挙げられた。

 平日で急な事も有り、出席者は少なかったが、イザベルの友人や親戚、NBIの職員達や彼らに付いてきた地元の警察官等で50人以上が祝ってくれた。


 沢田が驚いた事に日本から二階堂が駆けつけた。


 結婚式の後で行われた、レストランを借りきっての披露宴では、ゲストとして二階堂が紹介された。

 イザベルが司会者に二階堂の事を告げたのだろう。

 日本の公安警察のトップと紹介された。少し違うのだが。

 その後、イザベルの家族と同じテーブルに着いていた二階堂の元には、NBI や警察の人達が入れ替りで来ていた。


 新郎の沢田はエネルギー会社の副社長と紹介された。

 イザベルの母親が少しは見栄を張りたかったのだろう。

 長女を嫁に貰うのだから仕方ないと、沢田は諦めた。


午後8時

 披露宴が終り、沢田と二階堂はココパーム・リゾートのプールサイドに置かれたデッキチェアに座っていた。

 二階堂が言う。

「全く、沢田さんには驚きますよ。彼女はCIA エージェントでもあるんですよ」

「それは仕事だろ。プライベートでは俺の妻」

 忍び足で近づいていたイザベルが言う。

「24時間。あなたの妻ですよ」

 沢田が振り向いて言う。

「どういう事だ? 俺達の日本語、分かるのか?」

 イザベルは沢田のデッキチェアの空いている部分に腰を下ろして言う。

「CIAって聞こえたから・・・昨日で辞めたの。辞職願いを出しました」

 沢田はイザベルを抱き寄せて抱え、立ち上がりながら言う。

「それは良かった」

 言うと同時にイザベルを抱えたままプールに飛び込んだ。

 プールの中から沢田が二階堂に言う。

「お前もフィリピンで相手を見つけるか?」

 二階堂は手に持っていたビールを飲み干した。

「それもいいかな・・・」


6月26日水曜日

 ダナオシティの弁護士事務所。

 イザベルと両親。沢田と二階堂。隣の土地の持ち主が集まっていた。

 土地の取引だ。


 忙しい筈の二階堂は、沢田のフランス行きの件が有るので、結婚して浮かれている沢田の耳を引っ張ってでも日本に連れて帰る為にダナオに残っていた。


 弁護士が売り主の用意した書類に目を通し終わって言う。何かの書類が足りないようだ。どうやら売り主は土地を担保に金を借りていたようで、債権者が書類を持っていると言う事だ。

 売り主が渋々という感じで、債権者を事務所に呼び出す。


 売買価格の2.55ミリオンの内、1.5ミリオン近くを、目の前で債権者に返済させ、取引は無事に終了した。

 書類の不備を弁護士が見つけなかったら、売り主はそのまま全額を持ち逃げした事だろうとイザベルは言った。


 土地の登記も同じ弁護士に任せる。手数料と税金で5万ペソを弁護士に預けた。

 

 イザベルの口座には、まだ2.1ミリオンペソが残っていた。


 昼食を挟んで建築事務所に行く。イザベルの両親は近所の大工に頼めば、30万ペソでいい家が建つと言ったが、バンブーハウスを建てる訳ではない。

 沢田は鉄筋コンクリートの家を建てる計画だった。


 建築士に希望を伝える。兄弟の寝室としてクローゼットを含めて15平米の部屋が4つ。両親の部屋が20平米。イザベルと沢田の部屋も20平米。ダイニングとキッチンで20平米。リビングルームは30平米。トイレとシャワーは1階と2階両方に。更に沢田達の部屋には専用のトイレとシャワー。物置部屋も必要で10平米。

 家の横には漁具を置いておけるスペースの有るガレージを作る。


 ガレージを除いた延べ床面積を200平米と考えれば余裕のある家が出来ると建築士が言った。

 建材や建具をいい物を使って6ミリオン。節約して5.5ミリオン。広さを優先して、窓やドア。屋根材やタイル等も安いのを選ぶと5ミリオン弱の費用だと言われる。

 ガレージは30万ペソで立派なのが出来るらしい。

 更に敷地を囲う立派な塀と門を作るなら、約120メートルの塀と門で約30万ペソだ。

 最高の家を建ててガレージと塀も入れて7ミリオンで十分だ。


 沢田は最高の物を頼んだ。


 全員で建築事務所を出てきた時には、イザベルの両親は呆気にとられて言葉が出なくなっていた。

 ココパーム・リゾートに両親を連れていき、ブールサイドでビールを飲み始めると、父親は前歯の抜けた口を開けて笑いながら何か言う。

 イザベルが沢田に通訳する。

「大会社の社長は凄いだって」

「副社長だってば」


 二階堂も笑っていた。

 イザベルが沢田の耳元で言う。

「あと2ミリオンしか無いけど、お金は大丈夫?」

「明日、日本に帰ったら2000万円送っておくよ。ペソだと9.4ミリオン位だな。4.4ミリオン残るから、それで家具や電気製品も買えるだろ。車も買おう」

 イザベルが沢田の顔を見つめる。

「何でも簡単に言うのね。どれだけお金持ちなの?」

 沢田は二階堂と顔を見合わせた。

「ここにいる二階堂もお金持ちだよ。独身だから誰かいい娘は居ないか?」

「いるいる!」

 二階堂は慌ててプールに飛び込んだ。





 

 

 

 

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