第17話地下室のユキ

 誘拐された女子高生2人はボートから降ろされ、ワゴン車の荷台で揺られていた。

 マニラを出たボートはパラワン島南部のブルックスポイントに着岸し、NPA のゲリラ3人に連れられて、2人はワゴン車でプエルトプリンセサの市内に向かっていた。

 ボートが発見され、ブルックスポイント近くの山中に捜索の手がのびるのを承知の上で、人の多い街中に隠れると言うゲリラの知恵だ。

 プエルトプリンセサまでは約200キロ。3時間半の道のりだった。


6月5日水曜日PM6:15

 二階堂、沢田、イザベルの3人を乗せたブラックホークはコロンの街が有るブスアンガ島を過ぎ、パラワン島に差し掛かっていた。


 イザベルの携帯電話が鳴る。アンテナの太い衛星携帯だ。

 パラワンの地元警察が、手配を掛けていたクルーザーをブルックスポイントで発見していた。

 ブラックホークの行き先が決まった。


 沢田はヘリコプターの窓から進行方向右側を見ていた。海に沈んでいく夕陽が真っ赤になっている。



千葉県東金市。

 求名駅に程近い小川家の近くで、二人の機動隊員が刺殺されていた。



 テロリストグループ『セイント』のリーダー、シャドウは応接間の様な地下室で足首を鎖に縛り付けられた女と向かい合っていた。その鎖の端は床にアンカーで固定されている。

 女は唇が切れ、紫色に腫れ上がっている。

 シャドウが言う。

「どう、あがいたって無駄なんだよ。ちっぽけな発明に拘って命まで無駄にする事はない」

「大きな発明なの!」

 叫んだ女はユキだった。シャドウの英語を全部は理解出来なかったが『ちっぽけな発明』スモール・イノベーションという言葉を聞き取って叫んでいた。

「まあ、暫くここに居るんだな。サワダだったかな。お前のいい人がギブアップするまで」


 地下室のドアが開き、マスクで顔を隠した腹の出た男が入ってきた。

「ミスターシャドウ。ここで人が死ぬのは勘弁して下さいよ。場所の提供だけの約束だから」


 海堂光吉、58歳。与党の衆議院議員。法政大学在学中にケンブリッジ大学へ一年間の交換留学。英語はイギリスで学んでいた。

 卒業後、大商社の三友商事に入社。燃料部で原油やLNG の輸入に携わる。

 燃料部部長まで驚くスピードで出世し、更に取締役に昇進後、経済界に充分過ぎる繋がりを持って商社を円満退社し、衆議院選挙に当選する。

 当選後も石油業界と深い繋がりを持ち、裏社会との繋がりも噂されていたが、手を出せるものは居なかった。


 BP(ブリティッシュ・ペトロリアム)に就職し、出世の道を駆け上がっていたケンブリッジ時代の海堂の友人が、水素による天然資源ビジネスの危機を伝えて来たのは5月の中旬だった。

 保身第一の海堂は彼の勧めに従うしかなかった。燃料業界へ大きな恩を売れる。


 海堂はユキを見下ろして言った。

「いい女じゃないか。詰まらない男なんか忘れて、俺の女になればいい。男は力だぞ」

 ユキは無視した。

 海堂は壁の絵を指差して言う。

「あの絵が解るか? ミレーの『落穂拾い』だ」

 ユキも画集で見たことが有ったが何も言わない。海堂は続ける。

「複製だと思うだろ。ところが本物だ。パリのオルセー美術館のは贋作(がんさく)、複製なんだ。これが力なんだよ。望んだ事が実現する」

 ユキが言う。

「あの絵が何を描いているか解ってるの?」

 海堂が、口ごもって言う。

「そんな事はどうでもいい。有名な絵だ」

 ユキが笑う。

「貧しいルツが、義母のナオミ達と実の残ってる麦の穂を拾ってるの。ルツの三代後が有名なダビデ。旧約聖書も知らないのに、ただ有名な絵だから? ミレーが泣いてるわ」

 ユキは自棄糞で言った。ユキの好きな聖書を馬鹿にされた気がしていた。

「生意気な女だ」

 海堂は捨て台詞を吐いて地下室から出て行った。シャドウも海堂の後を追って出て行く。


 ユキの手の届く範囲に水とパンが置いてある。排泄用の容器も壁際に置いてあった。

 ユキは覚悟を決めた。

『助けが来るまで生き延びる』

 床に置かれた皿のパンに手を伸ばした。


PM7:30

 沢田達3人はブルックスポイントの港に係留されたクルーザーの中を調べていた。イザベルが船室から数本の長い髪の毛を見つけたが、誘拐された2人の物とは限らない。

 沢田が髪の毛を手に取った。手が勝手に髪の毛へと動いたのだ。

 意識を集中させると、髪の毛を持っている自分の手から赤い線が伸びている。沢田は赤い線を辿ってクルーザーを降りた。その線は表通りへと伸びていた。

 その時、沢田の腹が空腹を訴える音を立てた。赤い線が霞んでいく。


 3人は地元の警察官に案内され、近くのバーベキュー食堂で夕食を摂った。

 食後、満腹になり警察車輛のトヨタ・レボに向かって歩いた。

 突然、銃声が響く。車に向かって先頭を歩いていた警察官が被弾して倒れた。

 ボーっと立っていた沢田にイザベルがタックルして倒し、地面に頭を押し付ける。イザベルが沢田に言う。

「死にたいの?」

 横を見ると二階堂も伏せていた。

 沢田はおもむろに起き上がり、飛び上がった。イザベルが口を開けて見上げる。

 沢田の目に20メートル程先の車の陰に2人の男がマシンガンを構えているのが見えた。

 男達の前に降り立ち殴り付けた。1人の男には力を加減していた。意識を失った男を沢田が車の影から引きずり出す。もう1人は頬骨が陥没して絶命していた。

 二階堂とイザベルが走って来る。

二階堂が落ちているマシンガンを見て言う。

「AKか」

 イザベルも頷く。

「AK47。NPAの連中ね」

 沢田を見てイザベルが言う。

「あなた、飛んだの?」

「飛んだな」

 沢田はとぼけて答えた。

 二階堂がイザベルに言う。

「この沢田さんはエージェントではないんだ。でも特殊能力を持っている。口外無用だ」

 イザベルは、見映えのしない沢田の姿を足元から顔まで見た。


 

 

 

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