第7話水素エネルギー

2019年4月3日水曜日AM9:00

 沢田はFJクルーザーを広い砂利の駐車場に乗り入れた。入り口には『水素エネルギー研究所』と看板が出ていた。

 駐車所の奥にはガラクタの様な機械の残骸が積み上げてある。


 研究所の建物を見る。プレハブの大型倉庫だった。間口が10メートル程ある。

 建物正面の中央のシャッターは閉じられていた。横のドアを開けて沢田は中に入った。

 すぐにカウンターが有るが、誰もいない。カウンターの後ろは衝立で倉庫の中は見えないようになっていた。

 沢田は叫んだ。

「ごめんください!」

 衝立についているドアが開き、メガネを掛けた中年の女性が出てくる。

 沢田を訝しげな顔で見る。

「何か御用でしょうか?」

「水素エネルギーの事でお聞きしたいのですが」

 いくつかの質問に答え、沢田は中に通された。

 

 倉庫の中は広く、奥行きが20メートルは有りそうだった。機械類やタンクが所狭しと置いてある。

 メガネの女性は沢田に一人の男を紹介した。

 この研究所の社長でメガネの女性の夫、矢部洋一だった。

 身長160センチで小太りの矢部はパソコンの前を離れ沢田の前に立った。丸顔の額に汗が光っている。

「初めまして。矢部です・・・投資家の方だそうで」

「はい。沢田といいます」

「うちでは8年前から水素の事業をやっておりまして、今のところはこの周辺で出ている天然ガスから水素を取り出して電力業者に販売しています」

「環境に対しての負荷が少ないという事ですね」

「確かに、全ての工程を考えても、油を燃やして発電するよりもCO2の排出量は少ないです」

「『今のところ、天然ガス』と聞こえましたが」

 矢部は汗を拭いながら答える。

「水から水素を取り出す研究をしています。少ない電力で」

「水からですか」

「そうです。水から水素を取り出して燃やしても、排出物は水だけです。水素が酸素と化合して水を作り出します」

「元の水に戻るわけですか?」


 矢部は30分にわたって説明したが沢田の理解の範疇を超えていた。

 最後に矢部が言った。

「結局、問題は大きな電力を使わないと水から水素を抽出することが出来ない事なんです。いかに少ない電力で水素を取り出せるか。あるいは電力以外の何かで水を分解できればいいのですが・・・」

「今、やっているのは?」

「レーザーを試しています」

「危険は無いんですか?」

「爆発を起こしそうになり直前で何度も中止している状況です」

「見通しは?」

「あと一歩なんです」

「それが上手くいったら、世界的な発明になりますよね」

「その通り。エネルギー革命です」


 沢田は成田市の弁護士事務所で矢部と向き合っていた。

 自分の意志とは関係なく5億円を『水素エネルギー研究所』に投資し、同社の株50%を手にし、自身は副社長となった。


 その後2週間は研究所に毎日通って水素の勉強をし、今現在の水素の販売網までを把握した。


 3日に一度はユキと会って食事をし、彼女が沢田の家に遊びに来るまでになっていた。


 沢田にとっては、忙がしく楽しい毎日になった。



4月17日水曜日

 沢田はユキの家に夕食に招待されていた。親しい友人という事でだ。

 初めて両親と会うことに青年の様に緊張していた。

 長方形のダイニングテーブルの短辺に父親。長辺の一方にユキと沢田。反対側に母親と妹が座っていた。テーブルにはエビフライとロールキャベツ、サラダが並んでいる。


 取り分けた野菜にドレッシングを掛けながら父親の浩司が沢田に言う。

「ユキからあなたの話は何度か聞いていましたが、水素会社の副社長さんとは知りませんでしたよ」

 沢田が自分と同年齢だと知った時には不愛想だったが、副社長と聞いて態度が軟化していた。

 母親の雅江が言う。

「ユキとはどんな?・・・」

 ユキが制止する。

「お母さんやめてよ。沢田さんは図書館の常連さんで私のいい話し相手なの」

 16歳の妹、ナオミも興味深々だ。

「お姉ちゃんとは歳が離れすぎだけど、バツイチ・出戻りだから贅沢言えないよね」


 何となく『彼氏』という立ち位置にして貰い、沢田は満足していた。

 約2時間を小川家で過ごして沢田は席を立った。

 沢田を車まで見送るユキが小さな包みを沢田に渡す。

「これ、シロにあげて。エビフライ」

「ありがとう。あいつ喜ぶよ」

 ユキが沢田の唇にキスした。突然だった。

「好きだよ・・・ジュン」

 ユキは走って家に戻っていった。


 沢田は気が付くと地上50メートルを漂っていた。

 慌てて車に戻り家に帰る。


 沢田はエビフライを食べるシロを見ていた。

「これ、うまいね」

「ユキがくれたんだよ。お前にって」

「好きだよ、あの子・・・ここに住めばいいのに」

「そんなに簡単じゃないんだよ、人間は」

「めんどくさいんだね」



 その晩、沢田のスマホが一つの音声ファイルを受信した。

 家の屋根の上には天使サイラが座っていた。

「上手く使うんですよ」



4月18日

 朝7時前にシロに起こされた沢田はいつもの砂浜を歩いていた。ゆうべ見た夢を思い出して考える。

『上手く使え』

 何の事だろうと考えるが、何を使うのかが分からない。

 シロが遠くで吠えている。

「早くおいでよ。走ろう」

 履いてきたサンダルを脱ぎ捨ててシロの横を駆け抜けた。シロも負けじと追ってくる。走る沢田の歩幅は5メートルを超えていた。


 家に帰り、シャワーでシロの身体を洗い流し、沢田もシャワーを浴びる。

 朝食を済ましてスマホを手に取った。見た事のないファイルがスマホに入っている。

 再生すると丁度30秒の雑音が録音された音声ファイルだった。

 何度も繰り返し聞いたが、ただの雑音だ。沢田はファイルを削除しようかと思ったが、夢で見た『上手く使え』を思い出し考える。


 電気やレーザーで分解できなかった水が音で分解出来たら・・・


 沢田は大慌てで車に乗り込み、研究所へと向かった。



 水が貯められた大型タンクの両脇に設置してあったレーザー装置に代わって、水に振動を与えられる水中スピーカーをタンク内に設置していた。


 沢田はスマホのイヤホンジャックにケーブルを差し込み、スピーカーが接続された矢部愛用の古いサンスイのアンプに繋ぐ。

 スマホのファイルを開き再生した。


 矢部がタンクを見つめながらアンプのボリュームを上げる。

 10秒後にはタンク内の水から気泡が出てくる。

 矢部の顔が興奮で紅くなる。

 さらに5秒後、タンク上部に付けられたオーバープレッシャーバルブが開放され、排出されたガスが隣に置かれた10気圧までの耐圧タンクに充填される。

 30秒で音声ファイルが終了し水タンクからのガスの排出が終わる。耐圧タンクへのバルブを閉めた。


 沢田は耐圧タンクから伸びたノズルの先にアルコールランプに火を点けて置いた。矢部がノズルの元にあるバルブをゆっくりと開ける。

 ノズルから噴出されたガスはアルコールランプの火に引火し、青白い炎を上げて力強く燃えた。


 沢田は茫然と炎を見つめた。矢部は床に膝をつき、涙を流していた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る