第4話単純な生き方
3月27日水曜日 PM2:20
沢田はホームセンター『カインズ』に来ていた。ニンジンの種を買いに来たのだ。
店員に聞くと庭の土で育てる場合は、まず土を整えなくてはならないと言われた。種まきの2週間前に耕して石などを除いて堆肥と石灰を混ぜて畝(ウネ)を作って・・・。
ポカンと口を開けて聞いている沢田に、店員はプランターでの栽培を勧めた。面倒の無い専用の土も有ると言う。幅80センチほどのプランターと肥料の混ざっている土、ニンジンの種を買って沢田は家に戻った。
庭でプランターに土を入れている沢田の横でシロが座って見ている。
シロの声が聞こえる。
「何してるの?」
「ニンジンを育てるんだ。お前も野菜好きだろ?」
「肉の方が好きだけど、たまにキャベツの芯もいいな」
「ニンジンだって言ってるだろ」
「何でもいいけど、今食べてるドックフード・・・まずい」
「不味いか。じゃあ俺と同じもの食べるか?」
「それがいい。薄味にしてね」
「じゃあ夕飯からそうしよう。今日は焼き魚だから、ゴハンに魚を混ぜて、ちょっとお湯を掛けるか」
シロは立ち上がって3回周って「ワン!」と吠えた。嬉しいのだろう。
沢田は家に入り、昨日借りて来た本を手に取って愕然とした。
『無痛分娩のすすめ』
小川ユキの顔を思い浮かべ、一人で赤面した。次に図書館に行った時に何とか言い訳しようと決めた。
これからどうしようかと考えた。
いくつもの超人的な力を得たが、自分は何をしたいのか。今の生活に取りあえずは満足していた。欲しい物も特に無い。家も有るし車も有る。食べたい物も食べている。パートナーとなる女性がいれば言う事無いが、女はいろいろと要求が多い。金が掛かる。
この家に一緒に住んだとしても、ソファーが破れているから新しいのを、カーテンの色が、可愛いお皿を見つけたの、乗り心地のいい車に・・・想像するだけで、金の掛かる事ばかりだ。
金?・・・金が有ればいいのか。大金を持っていれば女の我儘にも応えられる。国産牛も食べられるし、いい車も買える。
今までは満足していたのではなく、諦めていたのか?
金を持ってみれば分かる事だ。念力で簡単に金を稼ぐ方法。
沢田は財布を持ってアルトラパンに乗り込んだ。向かう先はパチンコ屋。
5時間後、沢田は鼻歌を歌いながら車を運転していた。財布にはスロットマシンで儲けた18万円が入っていた。いつものスーパー『トウズ成東店』で国産牛のステーキ肉を2パック買った。発泡酒ではなく、冷えている缶ビールも1ダース買う。
家に戻ってシロにステーキ肉を見せる。シロは尻尾を振って臭いを嗅ぐ。
「生がいい?それとも少し焼くか?」
「早く食べたいけど、冷たいのは嫌だな・・・でも、今すぐ少し食べたい」
300グラム弱の肉から少しだけ切ってシロに食べさせた。
「旨い! 最高・・・でも冷たい」
「だろ?ちょっと待ってろ。今、焼くから」
2枚のステーキをレアに焼き上げた。シロは鼻を鳴らして食べている。
沢田はビールを飲みながらステーキを味わった。幸せだった。
ステーキを食べ終わり、2本目のビールを飲みながら考える。
もっと大きく稼げばもっと幸せになるのか・・・
3月28日 AM7:00
沢田はシロと砂浜を歩いている。さんざん走った後なのでシロは疲れていた。
シロが何か言っている。
「何だ? はっきり言え」
「きのうの肉、もう無いの?」
「そんなに旨かったか。あとで買って来てやるよ」
「毎日、あれでいいよ」
「バーカ。高いんだぞ、あの肉は。お前が食べた分だけで3000円だ!」
「お金、無いの?」
「まだ有るけどな」
「じゃあ食べようよ。自分だって『旨い』って言ってたでしょ?」
シロは真っすぐに沢田を見ている。
「お前はいいな、単純で」
「『タンジュン』の反対は何て言うんだっけ・・・『フクザツ』だ。複雑に考えるより単純に考えた方が楽しいよ」
沢田はシロの顔を見た。
「実に動物的な考えだ・・・お前は動物だったな」
「自分だって動物じゃないか」
沢田はスーパーで昨日と同じステーキ肉を有るだけ全部買った。20数枚のステーキ肉の代金は約7万円だった。
ステーキの昼食をシロと済まして沢田は北西へと飛んだ。高度1000メートル程で下を確認しながら飛ぶ。すぐに左手にスカイツリーが見えて来る。その先はすぐに埼玉県だ。今日の行き先は浦和競馬場だった。
午後の4レースで念力を使い、約600万円を手に入れた。目立たないように換金には気を遣った。
持って行った小さなショルダーバックに600万円を入れて浦和競馬場近くの駐車場から飛び立った。
自宅に帰った沢田はダイニングテーブルに持ち帰った600万円を置いた。銀行に預けてある1200万円と合わせて所持金は1800万円になった。
年金が出るまでの間、それ程の節約をしなくても大丈夫・・・小さな考えを頭から追い出す。
『もっとだ・・・』
パチンコ屋のスロットマシンは念力で勝つことが出来た。カジノのマシンも同じだろう。カジノならルーレットも念力で操作できる。
カジノならラスベガスか。ダイビング旅行で何回か行ったフィリピンにもカジノが有った。セブにもマニラにも数か所に有った記憶が有る。韓国にもマカオにもカジノが有る。沢田の頭の中はカジノで一杯になっていた。
3月29日 金曜日 AM11:50
沢田は庭に七輪を出してイワシを焼いていた。家の中に残る臭いが嫌なのだ。
焼き網の上には丸々と太ったイワシが3匹とアルミホイルに包まれたステーキ肉が乗っていた。肉はシロの昼食で、軽く温めるだけだ。沢田はステーキには少々飽きていた。
ニンジンのプランターに水をやる。
天の声には逆らえない。
午後1時。イワシと納豆の昼食を終えて沢田は出掛ける用意をした。
飛ぶ用意だ。長距離の飛行に挑戦してみる。目指すは富士山頂だ。
グーグルマップで調べると、直線距離で約200キロだった。高地の低気温も気にならなかった。力を得てからは寒さにも強くなっていたのだ。
布製の黒のジャンバーとジーンズにスニーカー。頭にはニットキャップを被った。ポケットには念の為にチョコレートを押し込んだ。
沢田は2階のベランダから飛び立った。一気に高度を約1000メートルまで上げる。
右腕に付けたダイビング用のコンパスで方向を定める。真西に向かうのだ。左腕の時計で時間を確かめる。午後1時20分。何分で着けるのか楽しみだ。
飛び始めて空地抵抗の大きさに気が付いた。高度をさらに上げるとスピードを楽に出せる。
高度3000メートル位だろうか。雲が下に見える。呼吸は苦しくない。
すぐに富士山が近くなり山肌に沿って頂上を目指す。
富士山頂。沢田はカルデラの窪みを挟んで観測所の反対側に着地した。周りは雪と氷に覆われている。吐く息が白いが寒さは感じない。
時計を見ると午後1時45分だ。約200キロを25分で飛んでこられたと言う事は、平均速度が480キロだ。初めから高度を上げていれば時速500キロは軽く超えただろう。
力を得てからは頭も多少はシャープに動くようになっていた。
ポケットに入れていたチョコレートを出したが、まるで黒い氷のようになっており、ポケットに戻した。
『刺身と温かい味噌汁を食べたい』
沢田は富士山頂を後にして南へと飛んだ。
すぐに伊豆半島が見えて来る。
ダイビングで頻繁に通った伊豆だ。沼津港の倉庫の裏、人気の無い場所に降り立って寿司屋に入った。
カウンターに座り次々に注文する。中トロ、穴子、ブリ。獲れたてのホウボウに太刀魚。それとあら汁。
沢田が沼津港を飛び立って山武市の自宅に着いたのは午後4時だった。
高度約3000メートルを飛んだ帰りの平均速度は約900キロだった。ほとんど民間旅客機と変わらない。
流石に疲れていた彼はビールも飲まずにソファーで横になった。
夢に図書館の小川ユキが出て来る。
笑顔で沢田に近寄り耳元で囁く。
「無痛分娩、最高よ!」
「あ、あ、あれは従妹に頼まれて借りて・・・」
シロに顔を舐められて起きた時には午後8時になっていた。
「おなか空いたよ」
「わかった。今用意するから」
ステーキ肉をアルミホイルで包んでオーブントースターで3分温める。その調理方がシロの好みの様だった。火は通っていない。温まっただけだ。
自分用にはレアに焼き上げた。ご飯はレンジで温める簡単なやつだ。
食事が終わり、沢田はビール片手にテレビを眺めていた。
宝くじ、ロト7の事を思い出し、スマホで当選番号のサイトを見る。
『17、25、26、28、31、32、37』
自分が買った番号はメモ帳に控えて有る。スマホの画面と照らし合わせる。
同じ番号が並んでいる。何度見ても同じ番号だ。当たった。1等が当たっている。
当選したのは3口だが、1口あたりの当選金が933583800円。9億円!
沢田はシロの顔を見た。
「当たっちゃったよ、ロト7・・・9億だぞ!」
シロは首を傾げる。
「・・・分からないけど、良かったね。嬉しそうで僕も嬉しい」
沢田はシロを抱きしめた。
シロの眼は沢田が残したステーキの脂身を見ていた。
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