第3話ニンジンの為に

2019年3月26日火曜日AM8:00

 沢田は朝の散歩を終えてシロと家に帰って来たところだ。

 朝食を済ましてテレビを点け、ソファーに横になる。

 9時になり、借りていた3冊の本を持って、大宮ナンバーのままのスズキ・アルトラパンに乗った。

 小さな車だが、丸型ライトとベージュのボディカラーが古いフランス車のようで沢田は気に入っていた。

 ターボ無しのノーマルエンジンなので速くは無いが、アクセルを踏むだけの気楽なATで、気に入った音楽を聴きながら走るのが好きだった。10年で12万キロを走っていた。


 図書館に向かう。シロは留守番だ。沢田は普段よりは少しだけ、小奇麗な格好をした。


 山武市の図書館は小さい。隣の東金市の図書館は規模が大きく蔵書も多いが沢田の目的は他にもある。

 図書館の受付に借りていた本を返却する。いつもの女性。

「おはようございます、沢田さん」

 沢田は驚いた。彼女が自分の名前を憶えてくれているのだ。

「お、おはようございます。僕の名前、覚えてくれたんですね」

「沢田さん、読書熱心だから。もう、ここの本は全部読んじゃったんじゃないですか?」

 笑顔で沢田を見ている。

「いや、まだまだです。 あ、あのお・・・お名前は」

「あっ、私? 私は小川ユキです」


 小川ユキ。26歳のバツイチだ。明るい笑顔が人気だが、他の女性職員からは嫉妬からか嫌われている。

 週に2回は図書館に来る沢田の名前を、会員証から憶えていた。笑顔で礼儀正しく話す沢田の事を悪くは思っていない。『いいお父さん』と言った印象だ。


「小川ユキさんですか・・・宜しく」

 沢田はもっといろいろと聞きたかったが、下心があると思われるのが嫌で書棚の方に移動した。

 何か本を選ばなくてはならないが、彼女と初めて会話した興奮で本を選ぶどころでは無かった。適当に2冊の本を借り出して図書館を出た。

 アルトラパンに乗り込んで走り出す。自然と笑みがこぼれる。


 図書館の小川ユキの所に30代独身男性の同僚が来て言う。

「あのジイサン、又来たね。キミに気が有るんじゃないの? 気を付けた方がいいよ」

「まさか。暇つぶしに毎日本を読んでるだけでしょ。借りればタダだし」

「今日は何を借りてったの?」

 ユキは肩を揺らして笑いながら言った。

「それがね・・・可笑しいの。『真田幸村の陰謀』と『無痛分娩のすすめ』・・・」

 2人は机の下に隠れて笑った。



 家に帰る前にスーパーで買い物だ。本須賀の交差点近くの『トウズ成東店』に沢田は立ち寄った。

 今日の朝もシロに負けずに走ったので腹が減っている。身体が肉を欲していた。

 ステーキ肉を見る。旨そうなのが有るが、100グラム1280円と高い。100グラム680円で売っていたオージービーフの200グラムのパッケージをカゴに入れる。

 豚肉、納豆、野菜、パン、牛乳を買って車に乗った。

 いきなり後ろから衝撃。見るとアルトラパンの後ろに、バックで古いセルシオが突っ込んでいる。ブレーキとアクセルの踏み違えか。

 沢田は車から降りた。セルシオからは若い短髪の男が降りて来た。ヤンキーという奴だ。角刈りの様な髪の毛を茶色に染めている。

 助手席からは金髪の10代に見える女が降りて来る。

 角刈りが、傷ついたセルシオのバンパーを触って言う。

「あーあ、やっちゃったよ。テールレンズ、ひび入ってるし」

 沢田の方を見て角刈りが続ける。

「オジサンのは? 凹んだ?保険使った方がいいかな・・・まいったな」

 沢田が言う。

「おい・・・まず言わなきゃならない事があるだろ?」

「心配すんなよ、直すから。軽だから安いだろ。こっちは塗装したバッカなんだよ。メタフレーク塗装、タケーンダヨ」

「お前、バカか?」

 金髪女が笑って言う。

「バカって言われてるし」

 座っていた角刈りが立ち上がり、沢田の目の前に立って見下ろす。デカイ。

「バカだと? 直してやるって言ってんだよ!」

 アルトラパンの屋根を叩いた。屋根が少し凹んだ。沢田の中で何かが弾けた。

「悪い事や間違った事をしたら『ごめんなさい』だろ。親や学校の先生に習わなかったのか?」

 沢田がセルシオのトランクを叩いた。腕が、肘までトランクに入った。穴が開いたのだ。

 男の顔が驚きと怒りで真っ赤になる。沢田が言う。

「お前が俺の車を一度殴った。俺も一度殴った。おあいこだろ」

 角刈りが沢田に殴りかかる。沢田の左頬に男の右ストレートが入った。一歩下がったが踏ん張った沢田が男のボディに軽く右拳を入れる。

 男は地面に崩れ落ちた。

 5分以上、口が利けずに喘いでいた。男は別れ際に修理代と言って10万円を沢田に渡した。現金は3万円しか持っていなかったので、向かいのセブンイレブンのATMで引き出させていた。

 

 家に向かう車内でも沢田は平静だった。速く走れるようになってから、自分は無敵になったと感じていた。


 家に帰り、買って来た物を冷蔵庫に仕舞い、駐車スペースに停めたアルトラパンをシロと一緒に見る。

 修理に出さなくてはと思いつつ、沢田は後部の凹みの部分を見た。元に戻ればいいと思い見つめると『ボコッ』という音と共に凹みが外に出た。さらに見つめて念じる。『元に戻れ・・・』後部の凹みも屋根の凹みも治ってしまった。凹んだ際に出来た塗料のヒビワレが残る程度だ。

 念力を手に入れた。

 倒れ掛かっているテレビアンテナと雨どいの修理も念力で出来るかも知れないと思い、沢田は針金と工具を持って、2階のベランダから屋根に上がった。

 テレビアンテナのパイプは真ん中で折れ曲がっており、念力で真っすぐにして針金で固定して終わった。雨どいに向かって屋根を歩く。滑らない様に気を付けて。

 屋根に座り込んで雨どいを見る。プラスチック製の雨どいには穴が開いていて、新品への交換が必要だ。

 その時不吉な音がした。

『バリバリバリッ』

 沢田が乗っていたのは軒先の屋根の部分で、壁から庇で突き出している場所だ。腐っていたその部分が崩れ落ちる。

 高さ7メートル近くからコンクリートの上に・・・・落ちなかった。

 沢田は地上2メートルくらいの場所で浮遊していた。下で見ているシロが尻尾を振って吠えている。何かを言っている。

「飛べるのか?」

「浮いてるけどな・・・飛べるのかも知れない、ちょっと待ってろ」

 沢田はシロに手を振って『高く』と念じた。すぐにスウッと身体が持ち上がる。

 高度が上がる。

 自分の家が遥か下に見える。そのまま海の方に向かう。海までは直線距離で僅か500メートル。すぐに海上に出た。

 沢田は時間を忘れて飛び回った。あまりの爽快さに涙を流して笑いながら飛んだ。海岸線を北上し、屛風ヶ浦まで行って戻って来た。


 誰もいないのを確認し、庭でアクビしているシロの横に着地した。


 沢田は家の中に入り、食事の用意をした。倒れそうなほどに空腹になっていた。飛ぶと腹が減るのか。確かに相当のエネルギーを使う筈だ。

 買って来ていた、牛肉、豚肉、納豆を3合のゴハンと共に完食した。

 午後3時。出掛ける予定も無いので冷蔵庫から発泡酒を取り出して飲みながら考える。

 スピード、力、念力、飛行。そしてシロの考えが分かる。どれひとつ取っても凄い事だ。考えている内に寝てしまった。


 沢田が目を覚ますと午後10時になっていた。何時に寝て何時に起きても誰も文句を言わない。リフォームが終わってからの半年間は、シロの散歩以外は実に怠け者の沢田だった。しかし今は、やらなくてはならない事が有る。自分の能力を確かめるのだ。

 尋常ではない速度で走れる事は分かっていた。瞬間移動の様に砂浜でシロから離れたり戻ったりが出来る。馬鹿力も確認した。玄関先に転がっていた10ミリの鉄筋を、まるで細いハリガネの様に曲げられる。


 ジーパンと黒いジャンパーを着て沢田は外に出た。すぐ先に九十九里ビーチラインという道路が有り、国道126号線の裏道として、夜間は猛スピードで走るトラックが多い。

 道路脇に立つとすぐに猛スピードで走って来る大型トラックが見える。

 沢田はトラックを見つめて意識を集中した。

『止まれ!』

 時速80キロで走っていた大型トラックは沢田の手前50メートルで音も無く急停止した。シートベルトをしていなかった運転手がフロントガラスを突き破って飛び出て来た。

 道路に落ちた若い運転手がヨロヨロと立ち上がった。沢田が近寄って声を掛ける。

「大丈夫か?」

 運転手は沢田の顔を見てからトラックに視線を戻して言う。

「急に止まって・・・」

「まあ、怪我が無さそうで良かったな。気を付けて」

 運転手は額をさすりながらトラックに歩いて行った。


 沢田は自分の念力が強力な事を確信した。九十九里ビーチラインを海側に渡ると数軒の民家があるが、夜10時を過ぎると全く人目が無い。飛び上がる。


 真っすぐに上昇した。沢田の眼下には九十九里浜が広がる。北側の先に見える灯は銚子の街だろうか。

 東京方面に見当を付けて飛ぶ。高度は1000メートル。下が暗い。山なのだろうと考えていると海に出た。東京湾だ。

 気持ちよく飛んでいる沢田の後ろから大きな物体が接近する。

 沢田が振り返ると100メートルの距離から飛行機が近づいて来る。高度を上げてギリギリで飛行機を避けた。

 羽田空港の近くだった。進路を北に取ると、すぐに東京タワーとビル群が見えて来る。


 沢田は東京タワーの頂上部に座って東京の街を見下ろした。騒音が300メートルを超える高さまで聞こえて来る。

 何処からか声がする。沢田はキョロキョロと辺りを見回すが、もちろん誰もいない。

「ニンジンの為に力を使いなさい・・・」

 沢田は首を傾げた。天の声?

「ニンジン?・・・庭で育てるか」



 宇宙船ミルキー号でミルク神に報告を終えた天使サイラは再び地球の大気圏内に戻っていた。 

 東京上空から、力を与えた沢田にメッセージを送った。

「隣人の為に力を使いなさい。地球を救うのです」


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