第4話 そうだよ、竜也

 脳内に次々に浮かぶのは、ある日突然キッチンで昏倒した奈央の姿、病室に横たわり日に日にやせ細っていく姿。そして、蝉が大合唱する中で静かに息を引き取った姿――。

 思い出してしまった。僕が自殺した理由を――。

 病死した最愛の妻を追って、ビルから飛び降りたのだ。


 

 僕は嗚咽とともに言い訳を始めた。

「ほ、骨もまともに拾えなかったから……一周忌までは……ちゃんとやらなきゃと、思って……」。

「うん、見てたよ。死んだらみんな次の〝出番〟が来るまで現世を見守るのが仕事なの」

「それが終わったら、奈央のところに行こうって決めてて……」

「うん、一年、本当にがんばったね」

 奈央がどんどん透けていくのは、僕の視界が涙でぼやけているせいではない。

「やっと一緒にいられると……」

 奈央は僕の頭をくしゃくしゃと撫でて、キスをした。

「いられたでしょ? 百日間も」

「嫌だよ、これからもずっと――」

「竜也、聞いて。私は幸せだったし、これからも幸せだよ。あんたが元気で生きてくれている限り」

 そう言い終えると、奈央は顔をくしゃくしゃにして笑った。ずるいと思った。そう言われてしまっては、死ねなくなるではないか。奈央の後を追うことを、許されなくなってしまうではないか。

 神様がくれたのは、〝死に際の猶予〟ではなかった。生き続けるために、妻との別れを惜しむ猶予――。

「奈央、奈央、愛してるよ、そばにいたい」

 僕はそう言い続けるほかに、術がなかった。顔はきっと涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。

「私もよ。思い詰めたあんたに、何もしてあげられなくてごめんね」

 自分を呪った。あの晩、僕は自殺を止めてくれなかった奈央をとがめてしまった。止められるはずがないのに。

「奈央……」

 ぐしゃぐしゃの僕に、奈央はもう一度キスをした。

「竜也がいない世界なんか見守る必要なくなるでしょ? 私にやりがいを与えると思って、もうちょっとだけそっちにいてね」

 そう言って笑うと、ふわりと僕を包み込む。抱かれた実感のないまま、奈央の身体は小さな光る塵となった。同時に、夕日が水平線に姿を消したのだった。



++++



 目が覚めると、真っ白の天井が飛び込んできた。

 部屋に響くのは、自分の心拍を示しているであろう電子音。目に涙をためてのぞき込んでいたのは、僕の母親と、奈央の母親だった。ふたりは慌てた様子で僕に声をかけ、奈央の母親は医師を呼びに行った。


 痛い。全身が裂けるように痛い。ということは、やはり助かってしまったのだ。そして僕は生きていかねばならない。寿命が尽きるまでの、あと少しだけ。

 ――そうだろう、奈央。



(了)


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神様がくれた100日 滝沢晴 @haretakizawa

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