第3話 逢魔が時


 僕らはベッドになだれ込み、睦み合った。

「あれ、もうどれくらいしてない?」

 奈央と肌を重ねるのは久しぶりだと思い出す。奈央は「さあ」といたずらっぽく笑った。そして足先で僕の太ももを誘うようにつついた。

 ああ、奈央だ。

 もうずいぶんと身体を重ねてきたはずなのに、僕はなぜかひどく感動していた。島にふたりきり、という環境がそうさせてくれるのか。それとも、僕にもう百日――いや、正確にはあと九十七日の猶予しかないせいなのか。僕は奈央が求めることを、全てしてあげたかった。彼女が、僕を、忘れないために。

 睦み合った後のまどろみの中で、奈央がふと真剣な顔でこう言った。

「竜也、愛してる……あんたのいない世界なんか価値がないんだってば……」

「僕が自殺する前に聞きたかったな」

 僕は少しだけとがめるような返事をした。きっと奈央なら、僕が自殺するほど追い詰められていたことに気づけるはずだ、という甘えからだった。

「うん、言ってあげられなくて、ごめんね」

 奈央は懺悔する天使みたいに微笑んだ。


 それからは毎日、くたくたになるまではしゃいで、意識がなくなるまで身体をつないで、泥のように眠った。

 きょうも、朝は奈央が先に起きた。たたき起こされた僕は、朝食を作る奈央の向かいでコーヒーミルをがりがりと回す。その香りで、少しずつ眠気が吹き飛んでいく。そう――百日目の朝が来た。

 二人で話し合って、特別なことはせずに過ごそう、と決めていた。

 シュノーケリングをしてカクレクマノミに威嚇されたり、釣った魚をムニエルにして食べたり、砂浜で本格的な城を作ったりした。

 気の利く神様なのか、僕らが欲しいと思った物は必ずコテージにそろえられていて、コーラが飲みたいと思えば、冷蔵庫に冷えていた。僕はそれをグラスに注ぎ、テラスで本を読んでいる奈央に渡した。

「何読んでるの」

「……『最後のバカンス』」

 タイトルを聞いて、僕は眉をひそめた。読んだことがあるのを思い出したのだ。とても嫌いだ、という感想とともに。

 男が死ぬ間際の一瞬、神様が時間を止めて恋人と三年間のバカンスを与える、というストーリーだった。

「僕たちみたいだね」

「そう?」

 奈央は小説を閉じて、夕日を見ようと僕を砂浜に誘った。


 浜辺に腰掛けて、水平線に沈む夕日を並んで眺める。なぜか背中がぞわりとした。

「夕日ってきれいだけど、気持ちがぞわぞわとせり上がる時があるんだ」

「逢魔が時ってやつね」

 魔物がやってくる時刻――と言葉の意味を思い出して、僕は吹き出した。

「魔物は僕か、いや、幽霊かな」

 奈央は僕をまっすぐ見つめて首を振った。

「――違うよ、竜也」

「……奈央?」

「あんたは、幽霊じゃない」

 意味が分からない僕に、奈央はあきれたように笑って、僕の肩に頭を預けた。なんとなく、この日が沈むのと同時に、この百日間の猶予が終わってしまう気がした。

 すぐに僕は異変に気付く。僕の肩に預けていたはずの奈央の重みを感じられなくなっているからだった。不思議に思って見ると、奈央の身体が透けていた。

「な、奈央……?」

「竜也は本当に馬鹿。私なんかを追いかけてきちゃって」

 その言葉に、僕の記憶の殻が、バチンと音をたててはじけた。


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