聖年抄

かぷっと

第1話

夜の帳はとうに降り、

懺悔室は静寂に満ちている。

震えそうになる声を、低く、低く押さえつけ、

私は主へと頭を垂れた。

「告解します。

私は赦されない罪を犯しています」



初めて彼に出会ったのは花冷えする、ある春の日。これから通うことになる、高校の入学式の日だった。

長いホームルームを終え、僕は高校生になった実感もなく、ぼんやりと帰路に着こうとしていた。生徒の大半は式に来た両親とそうそうに帰宅しており、昇降口は閑散としている。

先程教えられたロッカーを見つけるのに手間取っていると、鋭い風が容赦なく頬を突き刺した。冬に引き返したかのようだ。小さく身を震わせながら、いそいそと履きなれないローファーに足を滑らせ、僕は外へと歩を進めた。



急ぎ足で校門へ向かっていると、なんだか視界の端に気を惹かれるものを見た気がした。初めは

何ということもないと、取り直し歩いていたのだが。どうも、後ろ髪を引かれてならない。

儘よ、と踵を返し結局引き返すことになった。


見つけた。

校庭の隅の枝垂れ桜。その下に、少年が佇んでいた。年老いた幹に手を添わせて、花盛りの樹冠を仰いでいる。白い花弁が、濡れ羽根の髪に雪の様に薄ら降り積もってた。その様子が、息を呑むほど儚くて。

今にも消えてしまいそうだと思ったのを、

よく覚えている。

ふらふらと誘われるように、僕の足は校庭へと降り立っていた。なぜか標本ピンで打たれたかの如く、視線を逸らすことができない。

すると、小さな学ランの背がくるりとこちらを向いた。切れ長の瞳は濡れたように黒々としている。

「どうかなさいましたか?」

不躾だっただろうかと、慌てて弁解する。

「いえ、ただ少し学校を見てまわろうかと思っていて。時間があったので、その」

ドキドキしながら、口の中でもごもごと出まかせの言い訳を並べた。そんな弁解でも信用して貰えたのか、彼の形の良いかんばせからは戸惑いの色が薄れ、ふわりと綻んだ。

「そうだったんですね。新入生ですか?」

こくりと頷く。

「なら、もしよければですが。教会へ来てみませんか?」

鼓膜を擽るような柔らかな声が、なんだか快くて。気がつけば、僕は再び頷いていた。



件の教会は本校舎から少し離れた、図書館の更に奥まったところにある。この学校は男子校には珍しいキリスト教、さらにはカトリックの考えに基づいた教育を施すミッションスクールだ。偏差値がそれなりに高く、明治から続く由緒ある高校で人気が高い。他府県からの受験も多い為、小さいながら寮も作られている。説明会の中で、散々聞かされた話だ。

「ここです。綺麗でしょう」

指された方に目をやる。赤煉瓦造りの、歴史を感じさせる建物だ。すくっと伸びた時計塔の上には、豪奢に象られた十字架が輝いていた。重厚な木製の扉を押し開け、中へと通される。


白の吹き抜け天井に、ステンドグラスの窓。ずらりと並べられた百余の長椅子たちが、教会の広さを際立たせている。正面奥には荘厳な祭壇があり、イエスが磔にされた十字架が掲げられている。施された繊細な細工が美しい。近くにはビロードの敷物を被せられたパイプオルガン。薄く積もった埃でさえも、この場に似つかわしいような気がした。立派な教会だ。

「素敵なところですね」

思わず感嘆の溜め息をつき、自然と言葉を零す。少し前を歩いていた彼は、我が意を得たりと言わんばかりに相好を崩した。

「そうでしょう。私、本当にここが好きで」

頬を緩め、傍の長椅子を撫でている。その薄い手が滑らかな木の目を慈しむように摩っているのをみると、まるで彼が椅子と談話しているかのような錯覚さえ抱いた。

「神を、我が主をこんなにも身近に感じられる」

親の庇護下に帰った幼子の面持ちで、ゆったりと腰掛ける。手招きに従い、隣に座る。

「僕はキリスト教徒ではないのですが、分かる気がします」

言ってしまってから、適当な同意だと思われただろうか、不快にさせたかもしれないと後悔した。しかし彼は依然朗らかな様子で、よかった、と囁くように呟いた。

柔らかな沈黙が、二人の間に流れていた。言葉を交わさなくても、同じ心持ちでいるのがよく分かっていたからだろう。

「ここは、寂しい所なんです」

――だから、少しでも訪れる人が増えればいいな、と思いまして。

はにかんだ様に笑いながら、目を伏せた。くるんと持ち上がった少し短い睫毛が、目元に淡い影を落としている。

「また、来てもいいですか?」

斜陽の茜がステンドグラスの窓を通り、教会の壁に黄金の光を散らしている。

「待ってます」



彼のことを思い出す時、沢山の色鮮やかなのフィルムを手繰り寄せることになる。しかしこの記憶だけは焼印を押したように、いつまでもその存在を訴え続けている。彼の声が、私の脳に深く彫り込まれて消えることがない。

彼は今もあの教会で、僕を待っているのではないか。そんな奇妙な愛しさに、胸を支配される。そんなはずもないのは、自分が一番理解しているというのに。

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聖年抄 かぷっと @mojikaki

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