第9話【森、再び】

 少女は睡眠薬の服用を初めてからというもの、それまでが嘘のように眠りに付けていた。少女自身、服用を初めて二週間を過ぎた頃から、自分が少し依存的になりかけている事に気づいていた。ここ一ヶ月程の間、寝起きすぐの頭痛を嫌がり、服用を我慢した事も何度かあった。しかしそれでは、どれだけ疲れが溜まった日であっても、一向に眠れないのである。

 夢の中でしか、得られない刺激がある。しかし、少女は眠れない。眠らなければ夢を見られない。夢を見られなければ、自分の知的好奇心を満たせない。そうして、睡眠薬のケースに手を伸ばしてしまう。

 夢の世界は、少女の知的好奇心を満たすと共に、少女の薬物依存へ拍車を掛けているとも言えた。


 少女は椅子に座り、机に向かって頬杖を付いていた。何をするでもなく、ただぼーっと、目の前に並ぶスノードーム達を眺めていた。

 それは、少女の旅の軌跡。楽しいこともあれば、怖いこともあった。辛いことや悲しい事も、もちろんあった。友達も沢山出来たし、色々な生き物の話だって沢山聴いた。

 少女は、今まで出会った生き物達を、一匹だって忘れていなかった。

(今まで出会った皆で集まってお茶会でもしたら、すごく楽しいだろうな)

 少女はそんな事を思い、頭の中に描かれた様子を見て、その微笑ましさから少しだけ口元を緩ませた。きっとまだまだ道のりは長いけど、皆のおかげで、間違いなく、疑問の答えが近付いてきている。少女は、心の中でそう感じていた。


 少女は、少しハッとした様子で時計の方に目をやった。時刻は夜の十二時半を指していた。

(いけない。少しぼーっとしちゃってた)

 少女はあくびをした。

(ああ、お医者さんが睡眠導入剤を増やしてくれたからかな、少し眠気がきた……。今日は睡眠薬を飲まなくても大丈夫そう。そろそろ寝る準備をしよう)

 椅子から立ち、くっと伸びをすると、服を着替えて電気を消し、布団の中へ潜り込んだ。

 そして、あくびで涙混じりの目をこすりながら、スノードーム達に向かって「おやすみなさい」と呟き、机の電気を消して眠りについた。


 パチっと目を開ける。少女は、目の前に広がる景色を見た瞬間に気付いた。

(ここ⋯⋯)

 そこは、かつて一度訪れた事のある、【森】だった。

(まさか、もう一度来られるなんて⋯⋯)

 少女は嬉しさと驚きを表すように、辺りをきょろきょろと見渡した。

(新しい生き物と逢えるかな?それとも、前に出会った生き物と逢えるかな?)

 心が浮き立つのを感じる。

(そうだ、あと⋯⋯。もう一度ここに来たら、しようと思ってた事があるんだ)

 少女は胸の中でそんな小さな決意を固めると、一歩一歩と、足を踏み出した。


 緑豊かなその世界を歩いていると、目の前の木陰から、大きな尻尾が飛び出しているのを見つけた。少女はそれが気になり、横から回り込むように覗いた。すると、その大きな尻尾の持ち主は、少女の視線に気付いて振り返った。

 それは大きな尻尾を持ち、毛皮に包まれた体は小柄で、手には木の実を持っている。

「こんばんは、リスさん」

 少女は柔らかに微笑み、挨拶をした。リスは、口の中にあるものをゴクンと飲み込むと、挨拶を返した。

「やあ、こんばんは!」

 リスがそう返すと、少女は少し楽しそうに言った。

「リスさん、口元に木の実の欠片がついてるよ」

 リスは少し慌てて口元をぺろぺろと舐めた。

「あはは、ごめんごめん。食べるのに夢中で気が付かなかったや」

「そうだったんだ。ごめんね、お食事中にお邪魔だった?」

「全然平気さ。それより、君はこの辺じゃあまり見ない顔だね。旅人さん?」

「うん、そんな感じかな」

 リスは少し物珍しそうに少女を見た。少女は少し話を変えた。

「あ、そうだ、リスさん」

「うん?」

「あの、私ちょっと道を聞きたいの。この森で、木の下に石が積まれてる所を知らない?」

 リスは、少しの間唸りながら首を捻った。

「うーん。僕、まだ子供だから、住処から離れた所にはあまり行ったことが無いんだ。だから、あるかどうか分からないな」

「そっか⋯⋯」

 二人の間に一瞬の沈黙が流れた。少しして、リスが口を開いた。

「あ、でも、ばあばなら何か知ってるかも!」

「ばあば?」

「うん!この辺りに住んでる、凄く物知りなおばあさんなんだ。ばあばなら、この森の事に凄く詳しいから、君が探してる場所も知ってるかもしれないよ」

「本当? それじゃあ、その人の所を尋ねてみようかな。そのおばあさんはどこに住んでるの?」

「あっちの方に暫く行くと、一際大きな木があって、そこに住んでるんだ。だけど、この辺りは凄く迷いやすいから、良ければ僕が案内するよ!」

「本当? それじゃ、お願いしようかな」

「お安い御用さ!」

 リスはそう言ってピョンピョンと大木の根を飛び越えて行くと、少女の方へ振り向いて、こっちこっち!と、大きく手を振って呼んだ。


 ふたりは並んで歩いていく。

「それでね、ばあばは占い師としても有名なんだ!たまに皆で占って貰ったりするんだけど、これがすっごく当たるんだよ!」

 少女はリスの言う一際大きな木を目指しながら、これから会う予定のおばあさんの話に耳を傾けていた。

「へえ、おばあさん、とってもすごい人なんだね」

「うん、物知りだし、怪我をした時なんかは手当をしてくれるし、会いに行くといつもお菓子をくれるんだ!すごく良いばあばなんだよ!」

「もしかして、案内をかってでてくれたのって、そのお菓子が目的?」

 少女が少し意地悪っぽく言うと、リスは図星を付かれたように、少し目線を外して指をつんつんと合わせた。少女は、可笑しそうに微笑んだ。


 しばらく歩いていると、辺りの木々と比べて二回りほど大きな大木が姿を現した。

「あ、着いたよ!あそこに住んでるんだ。今の時間だとお昼寝しちゃってるかな」

 リスはぴょんぴょんと大木の前まで行くと、大声で呼びかけた。

「おーい!ばあばー!」

 リスが呼びかけてから暫くすると、大木の真ん中に出来た大きな穴から、毛深いリスがひょっこりと顔を出してきた。

「なんだい?ああ、あんたかいね。おや?今日は見知らぬお方を連れとるの」

「あっ、は、はじめまして!」

 少女が慌てて挨拶を返すと、老婆はにっこりと笑って目線をリスへと戻し、問いかけた。

「ほいで、今日はどうしたんだい?どっか怪我でもしたんかいね?」

「あ、ううん!今日用事があるのは僕じゃなくてこの人なんだ!」

「うん?」

 老婆は少女の方を向くと、少し目を細めるような仕草をした。

「あ、あの……」と少女が少し口ごもる。

「ああ、ああ、待ちなさいな。お客人に対して上から話せんかんね。今、そっちへ降りてくからちょおっと待っててな」

「あ、はい」

 そう言うと老婆はすぐに首を引っ込め、幹の中からキィキィと木の音を響かせると、根っこと地面の隙間の穴から姿を現した。

「いやあすみませんな、年取ると体が言うことを聞かなくての」

 そう言いながら、少女の前まで歩いて近付いた。

 すると、突然ピタリと立ち止まり、少女の顔を食い入るように覗き込んだ。

「あの、どうかしましたか?」

 少女がそう言うと、先程のおっとりとした雰囲気とは違う、真剣な声色で少女へ言った。

「ん、ちょっと、顔をよく見せてくれんかね」

 少女は不思議そうな顔をしながら、老婆に近寄り、顔を寄せた。目を細めて少女の顔を凝視すると、老婆はぽつりと呟いた。

「あんたぁ⋯⋯不思議な人だねぇ」

「え?」少女は困惑する。「わ、私が、ですか?」

 老婆は凝視するのを止めると、そのまま話し始めた。

「お前さん、あたしが占いをやるって話はその子から聞いてるかい?」

「あ、はい。さっき、リスさんから」

「ん、そんなら話が早い。あんね、あたしのやる占いってのは、その生き物の運命の波長を読み解く事にあんのさ」

「運命の波長、ですか」

「そう、生き物ってのは、宇宙に生を受けた以上、大なり小なり必ず辿る運命の波長ってのがあってね。まあ要するに、その生き物の人生において、いい事が起きたり悪い事が起きたりってことでね、宇宙ってのはそのバランスによって成り立ってんのさ。……なんだけどねぇ」

 老婆は鼻が触れそうなくらい少女に顔を近付けて、こう言った。

「あんたからは、なぁんにも感じないんだよ」

「え⋯⋯?」

「普通はね、いい事と悪い事が重なって、ある程度一定の波になるはずなんだけどね。あんたからは、その波を少しも感じないのさ。上にも下にも行かない。ずぅっと一定で、真っ直ぐ流れ続けてるんよ――」

「――あたしやその子の波にも影響を受けて無いし⋯⋯本当に不思議ねぇ」

 少女とリスは、老婆の言葉の真意をいまいち汲み取れず、ただ、当惑して、その場に立っていることしか出来なかった。

 一瞬の間が流れた。初めに口を開いたのは老婆だった。

「あぁ、いやぁすみませんね、よく森の子達を占ってやってるもんだから、つい癖で。ほいで、あたしに何か御用があるんでしたな。なんでしょう?」

「あ、はい!あの⋯⋯」


 少女は老婆から貰った小さな木の実を食べながら、教えて貰った道を辿り歩いていた。

 暫く歩いていると、老婆に聞いた目印の木が見えてきた。

(えっと。木の枝どうしが交差してる所⋯⋯あ、あった。その間に見える一回り小さい木、あれかな?)

 その一回り小さな木へ近づいていき、ぐるりと回り込んで見る。

「あった」

 少女は、どこか懐かしそうな、寂しそうな、そんな顔で言った。

「久しぶりだね、雀さん」

 少女の足元には、少し歪な形をした石が散らばっていた。

(積んであったんだけど、他の動物が倒しちゃったのかな)

 少女は穏やかな顔で石を積み直しながら、雀に話しかけた。

「少し遅くなっちゃったかな。ごめんね――」

「――私の漠然とした夢が決意になった時、この森で最初にお話したのが雀さんだったね」

 少女の脳内には、あの時話した雀の声が聞こえてきていた。昨日のことのように思いだせるが、それでいて随分昔のようにも思えた。

 するとふと、少女の手が止まった。少女の静かな背中が、プルプルと震え出した。

「私が――」

「――私が、雀さんと一緒にお友達を探しに行けば⋯⋯雀さんも、まだ生きてたのかな⋯⋯」

 少女の瞳には涙が浮かんでいた。そして震える声で言った。

「私が命の重さをもっと早く知ってれば⋯⋯雀さんも、死なずに済んだかな⋯⋯」

 少女の瞳はとうとう決壊し、ぽろぽろと涙を零した。膝の上で両拳を強く握り締めた。

 涙で濡れた少女の頬を、涼やかなそよ風がそっと撫でる。少女は涙を強引に拭うと、再び穏やかに微笑みながら言った。

「久しぶりの再会なのに、私が泣いてちゃダメだよね」

 少女は両手の平を重ねると、目を閉じて祈りを捧げた。

(ありがとう、そしてごめんね。雀さん、どうか、安らかに……)


 少女が祈っていると、目を閉じているはずなのに、辺りが光に包まれた。少女が次に目を開けた時には、そこは森ではなく自分の部屋だった。

 枕元には、以前の森とは景色の違う、森を模したスノードームがひとつ。

 少女は涙で濡れた目を擦り、着替えを始めた。

 着替えを終え、スノードーム達の方へ振り向くと、瞳を少し潤ませながら微笑んで言った。

「私、少しご機嫌みたい。今日はいい事があったんだ。それじゃあ皆、行ってきます」



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