第8話【商店街】

午前一時半。ベッドに潜っている少女は、少しもぞもぞと動いていた。

 パチっと目を開ける。そこはいつもの夢の世界ではなく、見慣れた部屋の天井だった。少女はため息をついた。

(はぁ、やっぱりダメだ。全然寝付けない⋯⋯)

 このところ少女は、一つの悩みを抱えていた。それは、【不眠症】である。

 夜寝付けないようになってから、もう二週間が経った。学校などでも眠くなったりする事が無く、ここ数日間程、少女は一睡もしていなかった。少女はもぞもぞとベッドから起き上がり、机の引き出しを引っ張り出した。中には紙袋が入っている。袋の中には薬。睡眠薬が入っている。

 数日前、学校の帰りに医者にかかり、睡眠導入剤と共に睡眠薬を処方して貰った。少女の頭の中に、医者の言葉がよぎる。

「睡眠薬というのは強い薬なので、まずは睡眠導入剤で様子を見ましょう。ですが、貴方はかなり重度の不眠症なので、睡眠薬も処方しておきます。この薬は、本当に眠れない時だけ服用してください」

(本当に、眠れない時⋯⋯)

 少女は薬を手に取り葛藤していたが、机に並ぶスノードーム達を見て、心を決めた。

 コップに水を容れ、睡眠薬を一錠、取り出した。至って平凡な日常生活を送っている少女にとって、自分の有り余る好奇心と探究心を満たしてくれる夢の世界は、もはや、なくてはならないものになっていた。

(睡眠薬が、体に良くないのは分かってるけど)

 薬を飲み、再び布団に潜り込んだ少女は、しばらくすると眠りについた。


 パチっと目を開ける。辺りを見渡すと、そこは沈みかけた夕陽に照らされた、人気のない商店街だった。少女には見覚えがあった。

(ここ、家の近くの商店街だ⋯⋯)

 何やら新鮮な気持ちで家々を見つめる。

(商店街には、どんな生き物が居るんだろう? 知ってる場所だけど、少し、探検してみよう)


(あ、ここ。昔、本屋さんだったのに、無くなってる……。それに、路地を曲がったところに、新しい焼き鳥屋さんも出来てる)

 少女は、商店街からすこし脇に逸れた道を歩きながら、物思いに耽っていた。

(考えてみれば、ここの商店街をこんなに隅々まで歩き回った事って、最近無かったかも。なんだか、街の色んな所を探検してた、小さい頃を思い出すな)

 少女はその楽しさから、子供のように心を弾ませ、普段なら気にもしないような脇道や路地裏を歩いて回った。


少女が辺りを探検していると、突然ぽつぽつと冷たさを感じた。

(ん、雨?夕立かな?)

 少女は少し早歩きで雨宿りの出来そうな場所を探した。


 シャッターの閉まっているタバコ屋を見つけ、駆け足で店の前まで向かう。既に雨はかなり勢いを増していた。タバコ屋のひさしに入った少女は、ずぶ濡れになってしまっていた。

(随分濡れちゃった)

 少女は、髪を縛っていたヘアゴムを取り、バサバサと頭を振って手で髪をとかした。

 すると、横から突然声が聞こえた。

「あら、先客が居たのね。あなたは⋯⋯人間?」

 声のした方へ振り向くと、そこには一匹の、黒猫が居た。

「あ、うん。こんばんは、黒猫さん」

「こんばんは。まさかこんな所で人に会うなんて思わなかったわ」

「そうなの?どうして?」

「だって私、生まれてからずっとここで生きてるけれど、人間に出会った事なんて数回しか無かったもの」

「そうなんだ。それじゃ、私が最初の人間のお友達だね」

 少女は少し頬を緩ませながら言った。

「あら、あなた、私が敵かもしれないとは思わないの?」

「どうして?黒猫さん、とってもいい子なのに」

「いい子って⋯⋯まだ、会ったばかりなのに、どうしてそんな事分かるのよ」

 少女は少し首をかしげながら答えた。

「私にもよく分からないけど、ただ、何となく。黒猫さんと話してると、すっごくいい子なんだなって伝わってくるよ」

「な、何となく⋯⋯? あなた、なんだか不思議な子ね……」


 雨が弱まるまで、ふたりは話していた。

「そういえば、黒猫さん」

「何かしら?」

「黒猫さんは、ここで何をしてたの?」

「雨が降ってくるまでは、この辺りを回って食べ物を探してたわよ」

「食べ物?この辺りにあるの?」

「ええ、飲食店裏のゴミ箱なんかにね」

「そうなんだ」

 すると黒猫は、少し遠い目をした。

「でも最近は苦労してるのよ……」黒猫はため息混じりに言った。「カラス達が先にゴミを漁って行っちゃったり、人間に見つかって保健所に連れていかれそうになったりね」

 少女は、少し瞳を曇らせた。

「黒猫さん、大変なんだね」

「中々ねー……。山に行ったり、別の街に行こうとした猫達もいたんだけどね。皆、他の動物に襲われたり、車に轢かれたりして死んじゃったわ。私のお母さんも、昔保健所に連れていかれたっきり、戻ってこなくなっちゃったし⋯⋯」

 そこまで言うと、黒猫は少し慌てた様子で言った。

「あっ、なんだかいつの間にか愚痴になっちゃったわね。ごめんなさい。弱音を吐くつもりなんか無かったんだけど」

 少女はかぶりを振ると、ふんわりと微笑みながら言った。

「ううん!良いんだよ。黒猫さんは、辛いことがいっぱいあったんだね。時には誰かに弱音を吐かなきゃ、黒猫さん、きっといつか耐えられなくなっちゃうよ」

 黒猫は少女を見つめている。少女は続ける。

「黒猫さんは多分、私には想像も出来ないくらい、一人で背負って頑張って来たんだよね……。本当に、黒猫さんは凄いよ!私ならきっと耐えられないもん」

黒猫は黙って少女の言葉に耳を傾けている。

 雨はいつの間にか止んでおり、少女はすこし歩いてひさしから出た。途中で立ち止まると、黒猫の方へ振り返り、曇り明けの空にかかる大きな虹を背にして言った。

「凄い事を沢山してるんだから、弱音だって沢山吐いて良いんだよ!私で良かったら、いくらでも聴くからね」

 そう言って柔らかく微笑んだ少女の笑顔が、黒猫の目には、少女の背後に広がる巨大な夕焼けよりも、穏やかに、優しく輝いて見えた。


 夢の世界で夕陽は沈んだ頃、現実世界では朝日が昇った。また、今日も朝を迎えた。瞳を潤ませた黒猫の姿を最後に、少女は目を覚ました。

 その目覚めは、決して良い物ではなかった。

(う、頭が痛い……)

 少女は頭痛を感じた瞬間から、原因が睡眠薬にあると気が付いていた。起き上がり、服を着替えて水を一杯飲んだ。

 枕元には、商店街を模したスノードームが一つ。

 少女は頭痛をこらえながら、出かける支度を済ませたのだった。

「皆おはよう。それじゃ、行ってきます。」







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