第8話「商店街」

午前1時半。


(うーん...)


ベッドに潜っている少女は、少しもぞもぞと動いていた。


パチっと目を開ける。


そこはいつもの夢の世界ではなく、見慣れた部屋の天井だった。


(はぁ...やっぱりダメだ...)


この所少女は、ひとつの悩みを抱えていた。


(全然寝付けないや...。)



【不眠症】である。



夜寝付けないようになってから、もう二週間が経った。


学校などでも眠くなったりする事が無く、ここ数日間程、少女は一睡もしていなかった。


少女はもぞもぞとベッドから起き上がり、机の引き出しを引っ張り出した。


(睡眠薬...。)


数日前、学校の帰りに医者にかかり、睡眠導入剤と共に、睡眠薬を処方して貰った。


少女の頭の中に、医者の言葉がよぎる。


「睡眠薬というのは強い薬なので、まずは睡眠導入剤で様子を見ましょう。ですが、貴方はかなり重度の不眠症なので、睡眠薬も処方しておきます。この薬は、本当に眠れない時だけ服用してください。」


(本当に...眠れない時...。)


少女は薬を手に取り葛藤していたが、机に並ぶスノードーム達を見て、心を決めた。


コップに水を容れ、睡眠薬を一錠、取り出した。


至って平凡な日常生活を送っている少女にとって、自分の有り余る好奇心と探究心と知識欲を満たしてくれる夢の世界は、もはや、なくてはならないものになっていた。


(睡眠薬が...体に良くないのは分かってるけど...。)


薬を飲み、再び布団に潜り込んだ少女は、しばらくすると眠りについた。


────────────────────


 パチっと目を開ける。


辺りを見渡すと、そこは沈みかけた夕陽に照らされた、人気のない商店街だった。


(...!ここ...家の近くの商店街だ...。)


(商店街には、どんな生き物が居るんだろう...?)


(知ってる場所だけど、少し、探検してみよう。)


────────────────────


(あ...ここ昔、本屋さんだったのに、無くなってる。)


(それに、ここの路地を曲がったところに、新しい焼き鳥屋さんも出来てる。)


少女は、商店街から脇に逸れた道を歩きながら、物思いに耽っていた。


(考えてみれば、ここの商店街を、こんなに隅々まで歩き回った事って、最近無かったかも...。)


(なんだか、街の色んな所を探検してた、小さい頃を思い出すな...。)


少女はその楽しさから、子供のように心を弾ませ、普段なら気にもしないような脇道や路地裏を歩いて回った。


────────────────────


少女が辺りを探検していると、突然ぽつぽつと冷たさを感じた。


(ん...。雨...?夕立かな...?)


少女は少し早歩きで雨宿りの出来そうな場所を探した。


────────────────────


 シャッターの閉まっているタバコ屋を見つけ、駆け足で店の前まで向かう。


既に雨はかなり勢いを増していた。


タバコ屋のひさしに入った少女は、ずぶ濡れになってしまっていた。


(随分濡れちゃった...。)


少女は、髪を縛っていたヘアゴムを取り、バサバサと頭を振って手で髪をとかした。


すると、横から突然声を掛けられた。


「あら、先客が居たのね。あなたは...人間?」


声のした方へ振り向くと、そこには1匹の黒猫が居た。


「あ、うん。こんばんは、黒猫さん。」


「ええ、こんばんは。まさかこんな所で人に会うなんて思わなかったわ。」


「そうなの?どうして?」


「だって私、生まれてからずっとここで生きてるけれど、人間に出会った事なんて数回しか無かったもの。」


「そうなんだ。それじゃ、私が最初の人間のお友達だね。」


少女は少し頬を緩ませながら言った。


「あら、あなた、私が敵かもしれないとは思わないの?」


「?...どうして?黒猫さん、とってもいい子なのに。」


「いい子って...。まだ、会ったばかりなのに、どうしてそんな事分かるのよ。」


「んー...私にもよく分からないけど、ただ何となく、黒猫さんと話してると、すっごくいい子なんだなって伝わってくるよ。」


「な、何となく...?そう.....。あなた、なんだか不思議な子ね...。」


────────────────────


 雨が弱まるまで、二人は話を続けた。


「そういえば、黒猫さん。」


「何かしら?」


「黒猫さんは、ここで何をしてたの?」


「ここに来る前は、この辺りを回って食べ物を探してたわよ。」


「食べ物?この辺りにあるの?」


「ええ、飲食店裏のゴミ箱なんかにね。」


「そうなんだ...。」


「でも最近は苦労してるのよ...。」


「カラス達が先にゴミを漁って行っちゃったり、人間に見つかって保健所に連れていかれそうになったりね...。」


少女は話を聴きながら、少し瞳を曇らせた。


「黒猫さん、大変なんだね...。」


「中々ねー...。山に行ったり、別の街に行こうとした猫達もいたんだけどね...。皆、他の動物に襲われたり、車に轢かれて死んじゃったわ...。」


「私のお母さんも、昔保健所に連れていかれたっきり、戻ってこなくなっちゃった...。」


「.........。」


そこまで言うと、黒猫は少し慌てた様子で言った。


「...あっ!なんだかいつの間にか愚痴になっちゃったわね。ごめんなさい。弱音を吐くつもりなんか無かったんだけど...。」


それを聞いた少女は、ふんわりと微笑みながら、こう言った。


「ううん!良いんだよ。黒猫さんは、辛いことがいっぱいあったんだね。時には誰かに弱音を吐かなきゃ、黒猫さん、きっといつか耐えられなくなっちゃうよ。」


「.........。」


「黒猫さんは多分、私には想像も出来ないくらい、一人で背負って頑張って来たんだよね...。」


「黒猫さんは凄いよ...!私ならきっと耐えられないもん...!」


黒猫は、瞳を潤ませながら、少女の言葉に耳を傾けている。


雨はいつの間にか止んでおり、少女は数歩歩いてひさしから出る。


そして途中で立ち止まり、黒猫の方へ振り返り、曇り明けの空にかかる大きな虹を背に言った。


「凄い事を沢山してるんだから、弱音だって沢山吐いて良いんだよ!私で良かったら、いくらでも聴くからね!」


そう言って優しく微笑んだ少女が、黒猫の目には、今まで見たどんな夕陽よりも、穏やかに、優しく輝いて見えた。


────────────────────


 夢の世界で夕陽は沈み、現実世界では朝日が昇る。


また、今日も朝を迎えた。


涙に目を潤ませた黒猫を最後に、少女は目を覚ました。


しかしその目覚めは、決して良い物ではなかった。


(う...。頭が痛い...。)


少女は、頭痛を感じた瞬間から、原因が睡眠薬にあると気が付いていた。


起き上がり、服を着替えて水を一杯飲んだ。


枕元には、商店街を模したスノードームが1つ。


少女は頭痛に悩まされながらも、出かける支度を済ませたのだった。





「皆おはよう。それじゃ、行ってきます。」







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る