第6話【雪山】
少女はイヤホンを耳にはめ、クラスメイトから教えて貰った曲を聴きながら、【生物の行く先】と書かれたノートにペンを走らせていた。
曲が終わると、「ふう」とペンを置き、イヤホンを外して時計の方に目をやる。
時計の針は、二十三時半を差している。
(もうこんな時間か。首も痛くなってきたし、そろそろ寝ようかな)
そう思い、ノートを閉じ、着替えを済ませてベッドに潜り込んだ。そして、机に並ぶスノードーム達に、「おやすみなさい」と呟き、部屋の電気を消した。
パチっと目を開けると、そこには辺り一面を包み込む、広大な雪景色が広がっていた。
「わあ、綺麗⋯⋯」
少女は感動と興奮で、思わず声を出していた。辺りをキョロキョロと見回しながら、歩みを進めた。
歩く度、深い雪に脛まで沈むも、足に当たった雪がほろほろと崩れ落ちてゆく。
(雪があるはずなのに、何も無いみたい。なんだか不思議な感じ)
そうしてしばらく歩いていると、目の前の岩陰に、小さな影が動いて見えた。少女はそれが気になり、その岩場まで近付き、回り込んで岩陰を覗いた。
そこには、一匹のうさぎが居た。
「うううう⋯⋯食べないで⋯⋯」
少女は少し驚きつつも、しゃがみこんで挨拶をした。
「こんばんは、うさぎさん。どうしたの? 私、あなたを食べたりなんかしないよ」
「ううう⋯⋯本当に⋯⋯?」
「うん。だから、そんなに怯えなくても大丈夫だよ」
「そうだったんだ⋯⋯。ううう、怖かった」
少女はふと気になって、質問をした。
「うさぎさん、あなたはこんな所で、何をしているの?」
「ぼ、僕、道に迷ってるんだ。他のうさぎたちとはぐれちゃって……」
「そっか。お友達とはぐれちゃったんだね」
少女の脳裏に、かつて森で出会った、雀の事が過ぎった。少女は少し考え、口を開く。
「ねえ、うさぎさん、良かったら、私もお友達を探すのを手伝うよ」
うさぎは驚いた様子だった。
「えっ!ほ、本当に? でも、君に迷惑がかかっちゃうのは嫌だな」
「私がやるって言い出したんだから、全然迷惑なんかじゃないよ。それにね――」
「――うさぎさんが一人の時に怖い生き物に見つかったら、食べられちゃうかもしれないよ?」
「たたた、食べられるのも嫌だな⋯⋯」
「私も、あなたがもし食べられちゃったら凄く辛い。一度心を交わしたら、もうお友達なんだから。お友達が死んじゃうのって、とっても悲しいんだよ」
「ぼ、僕も、君が食べられちゃうのは悲しい!」
「わ、分かった⋯⋯!それじゃあ、一緒に行こう! もし、君が怖い生き物に襲われたら、僕が守るよ!」
うさぎは口ごもりながら言った。
「と、友達だから!」
少女は、柔らかく笑って答えた。
「ありがとう。頼りにしてるね」
そろって歩いていた少女はうさぎから妙な話を聞いた。
「オオグネ様?」
「うん。この山にはね、オオグネ様っていう、神様が居るんだ」
「そうなんだ。どんな神様なの?」
「僕も話で聞いただけなんだけど、巨大な全身が毛皮に包まれてて、鋭い爪と鋭い牙を持ってる、とにかく大食いな神様なんだって」
「大食い⋯⋯」
「なんでも、見つけた動物は大きな鹿でも、小さなうさぎでも、咥えて住処に持って帰っちゃうとか」
「ふーん⋯⋯なんだか怖い神様だね」
「そうなんだよ。でも、怖い話ばっかりじゃなくて、一つだけ、ご利益があるとも言うんだ」
「ご利益?」
「うん。オオグネ様に出会って生きて帰れた者は、永遠にオオグネ様に護られる、って」
「永遠に、か……」
少女の心に、小さな疑問が残る。
(うーん、何かの動物の話に尾ひれがついたのかな? でも、それならどうして一々見つけた動物を住処に持って帰るんだろう。保存ならともかく、食べるだけならその場で良い時もあるはずなのに)
どれくらいの時間か、しばらく歩いていると、近くで深い唸り声が聞こえた気がした。
「この音、なんだろう⋯⋯?」
ふたりして固まる。緊張が走った。唸り声はやっぱり聞こえる。声がどんどん近づいてくる。やがてとうとうすぐ目の前で聞こえてきた。
すると、一際大きな木の影から、大きな大きな――
――クマが現れた。
うさぎがカタカタと震え出す。
「あ⋯⋯!あ⋯⋯!」
うさぎは、何とか声をひねり出して言った。
「オ、オオグネ様……!」
少女が驚く。
「こ、これが⋯⋯」
少女達は共に、その場で立ちすくんでいる。
しかし、少女の足は、導かれるようにゆっくりとクマの方へ向かって行った。
「ど、どうしたの!?早く逃げなきゃ!」
「ちょ、ちょっと待って!」
ゆっくりゆっくりクマの方へ近づいて行くと、少女は呟いた。
「ねえ、クマさん、あなた――」
「――何かに⋯⋯凄く焦って怯えてる……?」
クマの唸り声が、ピタリと止んだ。
そして、クマが大きな口を開いた。
「お前⋯⋯。な、なんで⋯⋯?」
「わ、分からない。でもなんだか、クマさんの目を見たら、凄くそんな気がして⋯⋯」
クマは何も言わず、少女の目を見つめる。
「ねえ、クマさん?」
「あなた、今何か、大きな悩みを抱えてるんじゃない⋯⋯?」
「ねえクマさん、私で出来ることがあれば、何か力になるよ」
「だから、話してくれない?」
クマはなにか、訥々と話した。
「俺も――」
「――俺も、お前見た時⋯⋯何か、凄くほっとした。なんでかは、分からないけど⋯⋯」
しばしの沈黙が続いた後、クマが言った。
「お、俺の悩み。俺の、住処にある。こっち⋯⋯」
「う、うん」
少女がそう言った時、突然うさぎが叫んだ。
「ぼ、僕も行くよ!」
少女は驚く。
「う、うさぎさん」
「ぼ、僕、オオグネ様の事、ずっと怖い神様だと思ってた⋯⋯。でも、オオグネ様だって生き物で、悩みがあるんだって思ったら、なんか、僕と同じだって⋯⋯」
うさぎは、少女のほうをまっすぐと見て言った。
「そ、それに、僕は、君を守るって約束したから!」
少女は、少し口元を緩めた。しかし、その眼には力が宿っていた。
「うん。一緒に行こう」
そんな二人を、クマは見つめていた。
「お前ら、仲良し⋯⋯羨ましい……」
そう呟いたクマの顔は、どこか、寂しげだった。
吹雪が強くなってきた中、二人はクマに案内され、巨大な洞窟の中へと入る。中は薄暗く、天井からところどころ差し込む光でしか辺りが見えない。クマに案内されるがまま、二人は洞窟の奥地へ踏み込んだ。
すると少女は、奥の方にもう一匹の違うクマが倒れこんでいるのに気付いた。クマは、倒れ込んでいるもう一匹のクマに近付き、こう言った。
「か、母ちゃん、大丈夫?」
ふたりは、思わず息を飲んだ。
「この、倒れ込んでるクマさん⋯⋯あなたの、お母さんなんだ⋯⋯」
クマはこくりと頷き、話し始めた。
「お、俺の母ちゃん、この間、飯を獲りに行った時、人間に銃で撃たれたんだ……。母ちゃんを抱えてなんとか住処に戻ってきて、今まで沢山食べ物をあげたけど、ずっとぐったりしたまま⋯⋯」
「なあ、お前達!な、なんとか出来ないか!」
「うーん⋯⋯」
二人は黙り込んだ。何十秒が経ったのか、沈黙を破ったのはうさぎだった。
「僕、最後の手なら、一つあるよ」
クマがつんのめって聞き返す。
「さ、最後の手?」
「う、うん」
「そ、それ、なんだ!教えてくれ...!」
「で、でもそれは、お母さんを助ける方法じゃない。お母さんを、楽に死なせる方法だよ。この、麻痺毒の粉……獰猛な動物に襲われたら使えって、仲間から貰ってたんだ……」
その場の全員が固まった。しかしクマの反応は、厳しいものでは無かった。
「お、俺⋯⋯。お、俺もその手、考えなかった訳じゃないんだ……。弾が食いこんで、母ちゃん、苦しそうだし⋯⋯」
でも⋯⋯、と彼は母親の方を向いた。
次に口を開いたのは、クマの母親だった。
「お、おまえ⋯⋯」
「か、母ちゃん!あ、あんまり動かないで」
「い、いいんだ、いいんだよ」
「か、母ちゃん。い、いいって?」
「あたしも歳だ⋯⋯元々長くは無かった。でもね――」
「――おまえの事だけが⋯⋯心配だったんだよ」
「か、母ちゃん⋯⋯」
「ただでさえここら辺にはクマが居ないのに⋯⋯どんどん大きく育ったお前を、他の動物達はひどく恐れてしまった……。それだけが、それだけが心残りだったんだよ。あたしが死んでお前をひとりぼっちにしちまうのがさ⋯⋯」
弱弱しい目線が、少女とうさぎに向けられる。
「でも今日⋯⋯洞窟の入口から、おまえの話し声が聞こえて、嬉しかったんだ……。今まで寂しそうにしてたおまえが、楽しそうに他の動物と喋ってる声を聞いてね⋯⋯」
クマの母親は、少女とうさぎへ言った。
「おふたりさん、この子と出会ったのはついさっきかも知れないけれど、良かったら仲良くしてやってくれないかい。見ての通り、体ばっかりでかい、バカないい子なんだ」
二人は、ゆっくりと頷いた。
母の亡骸を土に埋め、三人で小さな墓を作った。
そして、現実の世界。そこでは、朝日が街を照らしていた。少女は、目覚ましよりも早く目を覚ました。
枕元には、雪山を模したスノードームが一つ。
少女の顔には、涙ではなく、笑顔が浮かんでいた。ベッドから起き上がり着替えを済ませた少女は、雪山のスノードームに向かい、優しく微笑みながら、そっと呟いた。
「うさぎさんの仲間探しを手伝う!って名乗り出た時のクマさん、凄くかっこよかったよ! うさぎさんのお友達が見つかりますように。それじゃあ皆、行ってきます」
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