第四十六話 「天空に描け、魂のキセキ」
ぐわんぐわんと、いまだに視界は
頭の痛みも酷く、手足にはうまく、力が入らない。
それでも手を突き膝を突き、ぶるぶると震えながらも、自分は立ち上がる。
ショーマストゴーオン。
舞台が終わらない限り、観客がいる限り、道化師は踊り続けなければならないのだから。
「虞泪さん、あなたは、酷く大事なことを見落としています」
「……なに?」
「結巳ちゃん、きみもだ」
「…………」
震えそうになる声を、それでも取り繕って。
臆する寸前の心を、なおも奮い立たせて。
自分は、告げる。
「ここに来るまで、ぼくはたくさんの霊能力者たちに助けられてきました。川屋華子さん、狗鳴躯劾さん、禁后小鳥さん、朽酒女菟さん」
全員が全員、奇妙な人物で、共通点なんて、てんでなかったけれど。
ひとつだけ、同じ事を自分に訴えかけ続けていた。
「そして、それは──泥人形〝泥泪サマ〟も同じなんだよ、結巳ちゃん」
「…………」
彼女は応えない。
けれど、ジッとこちらを見つめている。
虞泪も動かない。
彼女ならこちらの言葉を遮ることなど簡単だろう。それでも動かないのは、放置していても泥のバケモノが保たちを処分し、希歌がやがて暴走すると確信しているからだ。
或いは、突如現れた泥泪サマに困惑しているのかも知れない。
だって彼女は、こんな怪異など知らないのだから。
「誰も彼も、今際の際に笑顔を見せた。ぼくに向かって、口元を指し示した。希歌さんの傍にいてやれと言い、希望を手放すなと言った。ねぇ結巳ちゃん? 君の前に現れた〝これ〟──泥泪サマも、そうだったんじゃないかい?」
笑っていたんじゃ、ないのかい?
「それは」
彼女の視線が、少しだけ泳ぐ。
そうして、こくりと頷く。
なら、話は簡単だ。
「ねえ、結巳ちゃん。どうして泥泪サマは、笑いながら現れたと思う? 彼らはこれまでもずっと、君の傍にいた。どうしてだと思う?」
「…………」
「理由を、知りたくないか?」
「……どうして、ですか? なぜ、こわい泥人形さんは──どうして」
──ああ、幼き姫よ。
世界を呪い、責め問う
「きみが、涙を流したからだよ」
「──え?」
誰かが泣くから、誰かが悲しいと思うから。
神様の目の届く場所で、神様の眼そのものである結巳が、希歌が涙を流すから。
「それを慰めて、バランスをとるために、彼らは笑って現れるんだ!」
いつだってそうだった。
誰かが辛いと涙を流すとき、そんなときにだけ泥泪サマは現れた。
なんのために?
「誰もを笑顔にするために」
自分が笑えば、相手も笑顔になれると信じて。
不器用に、不格好に。
それこそ、道化師のように。
「なんの」
虞泪が吠える。
「なんの話をしている、橘風太!?」
「あなたが結巳ちゃんに見せてきた呪いが、幻覚が、形をなしたという話だ! 金泥虞泪!」
そう、虞泪は泥泪サマをみたことなどなかった。知覚などしていなかった。
だって虞泪は巫女でも聖杯でもないし。
なにより泥人形という存在は、結巳ちゃんを発狂させるために虞泪がかけた、形のない呪いでしかなかったのだから。
ナズミヅチの神話を絵本ですり込み、泥泪という名前で縛って幼子を恐怖で呪縛する。
それが、結巳を疑似聖杯にまで堕とした呪いの正体で。
「ならばこそ!」
それがただの呪いで、言葉による
治療は自分の──ホスピタル・クラウンの本分だから!
「ゆえに──今度こそぼくは! 君を笑顔にしてみせる……っ!」
スタートを切った。
スプリンターのように、自分は打ち出された弾丸だと考える。
走る、真っ直ぐに結巳へと向かって。
「ごちゃごちゃとご託を並べて──そこまで勝手をさせるかぁあああ!」
叫ぶ虞泪の命令に従い、結巳が反応。
持ち上げられた両手。
彼女の背後で泥が盛り上がり、特大の巨腕を生成。
それが、寄せ付けまいと自分へと向かって振り下ろされる。
「風太くん!」
……虞泪は用意周到だった。
そのままなら躱されるかも知れないと践んで、希歌にも同じように攻撃をしかけたのだ。
§§
──そして、まったくおなじタイミングで。
結巳が送り出した泥の眷属たちは、保たちのもとにも到来する。
「な、なんだよこいつら!?」
「うるせーッスよ加藤さん! いまこっちは映像の記録で必死なんッスから! 世紀の映像、アカデミー賞ものッスよ!」
「命の方が大事だろうが! め、女菟さん、たすけてくれぇ!」
電車ほどもある太さの野霊が、尺取り虫のような動きで近づき威圧してくるさまに、保は絶叫を上げる。
「〝
次々に泥の眷属をなぎ払っていく女菟は、しかしボロギレのような有様だった。
それでもなお、拳を振るい続けるが、もはや永崎を覆う結界の維持すらままならない。
「ここまでか。風太、お前様は──」
諦めと共に拳を振り上げ、振り下ろす。
ギリギリで保たちを押しつぶさんとしていた野霊を粉砕することに成功するが、そこで崩れ落ちてしまう。
「女菟さ──おいおい、まじかよぉお!?」
保の絶叫。
さらに巨大なバケモノが、彼らに向かって倒れ伏してきて。
「う、うぉおおおおお! 俺は、俺は負けねぇぞ!」
「加藤さん!?」
「加藤保!」
拳を握りしめた保が、バケモノへと殴りかかる。
そして。
そして。
「──え?」
彼らは、吃驚の声を上げた。
「川屋、先生……?」
保を守るのは、燐光を帯び、半分透けたような姿の川屋華子。
所在を守ったのは、
「躯劾先生!?」
豪放磊落な笑みを浮かべた狗鳴躯劾。
「はっ! 地獄の亡者を活用できるのが自分だけと思ったか金泥虞泪。黄泉比良坂が開いたのなら──善き死者達も、黄泉の国から這い出すに決まっているだろうが! 最善の仕事だ、川屋華子!」
女菟が笑う。
「こいつは──川屋先生のお守り!?」
それは光の産物だった。
ぽろぽろと舞い散る光が、保と所在のポケットから溢れ、守護者たる霊能力者を顕在化させる。
五芒星が描かれたお守りが。
ひときわ強く、瞬いて。
§§
「……うそ。おばあちゃん?」
そして、同じ現象は、希歌と風太にも起きていた。
希歌を守る光はお守りから溢れ、禁后小鳥の姿をとっていた。
そして風太を守っていたのは。
「雪鎮さん……?」
彼は答えない。式神故に、語る言葉を持たない。
けれど花屋敷統司郎の屋敷で、誰にも悟られず風太に取り憑いていた雪鎮は、いま泥の腕を受け止めて。
そして、砕けていく。
砕け散る刹那、彼は風太に。
そして、結巳へと微笑みかけ。
ゆっくりと、天へと昇った。
彼だけではない。
保を、所在を、希歌を守る光、霊能力者たちもまた、笑顔とともに空へと昇る。
切り裂かれた大空、闇黒に飲み込まれた空で。
光は儚く輝き、ゆっくりと大地へと舞い降りる。
それは雪のように白く、なによりも
ふたりで見ようと誓った世界。
──星の世界。
橘風太は。
道化師は。
いまこそ叫ぶ。
「結巳ちゃん! これはぼくの勝手な独り言だ、訊かなかったことにしてくれてもいい! でも、もし。もし君がなにかを強要されて、それが心底イヤなことだったのなら!」
「や、やめろ、道化師!」
やめない。
やめてやるものか。
呪いを破却するなら、今しかないのだから!
「理由なんて探さなくていい! ただはっきりと、こう突きつけてやればいいんだ」
──イヤだって!
だから、いま一度問おう。
君の心に、耳を澄ませよう。
「結巳ちゃん」
きみは。
「きみは! いまのままでいいのかよっ?」
彼女は。
「────」
泥の聖杯でもなく、巫女でもなく。
「──そんなの」
湖上結巳は。
答えた。
「そんなの、イヤに決まってますってー!!!」
すべてが、変わる。
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