第四十七話 「絶望に向かい、咲けよ立華」
「ずっと、ずっとイヤでした! わたしは死にたくなんてありません! わたしは、わたしはただ……愛されないのが、イヤだったんですってー!」
天に向かって絶叫する結巳。
その身体から、ほとばしっていたはずの神気が、ふっと掻き消えた。
力を失うように倒れた彼女を、ギリギリで抱き留めることに成功する。
「お、の、れぇえええぇっ」
ギリリ、バギリと己の歯を噛み砕き、血反吐を吐きながら虞泪が怨嗟を紡ぐ。
彼女は泥の眷属を駆動させ、自分たちへと襲いかかってきた。
腕の中では、か細い呼吸をする結巳。
すでに限界の手足に力を込め、跳ぶ。
「風太、くんっ!」
うまく着地もできず、ゴロゴロと転がり、あちこちをぶつける自分を。
希歌が、なんとか受け止めてくれた。
彼女も苦しい息の下から、それでも手を伸ばし。
結巳ちゃんの髪を撫でた。
「結巳ちゃん、あのときはあたしを助けてくれて、ありがとう。この光、返すからね?」
彼女は握りしめていたなにかを、結巳の胸に押し当てる。
すると、結巳のなだらかな胸が一瞬発光し、大きく呼吸を開始した。
長いまつげが震え、ゆっくりと、彼女の大粒の瞳が開く。
「おねぇさん?」
「うん、あたしはいるよ」
「……そよかぜ、おじさん?」
「もちろん、ぼくもいる」
「う──うわぁああああああああああああああああああん!!」
彼女は泣いた。
大声を上げて、ただただ泣いた。
自分と希歌は、何度も彼女の目元を拭う。
「大丈夫だよ、結巳ちゃん。あたしたちがいるから」
「泣かなくたっていいんだ。苦しいことに、イヤだって言えたんだから」
いい加減言うことを利かなくなってきた左手。
それでも指先を操り、結巳ちゃんの前でゆっくり開く。
小さな小さな、名もなき花を、彼女にそっと手渡して。
「いまは、これが、せいいっぱい」
「……なんですか、それ」
「古いおまじないさ」
「おかしい、ですってー」
彼女は。
湖上結巳は。
「にこー、ですって!」
泣きながら、笑った。
「茶番は、終わりだ!」
虞泪の叫びが轟く。
「しまっ!?」
反応するよりも遙かに早く、自分たちは泥の津波に分断される。
「こうなれば、方法は一つだ! 聖杯がないのなら、巫女ふたりをもろともに生け贄へ捧げるしかない! 人柱となれ、出来損ないども。我が悲願の成就のために!」
「やめてですって、おかあさん!」
「我はぁ、おまえのぉぉぉ、母親ではないイイイイイイ!!」
「きゃぁっ!?」
激昂した虞泪の操る泥の眷属が、結巳と希歌を、屋上から突き落とす。
真っ逆さまに落下していくふたり。
けれどその一瞬、
「────」
「────」
確かに自分は、希歌と目があった。
彼女は信じていると頷き、結巳へと手を伸ばす。
同じように、自分も最後の力を振り絞り、走り出していた。
「オマエはここで死ねぇエエエエ!!」
振り下ろされる触腕を掻い潜り、一切の減速なく、屋上の縁へと足をかける。
ありったけの力で、縁を蹴った。
「あい、きゃん、ふらい!」
ホスピタルクラウンの衣装が、ダボダボでなくてよかったと、心の底から思った。
空気抵抗を最小にして、先に落下する希歌たちを追えるから。
「風太くん!」
「おじさん!」
希歌は結巳を掴まえ、抱きしめる。
その上で彼女が、自分へと向かって右手を伸ばした。
「希歌さんんんんん!」
手を伸ばす。
包帯が吹き飛ぶ。
真っ白に輝く左手は、緑色の燐光を放射しながら、真っ直ぐに彼女たちへと向かって伸びて。
追いつく。
繋がる。
手が──届く。
白の手が、黒の手を、指先を絡ませながら確かに掴まえた。
黒白の手は、まるで太極図のように交わって。
決して離れない。もう、離さない。
「────」
彼女たちを引き寄せる。ありったけの力で抱きしめる。
眼前に、永崎すべてを飲み込んだ泥の穴が広がる。
抱き合ったままの自分たちは、そこへ真っ直ぐ突っ込んで。
どぷん──
深淵へと。ナズミヅチそのものへと、沈み。
そして。
そして──
§§
「く、くふふははははははは、はーははははははは!」
金泥虞泪は勝ち誇っていた。
聖杯を用いた世界の漂白こそ失敗したが、いまここに巫女をふたり捧げることができた。
自らの内部に巫女を取り込んだ神々は矛盾し、錯乱し、やがてあるだけの神気を吐き出すだろう。
神気は世界を満たし、命の形を必ず変化させる。
神代回帰。
結果、虞泪の望んだ精神生命への昇華は完了する。
「ああ、待っていろ。我ももうすぐいく。多くの同胞達よ。なにより、我の、我の唯一実を結んだ──なんだ?」
そこで。
はじめて彼女は気がついた。
揺れているのだ。
地面が──いや、世界そのものが。
天のいただきにある海と、地の底まで続く黄泉比良坂が鳴動している。
まるで。
まるで巨大な生物が、苦しみに身を捩るように。
「なんだ……?」
「なんだかんだと問われれば──そう! 答えてみせるのが僕の仕事でね」
「!?」
突如声をかけられ、虞泪は驚愕するほかなかった。
先ほどまで、ここには誰もいなかったはず。
あの泥泪なるものも、いつの間にか姿を消していたというのに。
だというのに。振り返ったさきに、ひとりの男が突っ立っている。
非常にラフなかっこうをした、サングラスの男。
戦慄する。
その男に、ではない。
周囲から突如押し寄せてきた、無数の視線に。
「なにものだ、お前は……」
「うん? 名前、名前かぁ。さして大事だとは思えないが、いまはこう名乗っておこう。花屋敷統司郎とね」
「花屋敷……」
胡散臭い男は名乗り、ニッコリと笑う。
「僕は道化師くんの先輩でね。彼が退場してしまったせいで、せっかくの舞台を映すカメラが行方知らずなんだ。これには観客諸君もお怒りで。そこで僕が遣わされたというわけさ。うーん、娑婆の空気はおいしいなぁ!」
何を言っているのか解らない。
虞泪は理解することを放棄した。
重要なのは、自分の計画を、この男が邪魔するかどうかということ。
「ああ、それなら心配しないでくれたまえ」
「……心を読むな」
「それも心配しないでくれ。僕は何ら邪魔をしない。だって、ほら……もう
「なに──!?」
眉根を寄せたときには、それが始まっていた。
大地の鳴動。
否──胎動が。
一層強まる振動とともに、なにかが。
地獄の底からなにかが噴き出す。
「こ、れは」
それなるは、無数の新緑。
緑色の幹。蔦。枝葉。
地獄から芽吹いた無数の苗が、ネクスト永崎ビルへと絡みつき、急速に成長する。
「いやはや残念だったね、金泥虞泪」
軽薄に残酷に、男は笑う。
「この催し物は最高のショーだったけれど、しかし観客達はハッピーエンドがいいと仰せだ。なにせ、ほら──神様ってのは御都合主義の産物だからね」
「お、お前──いや、貴方は、まさか」
虞泪は悟る。
この存在がなんであるかを。
花屋敷統司郎という、あらゆる神の
それを理解したくないという恐怖が、発狂したはずの心にひびを入れる。
だって、こんなにも怖ろしいものを理解してしまったら。
世界がそんなものでしかないと知ってしまったら……!
一方で、タワーを支柱にした異界の植物は、さらに樹勢を増し、ついに屋上までも飲み込んだ。
タワーを砕き、沼から突き出す枝葉に翻弄される彼女は、統司郎の言葉を聞く。
「君も呪術者なら識っているだろう。黄泉の国より生還したものだけが口にできる、命の木の実の名を」
「と、
彼女はタワーを越えて天へと伸び続ける神代の樹木を睨み付け、ありったけの絶望とともに叫んだ。
「
「そう、非時香果とは立華……橘の実だ。死を失った植物の銘。そしてね、僕ら文壇のものは、華がひらくことを、こう例えるのさ。即ち──」
「い、いやだ! 我は、我には使命が、ああ……
「……ふうん、しょせん君は、その程度の人間だったということか。長女を愛しながら、次女を呪った。ひとに夢見ながら、世界を祟った。愛することも呪うことも中途半端な、出来損ないのピエロだったわけだ。まったくじつに──滑稽だね」
「あああああああああああああああああ!!!」
絶叫する虞泪を。
そしてネクスト永崎タワーを。
すべてを飲み込み、神樹木は成長する。
赤い海の水も、泥の沼の土も。
萎えた風の歌も、届かぬ太陽の希望も。
余すことなく養分に変えて。
天を衝く巨大樹。
その頂点でつぼみがほころび、花が開く。
いま、聖杯に願われた泥が、誓約を果たす。
すべての因果がこの一点に収束し、ひとりのシャーマンが願った世界──いまよりもましな世界を降臨させる。
咲き誇るのは、陰陽の華。
陰と陽、白と黒、泥と水が混ざり合ったような花を、地平の彼方から光が照らした。
──朝日だ。
そう、悪夢の時間はようやく終わる。
ながい、長い夜が明ける。
「おやすみ、道化師。ゆっくり休みたまえよ」
誰かのそんな言葉が風に舞う中。
大輪の花は、朝日を受けて目映く輝いていた──
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