第三十八話 「この手を自分は知っている」
「TAKASHI、思うんだよね。この国で巫女と言えば女性だけど、世界的にはシャーマンは男性が多いって。男のシャーマンも神と繋がれるって」
一瞬、目の前の男が狂っているのかと思った。
けれど、もとから言動がおかしかったことを思い出す。
「そう、文字通りTAKASHIは視ている世界が違うわけ。けれど湖上ちゃんと黛ちゃんは、近づいてきている。偉いねぇ、すごいねぇ」
ねっとりと笑いながら、男はこちらに近づいてくる。
反射的に背後の少女を、自分はかばおうとした。
けれど、少女はひょろりと希歌の手を掻い潜って、TAKASHI──大二郎のもとへ向かってしまう。
「お迎えのひとですかって?」
「そういう役回りではある。けれどもお嬢ちゃんは、泣いているねぇ」
「悲しいことばかりの世の中なので」
なので、洗濯しますと結巳は口にする。
「じゃあ、邪魔だね。とりあえず死のうか」
「──ぇ?」
起こったことは、あまりに一瞬で。
だから希歌が理解できたのは、事が終わってからだった。
大二郎の頭髪が練り上がり、巨大な蛇へと変貌。蛇は少女の、か細い。あまりにか細い身体を、あっさりと貫通する。
困惑すら宿すことが出来ず、少女は目をぱちくりとして。
そして、血を吐いた。
彼女の土手っ腹に、大きな大きな穴が、開いていた。
「なん」
「なんでというとまぁ、泥の聖杯に人格が残っていると邪魔なので消してこいと言うのがTAKASHIの使命な訳で。こうやって泥の聖杯を完成させるのが、シャーマンとして産まれたTAKASHIなんだけど、そのためにユアチューバーになったりして、結構たいへんで」
「しにたくな──」
「でも死ぬ。というか、死ねと望まれ続けてきたんだろ、お嬢ちゃんは? TAKASHIが神と繋がることを願われたように」
「────」
少女の瞳を、昏い絶望が支配する。
わずかな命の光が消える前に、結巳は縋るように振り返り、希歌へと手を伸ばした。
「っ!」
必死で手を伸ばし、彼女を抱き留めようとするが、結巳の身体はボロボロとほどけ、腕の中をすり抜けてしまう。
ただ。
「なんで、こんな、くるしい──」
そんな、あたりまえの苦痛を、嘆いて。
「ほし、みたかっ……た──」
消滅する。
「この野郎……!」
拳をギュッと握りしめ。
顔を跳ね上げ、双眸を怒りに燃やして睨み付ければ。
大二郎は挑発的に笑った。
「復讐心に満ちた素敵な眼差しだぜ黛ちゃーん。TAKASHIの次にかっこいいな。でもさ? 覚えてるぅ? 泥の聖杯に願いをかけたのは、そうTAKASHI。だから、この願いは絶対に叶っ──」
「殺してやるッ」
殺意とともに右手をかざせば、虚空から数百匹もの蛇──蛟霊が大二郎へと躍りかかる。
しかし彼はそれを躱すこともせず。
蛟霊は大二郎を通り抜けてしまう。
「なんで!?」
「だからぁ、視ている世界が違うんだってば」
苦笑する大二郎が手を振り抜けば、蛟霊は縦に分割され、衝撃波は希歌の上着まで切り裂いてしまう。
羞恥心に服の前を掻き抱けば、もう目の前に、大二郎の顔があった。
「むぐっ!?」
無理矢理に、唇を奪われる。
ギラギラと輝く悍ましい瞳が、野心的に希歌を狙う。
唇を割り、歯をこじ開け、それこそ蛇のように執拗な舌が希歌の口腔を侵す。
──ふざけるな。
怒りが、脳裏を焼いた。
自分の身に降りかかった理不尽に対してではない。
ファーストキスを奪われたとか、センチメンタルな話をするつもりもない。
けれど、自分と似た境遇の少女の命を眼前で奪われ、さらなる陵辱を許すなど。
他の誰でもなく、黛希歌の精神が許さなかった。
「ぎゃっ!?」
大二郎が悲鳴を上げ、飛び退く。
押さえた口の舌から、ぼだぼだと滴るのは血液。
希歌は、口の中にあった肉片を、ペッと吐き出す。
舌を、噛み切ってやったのだ。
「水の巫女の分際れぇ! 見逃しへやらろにぃ!」
文字通り舌足らずの言葉を口にする大二郎に、希歌は
「うっさい! あたしはあたしなの! 役目なんて、自分が選んだ女優だけで十分だっての! 消えろ、死ね、このクソレイプ野郎!!!」
「う、ううう、うをぁあああああああああああああああああああ!」
頭を抱えた大二郎が身を捩り。
次の瞬間、その身体が弾けた。
「だったら、使命を、はたせぇええええええええ!!!」
弾けた大二郎は、蛇の濁流と化し、希歌を、真っ白な世界を埋め尽くす。
流れに翻弄され、もみくちゃにされながら、それでも希歌はあきらめていなかった。
結巳。
彼女は消えてなくなったけれど。まだほのかに、この手の中に熱があったから。
だから、せめて彼女の最後のぬくもりを、こんな醜悪な怪異に奪わせまいと。
希歌は、右手をソラへ伸ばして──
──触れた。
指先が。
神経が。
こころが。
「────」
爪を撫でる。逆むけのある指先をさする。
鍛えられた硬い指の節、けれど奇術のために柔らかな手のひら。
あたたかな手。
もっと知りたい、もっと思い出した。
手を伸ばす。
ジョリジョリとした無精ひげ、柔らかではない頬。
小さめの耳の形。
筋の通った鼻、二重のまぶた、短い髪の毛。
──いつも笑っているような、しまりのない顔。
「────」
希歌は。
顔をくしゃくしゃにして。
感極まって、その名を叫んだ。
「──風太くんんんんんんんんんんんん!!!!」
右手が引っ張られ、身体が一気に浮上する。
蛇の海を抜ける寸前。
大二郎の嘲笑が響いた。
「ひははは! また? またそれか! TAKASHIは邪魔をしないよ、馬に蹴られるのはごめんだから! でも、だったらやって見せろよな。このクソみたいな世界を、クソでないと証明してみせろよ。あの日、あのとき、気まぐれでも愛を信じてみようと、きみがTAKASHIに──俺に、思わせたんだから。ねぇ、だから伝えといてよ黛ちゃーん? ちゃんと花を咲かせてみせろってさ──」
希歌は答えなかった。
ただ、無言で頷いて。
そして。
そして──
「希歌さん……!」
誰よりもよく知っている声が──けれどもう十年も耳にしていなかったような声音で。
夢から、醒める。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます