第三十話 「来訪者」
「預言書、あるいは歴史書と言い換えてもいい。言っただろう? この星には、その後もたくさんの神様が降りてきたとね。そんな神様たちを信仰する奉仕者は意外と多くてね。そうだね……このページなんか、とくに顕著じゃないか?」
彼が指差すのは、絵本のなかでたこの神様が住んでいる岩。
その岩には、どこかで見た覚えのあるマークが刻まれていた。
「この無数の蛇が絡まったように見えるマーク。こいつは〝水〟の一派を示す記号さ。いまでも使っている連中はいるよ。で、そんな使ってる連中を、キミの前に連れ出しもした」
「……TAKASHI」
「そうそう」
思い出した。
確かに彼の舌には、これによく似たタトゥーがあった。
けれど、なぜ?
「うん? どういう意図の何故かな? 彼が〝水〟を信仰していた理由かい? それとも、預言書が書かれた理由かな? 或いは──」
「統司郎さんが、ぼくたちと彼を引き合わせた理由です」
「────」
統司郎が、口元をつり上げた。
それまでの微笑とは違う、会心の笑みだった。
「簡単なことさ。その方が面白かったからだ」
「…………」
「キミは敏いし賢い。だから、プロダクションの上層部に圧力をかけ、TAKASHI氏を撮影にねじ込んだものがいると悟っている」
「…………」
「おいおい、恐い顔するじゃないか。僕はキミの先輩で、キミは笑顔を与えるクラウンだぜ?」
「……はい」
呼吸を落ち着ける。
短い息を繰り返す。
その反復が、突沸的な怒りをごまかしてくれた。
こちらの様子を確認して、彼は重畳とばかりに頷く。
「そもそもキミは、偶奇性が過ぎる男なんだよ。合縁奇縁とはいうけれど、ここまでなんの背景も持たずに、特別な家に生まれたわけでも修行を積んだわけでもなく、物語の中心に居座る一般人なんていやしなかったんだ。だいたいはね、神様のお告げでも聞かなきゃ行動しないのが人間なんだぜ」
彼の言葉に、かつて加藤保が口にしたセリフが脳裏をよぎる。
『だいたい人ってのはおしゃべりなもんなのさ。金銭なんて、きっかけに過ぎねーのよ』
なるほど確かに、人間の行動原理とはそう言うものだ。
それがないはずの自分が、こんなところになぜいるのか、統司郎は不思議だと言っているのだろう。
でも。
「それなら統司郎さんが、TAKASHIさんをぼくらに引き合わせた理由も、あるはずです」
「だから、それが誤解なのさ。僕は引き合わせたのが自分だなんて、一言も言ってないぜ? キミたちが出会った──その筋書きを書いた脚本家は、別にいるんだよ」
怪訝に眉を寄せれば、彼は苦笑する。
「僕は、これで傍観者でね。基本的に、物事に手を出すことができない。世の中に起きたことを書き留めて……そうそう、
感謝してほしいと彼が言うので、右手をひねり、バラの花を取り出して手渡した。
統司郎は、愉快そうに笑う。
「そういうところだ、そういうことが平気でできるから、僕はキミが大事なんだ。さて、話の筋を戻そうじゃないか後輩。かの人気ユアチューバーTAKASHI氏を、キミに引き合わせたのは僕ではない。もちろんささやかな取り引きはあったが、本筋とは関係のない範囲だ。では、誰が糸を引いたのか。答えは単純だ」
よっこいしょと口に出しながら、彼は椅子に座り直す。
なんというか、やけに芝居がかかった様子でわざとらしく。
自分でも疲れることはあるのだというように。
「この絵本によれば、泥と水は分かれたことになっている。厳密には違うが、〝泥〟と〝水〟の太源が居城を移したのは事実だ。〝水〟は空に昇り
翻弄するような彼の言葉を、無理矢理に噛み砕き、思考を回す。
ありったけのリソースを割いて、いわんとしていることを理解しようと努める。
つまり。
「つまりは、〝泥〟、もしくは〝水〟を信仰する宗教団体の誰かが」
自分たちと怪異が遭遇するように、企んだということだろうか?
「グラッチェ! よくできました。一カ所だけ修正するのなら、TAKASHI氏は君たちに会いに来たのではなく──黛希歌を、狙い撃ちしに来たのだけれどね」
§§
どういう意味かと、思わず問い詰めかけた自分を、黒子が腕を掴んで押しとどめた。
軽く袖を掴まれただけに見えたのに、どうしてか身体は微動だにせず。
統司郎が、またあるかなしかの微笑みを浮かべた。
「お茶の時間にしよう」
そんな場合ではないだろうに、彼はこの主張を曲げなかった。
「お茶にする。ああお茶にするとも。でなければ、この先の話はなしだ。いいか、絶対にだぞぅ?」
ここまで言われては、飲むしかない。
頷けば彼は上機嫌となって。
手ずからハーブティーを煎れ、カステラを切り出した。
ここを訪れる前に、お土産として風太が買ってきたカステラだった。
「ジャスミンティーだ。華やかだろう? それをキミが飲んで落ち着いたら、話の続きをしてあげよう」
「…………」
ニコニコと笑う大先輩。
絶対に主張を譲るつもりがない、という態度が透けて見える。
観念した自分は黒子に解放して貰い、お茶を一口啜った。
……統司郎が言ったとおり、華やかな薫りが鼻腔から抜け。
同じように、全身から余分な力が抜ける。
どうやら、ずいぶんと力んでしまっていたらしい。
「キミの大切な幼馴染みに嫌疑がかかっているんだ、そりゃあ必死にもなるだろう。けれど、だからこそここからは落ち着いて聞いてほしい。キミは誰にとってもイレギュラーな、鬼札なんだから」
諭すような彼の言葉に、今度こそ理性的に首肯を返す。
「よろしい。じゃあ、一番大事なことを最初にいうよ。黛希歌は──〝水〟の聖杯だ」
──────。
────。
「──は?」
「思考を止めるのはやめたまえ、考え続けるのが人間の武器で美徳だよ。彼女はね、世界でも希少な〝水〟に選ばれた巫女だ。生まれついての死病によって根源──ドゥーム・ワンを仲介し、〝水〟の総体に干渉できる力を秘めている」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「待たない、座りなさい」
席を蹴立てた自分を、大先輩は温度のない視線で見つめた。サングラスの奥にある、見えないはずの眼球から圧力を感じる。
ゾクリと背筋が震え、足が萎える。座る。
「うん。突飛な話だからね、飲み込むのは大変だろうが、頑張ってくれ。ともかく彼女は〝水の巫女〟で、行き着く先は〝聖杯〟だ。魂が〝水〟と接続されているし、〝水〟は彼女を、世界を知るための端末として利用している。いわば五感そのものだよ。本来なら、それは無害なことだが……しかし、これを利用しようとする輩が現れた」
まさか、それがあの宗教施設の?
「ソコは順序が逆なのだがね。水の巫女は聖杯になることで、〝水〟の神気の出入り口と化す。これを用いた〝水〟との接触の儀式が、かつて失敗し──」
ちらりと。
なぜか統司郎は、黒子の方を伺った。
「次に、儀式の副産物として産まれた〝泥の巫女〟を使った実験がされたんだが、これが大失敗だった。泥の巫女は完全だったが、このとき水の巫女は封印されていた。結果──」
統司郎がまた指を弾く。
眼球を焼く熱波、鼓膜をつんざく轟音。
奇妙な幻聴と幻覚は、自分に見覚えのある光景を見せつけた。
曠野。
曠野だ。
黒々とした溶岩に焼き尽くされ、生きる物が何もない、熱く塵埃に覆われた無窮の荒野。
あの、宗教施設の廃墟。
「そう、大失敗の結果、あのあたりは焼き尽くされた。溢れ出した〝泥〟が、すべてを祟ってしまったんだよ。システムの規定に則り、死がもたらされた」
どうして?
「巫女は神の触覚で、神はこの世界のルールそのものだ。そして、泥と水はいまだに反目し合っている。巫女を通して周囲の人間を知覚すれば、命が内包する泥と水の比率を瞬時に神は知るだろう。そして、それが〝泥〟か〝水〟に傾いていれば、調整をしようとする──まるで、天秤に重しを乗せるようにね」
結果、神に曝露して命は死に絶えるのだと、彼は言う。
まさか。
「それが、泥泪サマの祟りの正体?」
「そういうことさ。神への接触こそ、祟りの原因。だからね、逆なのさ。キミたちが怪異に行き逢ったんじゃない。黛希歌に危機が迫ったからこそ、怪異の方からやってきたんだ。覚えがあるだろう、水と泥のバランスが崩れるような、決定的な出来事に」
泥泪サマの杯……!
あのとき、彼女はそれに触れたから──だから、泥人形が現れて?
「────」
絶句する。
言葉を失う。
だって、それじゃあ希歌は。
彼女はただの、被害者で──
「いや」
違う。
なにかが違う。
そうではない。
彼女は被害者だけれど、それだけじゃない。
思考を止めるな。
考えることを諦めるな。
これはまるで。
まるで。
「そうなることを、仕組んだ者がいた……?」
ハッと顔を跳ね上げれば、統司郎が満足そうに頷いて見せた。
「イクザクトリー。それが、TAKASHI氏が所属する宗教団体〝
彼が。
統司郎が。
真剣な顔つきで。
その名を口にした。
「
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