第三章 『闘争』と『逃走』
第二十五話 「川屋華子の帰還」
「──私が眠っている間に、大変な目に遭いましたね……申し訳なく思います」
病床の華子は、希歌たちに向かって頭を下げた。
希歌たち、というのは、保、所在だけでなく、箱屋敷から着いてきた黒子がひとり、影のように従っているからだ。
室内にはこの五人の他に雪鎮がいて、落ち着きもなく歩き回っている。
しかし、希歌は別のことが気になって仕方がなかった。
病室の様子が、明らかにおかしいのである。
窓という窓が、アルミ箔のようなもので覆われ、扉にはお札が何枚も貼られており、四隅には盛り塩がされている。
ベッドの横には祭壇のようなものが作られ、鏡やら餅やらが奉られていた。
あまりにあんまりなので、自分の置かれている状況すら忘れて、
「よく許可されましたね」
などと訊ねてしまった。
すると、華子は苦笑を浮かべて。
「ああ、これですか? 病院の理事長さんが理解のある方で。波動を遮る気休めですが……それよりも黛希歌さん、よくお顔を見せてください」
言われるがまま、華子のベッドの横に腰掛ける。
華子は希歌の顔の前に手を突き出し。
目をジッと閉じて、なにかを探るような仕草をした。
それから、
「たしかに、こちらの御二方」
保、所在を順番に指し示し、言う。
「彼らと比べると、希歌さんは重傷です。なにか、ここに来るまでもありませんでしたか?」
「……正直に言えば、ええ。お風呂の水が、泥になって」
「なるほど」
小さく頷く華子。
彼女はしばらく考えると、傍に控えていた弟子を呼びつけた。
「雪鎮。私が不在の間、よく頑張ってくれました。しかし、どうやらこれは、私たちの手には余る事柄のようです」
「そんな!? 冗談じゃないぜ川屋先生!」
悲鳴を上げたのは、保だった。
彼はやけに必死に、華子へと訴える。
「俺が先生のルールを曲げて、あのTAKASHIを現場にいれちまったことなら謝る。この通りだ! だから、こんなところで手を引くなんていわねぇでくれ! こいつを──」
ちらりと、彼は希歌を見て。
「うちの女優を、見捨てないでやってくれ! たのむ……っ!」
ベッドにめり込む勢いで、頭を下げた。
これは、希歌にしても意外なことだった。
もとから横暴を絵に描いたような上司である。
いかに人情味のある古い人間とは言え、いざとなれば切り捨てられると思っていた。
けれど、実際にはこうして必死になってくれている。
寄る辺のなさに不安を抱えていた希歌は、思わず心が揺れてしまうほどだった。
華子は、そんな保の様子をしばらく眺めて。
やがて、力無く微笑んだ。
「希歌さん、あなたは以前、私に訊ねましたね。なにが専門なのかと」
「あ、はい」
「あのときは答えられませんでしたが……私の専門は、すべてです。陰陽師。それが私の仕事なのです。神道、密教、十字教、拝火教……神仏悪魔に妖怪変化……利用できるものはすべて利用して、陰と陽の調和を保つ。ひとに害なす悪意を除き、ひとの悪意が怪異を蝕むのを阻む──そんな何でも屋が、私です」
だからこそと、華子は言う。
「もちろん、手を引くなどとは言いません。私は、最後まで皆さんを守れるよう頑張ります。目的のために手段を選ばず、節操なく全力を尽くす。それが、陰陽師ですから」
「じゃあ!」
「……ですが、私が無力なのも事実です。なので、助っ人を呼びたいと思います」
これに、希歌たちの誰もがいい顔をしなかった。
これまで雪鎮が仲介してきた霊能力者は、全員が除霊に失敗しており、期待薄であったからだ。
それを各々の表情から読み取ってだろう、華子は安心させるように慎重に言葉を選び、口にする。
「助っ人、という表現は少し違うかもしれませんね。来ていただくのは、比類なき力を持つ御方です。言いましたよね、節操なく力を借りると。相手がたとえ、格上で、おそろしいひとでもです」
「それは……簡単にいうと」
「最強の霊能力者って、ことッスか?」
保と所在の問いかけに、華子は曖昧な表情で頷く。
「強さ……というステージにいないという意味では、違います。たとえば……」
彼女は黒子を指差し。
「ただの強さなら、〝箱屋敷の黒子〟は最上位に値します。全員が、話に聞く狗鳴躯劾よりも強い力を有している、と言うことになるでしょう。ですがその御方は、格が違うのです」
「格……」
「どれほど困難な依頼でも、どれほど強大な怪異であったとしても、なんとかしてくれる救い主。人間が最後に頼るべき寄る辺。そう言った、すごい方です。ただ、一つだけ問題があって」
アポイトメントが、なかなかとれないのだと、彼女はいう。
「その御方──
「そんな……」
「嘆かないでください、黛希歌さん。あなたは、できるだけ心強いひとの傍にいるといいでしょう。きっとそれが、あなたの命を助けます。そして、私も全力を尽くします。可能な限り、敵──泥泪サマの正体を探ってみましょう。それから、これは気休めなのですが」
そう言って、彼女は懐から三つの紙包みを取り出した。
五芒星が表面に刻まれている。
「これは?」
「いわゆる依り代、お守りです。一度か二度、身代わりになってくれるでしょう。ないよりはマシ、程度ですが」
「頼りねぇ先生だなぁ……でも、貰っとくぜ。ほら、お前らも持っとけ」
保に渡され、ふたりもそれを身につける。
そこまで話したところで、華子は疲れたように病床に身体を横たえた。
「すみません。疲れてしまって」
「ああ、長居したな」
「……最後に、一つだけ。これは皆さんにですが」
わずかに言いよどむようにしてから。
華子は、全員に訊ねた。
「この祟りの本質は、なんだと思いますか?」
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