第3話


父さんの会社で起きた横領事件から三カ月が過ぎた。

最初の二カ月は警察の事情聴取や裁判所からの出廷命令で母さんは休む暇もなく動き回っていた。


幸い、誠さんが紹介してくれた弁護士さんが良い人で、親身になって動いてくれたから社員さんたちとも少しずつ和解してきてる。

それでもまだ、解り合えない社員さんも数多いのも事実。


一応、弁護士さんとの話し合いで、被害に遭った社員さんには相応の慰謝料を払う事も決まったけど。

その矢先、今度は父さんの会社に設計依頼をしてた顧客の人たちからの損害賠償を訴える声が出てしまう。


父さんの会社は地元では割と名が知れた会社だった。

だから、設計依頼を頼む会社も多かったんだけど、今となっては全て裏目になってしまうんだ。


社員さんたちへの慰謝料、顧客の人たちへの賠償金、そして弁護士費用。

どうしたってお金はかかる。

そうして、最終的に会社を売りに出すしかなくなったわけで。


この件に関しては、父さんと母さんはかなり揉めた。

今目の前にある問題を整理し、また一から始めれば良いって思う母さん。

反対に、これまで積み重ねてきたものを手放したくなくて、過去にしがみつく父さん。


そんな二人の言い合いに決着がつくまでに丸々一カ月はかかったかなぁ。

最終的に、弁護士さんそれに誠さんまで間に入って父さんを説得してくれた。


確かに父さんの言い分もわかるんだ。

誰だって一生懸命努力して得た大切なものを、簡単に手放せやしない。

でも、それに固執して後にも先にも進めないんじゃ意味がないから。


だから結局、僕も母さん側について父さんを説得したんだけど、本当にそれで良かったのかな‥‥。





「ありがとうございましたー」



少しでも生活費の足しに成ればと思って入ってたコンビニのバイト。


仕事内容は思ってたよりハードだし、愛想笑いもしんどい時あるけど、仕事中は余計な事を考えなくて済むから楽な分もあった。



「ねぇ、あれって‥‥ニュースでやってた‥‥」



「え、うそ、マジ⁉︎」



ヒソヒソと囁かれる声に、ああ、またかって辟易する。

ちょうど雑誌コーナーの前にいたお姉さん二人組の客が、レジの前にいる僕を見て好奇心と蔑みの混ざってた表情を浮かべていた。



「例の横領事件があった会社の息子!ネットに顔写真載ってたもん!」



「えー、でもアレって犯人は社長じゃないんでしょ〜?」



「犯人じゃなくても、偽物の書類に気付かないで加担しちゃってんだから、共犯みたいなもんでしょ」



けらけら、けらけら。


嘲笑う声が鼓膜に響く。

まるで新しい玩具を見つけたみたいに、夢中になって嘲る姿は、はっきり言って気持ち悪い。


事件の事は一、二回TVで報道されたぐらいだったけど、今はネット社会だ。

SNSとかで、我が家の住所、電話番号はては僕らの顔写真まで調べられて拡散された。

顔写真なんて、何処から入手したのか解らないけど、そんなこんなで外を歩けばこうして後ろ指刺される日々。



「‥‥池内さん、店長が呼んでます」



「あ、はい」



同じシフトに入ってる先輩スタッフのお兄さんが、感情乗らない声音で淡々と伝えてくる。

はは、この人も、他のスタッフには普通に接してんのになぁ。



「犯罪者の息子がヘラヘラしてんじゃねぇよ」



「っつ!」



店長の所へ向かう為、レジ内から出た背中に吐き捨てられた言葉。

咄嗟に振り返るけれど、発言したはずの先輩は補充作業に取り掛かるフリをして、背中を向けていた。



「‥‥‥っ」



犯罪者なんかじゃない。

勝手な事を言うな。

そう言いたかった言葉は喉で止まって、またお腹の底に落ちていく。


こんな場所で言い争いになったって、自分が不利になるだけ。

余計に噂が尾鰭をつけて広がるだけだって言い聞かせて、僕は店長のいる事務所へ入っていく。





「いゃあ、ね、うちも‥まぁ、その客商売だからさ。クレームきちゃうと、まぁ‥なんて言うかさ‥‥庇い立てできないて言うか、そこまでする義理もないって言うか‥‥はは‥‥」



「‥‥僕ら家族は犯罪なんて犯してません。事件を起こしたのは別の人です」



絶対に目を合わせないように視線を泳がせた店長がそうなんだろうけどさぁと、場を繋ぐように煙草に火を着ける。


呼び出された先で伝えられたのは、なんとなく頭の片隅で予想していた内容だった。

TVやSNSで騒がれて、噂にはどんどん尾鰭がついていたから、いずれはこうなるかもしれないって、それなりに覚悟はしてたけどさ。



「世間はそうは見てくれないって言うか、ね?はは‥‥いやいや、君も大変なのはわかるよ?でも、僕も店長だからさぁ‥‥はは、言いたいこと解るよね?」



「‥‥クビって事ですよね‥‥」



どんなに言い方を取り繕おうと、結果は同じ。

厄災の芽はさっさと引っこ抜いてしまえって事だ。



「いや、さすがにクビって言うのは、君も僕も体裁があるしね。‥はは、ここはさ、一身上の都合の為って事で、自主退職にしとこうよ、ね?」



狭い事務所内に充満する紫煙と匂い、そして店長のヘラヘラした笑い方。

それら全てがグルグルと思考をかき混ぜ、ぐちゃぐちゃにしていく。


悔しいとか、哀しいとか、腹が立つとか、いろいろな感情が頭の中でかき混ぜられて、上手く言葉が出てこない。

店長が何か言ってたけど、それも聞き取れなくて、気付いた時には事務所には僕一人だった。





今日限りで終わってしまったバイトの帰り道。

真っ直ぐ家に帰る気になれなくて、近くにあった公園のブランコに座って、黄昏空を宛てもなく眺めてた。


その公園の前を、見覚えのある制服に身を包んだ学生たちが、楽しそうに笑いながら歩いていく。



「‥‥学校、辞めてまでバイト探したのになぁ‥‥」



本来なら四月から通うはずだった高校。

陸上部の推薦で決まった学校で、父さんも母さんも喜んでくれたっけ。

でも、こんな事になって学校なんて行ってる場合じゃないし、いくら推薦入学でも学費が安くなるわけじゃない。


入学料や授業料、陸上を続ければそっちにもお金は掛かる。

今の状況で、そんなお金を払って欲しいなんて口が裂けても言えなかった。



「‥‥本当なら、僕も‥‥そっち側にいたのになぁ‥‥」



制服のネクタイの色で、公園の前を通り過ぎていく彼らが一年生だってわかった。

何事もなかったら、あそこで笑っていたのは僕だったかもしれないのに。



「はは‥‥駄目だなぁ‥‥。今日はさすがに弱ってるや‥‥」



どんどん落ちていく気持ちに、こんなんじゃ駄目だって思う。

だけど今日は上手く気持ちの整理がつけれない。


このままの気持ちで家に帰ったら、絶対に父さんや母さんに八つ当たりしてしまう。

それだけは絶対に駄目なんだ。

僕なんかより、二人の方がずっとずっと辛いんだから、僕が弱音を吐いたりしちゃ駄目なんだ。



「‥‥僕が、支えないと‥‥。僕が二人を助けなきゃ‥‥僕が‥‥」



「遥?」



底無し沼のようにずぶずぶと沈んでいく感情に、思考と視界が真っ暗に歪みかけた矢先だ。

不意に頭の上から掛けられた懐かしい声に、僕は勢いよく頭を上げる。


黄昏空を照らす太陽が逆光になって影を落とすけれど、今目の前に立つのは子供の頃から隣にいた親友。



「‥っ‥かい‥‥」



久しく口にしていなかった親友の名前に、舌が震えた気がした。








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