第2話


父さんと母さんを家に残して、僕は今の状況を打破できる解決案を教授してくれる可能性がある人物を頼り、とある場所を訪れていた。


駅前にあるファンシーな外観のケーキ屋。

今の気分にはあまりに不似合いな場所だけど、僕は躊躇いなく店の扉を開ける。



「いらっしゃいませ〜って、あれ‥‥遥くん?どうしたの⁉︎顔色真っ青だよ⁉︎」



ウェイターの制服に身を包んだ小学生の頃からの幼馴染みが、僕を見るなり慌てて駆け寄ってくるから、相当な顔色をしてたんだろう。



「閉店近くにごめんね、りょうくん。まことさん、もう帰ってきてる?」



「父さん?父さんならさっき帰ってきたけど、ちょっと待ってて。今呼んでくるから」



そう言って、僕の唐突な質問に戸惑いつつ目的の人物を呼びに行ってくれた彼・愛宕あたごりょうの背中を見送る。



「あらあら、はるかちゃん。いらっしゃい」



「あ、砂千子さちこさん。すみません、お店もう終わる時間ですよね」



ふわふわのレースカーテンで仕切られたレジカウンターの奥から、白いパテシェ服を着た可愛らしい女性が姿を現す。


彼女は遼くんのお母さんで、このケーキ屋の店長さん。

色素の薄い長い髪を一つに編んで、仔犬みたいな大きくて愛らしい瞳。

パテシェの制服よりも、ふわふわのレースがあしらわれたウェイトレスの制服の方が似合いそうな雰囲気だ。



「ふふ、だぁいじょうぶよ。はるかちゃんは遼ちゃんのお友達だもの。気にしないで?」



そう柔らかく微笑んだ砂千子さんが、店の扉に掛かっていたopenの札をcloseに変えてくれた。



「なにか大事な話があったんでしょう?いつもニコニコのはるかちゃんが、こんな眉間に皺寄せちゃってるんだもの」



「‥‥はは、相変わらず鋭いなぁ。砂千子さんは」



いつの間にか寄っていたらしい眉間の皺を、優しく親指の腹で撫でて解してくれた砂千子さん。


おかげで少し肩肘張っていた力が解けたかもしれない。



「ごめん、お待たせ、遥くん」



階段を降りてくる二つの足音と遼くんの声に視線を向ければ、お店の奥にある扉から遼くんともう一人、僕の目的の人物が出てくるところだった。



「やぁ、遥くん。久しぶりだね。こんな時間にどうしたんだい?」



落ち着いた物腰の長身の男性。

遼くんのお父さんの誠さん。



「お仕事から帰ってきたばかりなのに、すみません。どうしても、誠さんに相談したい事があって‥‥」



誠さんの仕事は司法支援センターの相談員だ。

弁護士さんではないけど、仕事柄、弁護士さんとも知り合いだろうし、法律にもきっと詳しい。



「‥‥相談‥‥。とりあえず立ち話も難だし、ゆっくり座って話そうか?」



「あ、はい。ありがとうございます」



白いクロスが敷かれたテーブル席に促され、僕は窓際の席に腰を下ろし、誠さんも向かいの椅子に座る。



「はい、どうぞ。母さんお手製のミルクティー!遥くん、甘いの好きでしょ?それ飲んで一息つきなよ、ね?」



砂千子さんが気を利かせて淹れてくれたミルクティーを遼くんが運んできてくれた。

甘い香りが鼻腔を擽って、遼くんの優しい言葉が目頭を熱くさせる気がしたけど、可愛いマグカップに淹れられたミルクティーを一口飲み、その衝動を抑える。


父さんと母さんの方が今はずっと辛いんだ。

僕がここで弱音を吐いたら駄目だ。

そう自分に言い聞かせて、改めて本題を口にした。





誠さんに今日あった事を話し終え、その場に重い空気が漂う。


カウンター席に座った遼くんが、当事者の僕よりオロオロしていて、砂千子さんがそんな彼を穏やかに宥めていた。



「‥‥なるほど。これはだいぶ難しい問題だね」



絵になる仕草で珈琲を一口飲んだ誠さんが、深い溜め息と共に漏らした言葉に、心臓がドクンと鳴り響く。

冷水を浴びせられたみたいに、急速に身体が冷えていく感覚。


膝の上に置いた両手が汗ばみ、小刻みに震えるのを誤魔化す為、強く強く握りしめる。



「っ‥‥やっぱり、どうにもならない‥‥?」



「そうだね。話を聞く以上、遥くんのお父さんが置かれた状況は決して思わしくない。ただ直接的な関与はしていないから、逮捕される確率は低いと思う」



だけどと、険しく眼を細めた誠さんが考え込むように腕を組み話を続ける。



「知らずにとは言え、偽造書類に判を押してしまった事実は、一組織の代表‥‥会社の社長としての責任を問われるのは避けられないだろうね」



「う、うん‥‥。家に送られてきた書類をチラッと見たけど、お父さんを訴えてるのは社員の人たちみたい」



ちゃんと読んでないけど、事件のあらまし的には、横領をした父さんの右腕だった社員。

彼が横領したお金は本来、全社員の給料に回すはずだったものらしい。



「その横領行為を行なった社員の役職は何かわかるかい?」



「え、えーと確か、専務取締役?だったかな‥‥。僕も一、二回しか会った事ないけど‥‥」



父さんも母さんも、あまり仕事関係の事を家庭に持ち込むのが好きじゃない人だから、会社の人を家に招くって事も滅多になかった。


だから僕にも、よほどの事がない限りは会社に訪ねて来ないように言ってたっけ。



「なるほど。役職的には三番目に権利がある存在か。尚更、被害を受けた社員からしたら、その上司である君のお父さんに疑いの目‥‥共犯と見られても不思議じゃないね」



「うん。父さんは、世間じゃ自分がその共犯に疑われてるって言ってた」



社長は父さん、母さんは副社長。

確かに二人の役職からしたら、一番に疑惑の目を向けられる立場だ。


特に父さんは偽造書類に気付かずに判を押してしまったから、余計に被害に遭った社員の人たちから疑われ易いだろう。



「‥‥父さん、信頼していた人が作った書類だったからって、深く考えずに判押しちゃったらしいんだ。さすがに僕も、それはどうかと思う」



その偽造書類の内容がどんなものか知らないけれど、父さんの行動は社長としては軽率過ぎると僕でもわかる。



「‥‥確かに遥くんのお父さんの行動は軽率で、この状況では彼を擁護するに値する材料も少ない。このまま裁判になれば、九割は負けると断言できる」



厳しい意見を言ってばかりですまないねと、誠さんが申し訳なく謝るから、僕は大丈夫と返す。

確かに、誠さんの意見は厳しいものばかりだけど、例え厳しい意見だろうと冷静に状況を分析して考えてくれる方が良かった。


父さんと母さんを助けられる手立てを得たいのは事実だけど、生易しい同情や一つの方向からの見方だけで理解したふりをする否定なんて要らないんだ。



「取り敢えず、早急にすべき事は二つ。一つはこれ以上の不利を齎さない為にも腕の立つ弁護士に依頼する事。もう一つは被害に遭った社員との和解」



「母さんも、社員の人たちときちんと話し合ってって言ってた。僕もその方が良いと思うんだ」



誠さんの示した打開策の案に頷きながら、僕は僕の感じる事を話す。



「確かに共犯と疑われているし、実際のところ父さんの行動は社長として軽率だし、社員さんから責められるのは防ぎようのない事かもしれない」



もし僕が被害に遭った社員さんの立場だったら、やっぱり納得できない。

当然だ。

だって、頑張って働いた分の給料が理不尽に独占されて支払われないし、組織をまとめる存在である社長の軽率な行動も、その原因の一つになっているんだから。



「けど、横領したのはその専務取締役の人で父さんと母さんはやってない。被害に遭った社員さんたちへの責任は取らないといけないけど、犯してない罪の事まで責任を取る必要はないと思うんだ」



横領と言う罪を犯したのは、その専務取締役の人の独断だ。

言い方を変えれば、父さんは利用されたに過ぎない。


だけどそんな言い訳で許されないところまで、事態は悪化している。

なら、一つ一つ精算していくしかないんだ。

被害に遭った社員さんときちんと向き合って、生じてしまった誤解や疑惑を晴らしていくしか。



「子供の甘えた戯言かもしれないし、口で言うほど簡単に解決できない問題だってわかる。でも、このまま何もせずにいたら、本当に何も解決しない、全部終わってしまうから」



それだけは、絶対に嫌なんだ。

だから僕は、僕のできるやり方で父さんと母さんを助けられる術を探したい。



「そうだね、遥くんの意見は一番の正攻法だよ。恐らく途方もない時間がかかるだろうし、その間に失うものもあるだろう。だけど、その努力はいずれ身を結ぶ」



柔らかく微笑んだ誠さんの低く落ち着きある声が、その場に凛と響く。



「大丈夫。大人の力でしか解決できないところは、僕が手を貸すよ。職場に良識ある弁護士の方がいるからね。明日にでも話を通しておくよ」



「っ、本当⁉︎ ありがとうございます!誠さん!」



願ってもない申し出に、思わず椅子から立ち上がって誠さんへ頭を下げた。

良かった、これで一つの道は開けた。



「詳しい事は追って話そう。今日はもう遅いし、お家に帰ってお父さんたちと、ゆっくり落ち着いて話してみると良いよ」



頭を下げた僕の肩を優しく叩いた誠さんの言葉に確かにそうだと納得する。

父さんと母さんにも、この事を伝えなきゃ。


弁護士さんの事も、社員さんたちとの話し合いも、二人がいなきゃ成り立たない。



「ありがとうございます、誠さん。砂千子さんと遼くんも」



改めて誠さんにお礼を伝えて、状況を見守ってくれていた遼くんと砂千子さんにも感謝の気持ちを向ければ、二人とも朗らかに笑ってくれた。



「気にしないでよ、遥くん。幼馴染なんだし」



「そうよぉ〜。はるかちゃんは、お友達の少ない遼ちゃんの貴重なお友達なんだもの、ね?」



「待って、母さん⁉︎ なんでさり気なく僕は貶されてんの⁉︎ て言うか、友達いっぱいいるから! 百人くらい余裕でいるからね!」



仲の良い遼くんと砂千子さんの会話を微笑ましく感じつつ、誠さんに見送られながらお店を出る。


三月と言え、まだ冬の寒さが残ってるのか夜は肌寒い。

お気に入りのトレンチコートのボタンを閉めて寒さを凌ぐけど、冷たい風が服の隙間から入ってきて、自然と身震いしてしまう。



「まだまだ夜は冷えるね。風邪をひいてはいけないから送っていくよ」



そう言ってお店の隣にある駐車場に向かおうとした誠さんを、大丈夫だよと止める。



「走れば十五分くらいで帰れるから、大丈夫!」



誠さんは明日も仕事で、今日も仕事から帰ってから間もなくに、僕の相談に乗ってくれたんだ。

これ以上、迷惑はかけられないし、なにより時刻はちょうど夕飯時。


愛宕家ももうすぐ夕飯の時間になるはずだ。

せっかくの家族団欒の時間を邪魔したくはない。



「それじゃあ、弁護士さんの件、よろしくお願いします」



最後にもう一度だけ誠さんに頭を下げて、帰宅ラッシュで混み合い始めた大通りへと足を進める。

駅前だから人もまだいっぱいいて、車通りも多いから話し声やクラクションの音がすごいんだけど、今日はヤケに耳に響くなぁ。

いつもはこんなに気にならないのに。



「遥くん!」



「遼くん?」



信号待ちをしていたところへ、遼くんが慌てた様子で追いかけてきて、何かあったのかと思う。



「どうしたの? そんな急いで‥‥」



「‥‥っえっと、その‥‥」



「遼くん?」



言い難い事なのか、言葉を紡ぐのを躊躇う遼くんの様子を不思議に感じ、本当にどうしたんだろうと心配になる。



「遼くん、本当に大丈夫? もしかして疲れちゃった? もしそうならゴメンね、仕事終わりに暗い話持ちこんじゃって‥‥」



「っちがう! そうじゃない‥‥そうじゃなくて‥‥っ‥‥」



辿り着いた予想は外れて、嘆くように顔を歪めた遼くんが視線を足元に下げ、もう一度そうじゃないと呟いた。



「‥‥‥‥ごめん。遥くんの家の事が落ち着いたら‥‥その、遥くんに話したい事があるんだ‥‥」



「話?‥別に今でも構わないよ?」



こんなに思い詰めてるって事は、きっと大事な話なんだろうし気を遣わなくて良いって宥めるけど、遼くんは重く首を横に振り返す。



「ううん、良い‥‥。落ち着いたらで、大丈夫。それじゃ、またね。おやすみ」



「え、ちょ、遼くん‥‥」



貼り付けたような薄い笑顔を浮かべて、お店の方へと走り去っていく遼くんの背中を、僕はどうしてか追いかけれなかった。


追いかけて、やっぱり話してって問い詰める事も出来たけど、なんだか、今それをしてしまったらいけない予感がしたんだ。

もし今、遼くんの話を聞いてしまったら、大事な何かを永遠に失ってしまいそうな。


そんな嫌な予感が心を締め付けて、僕は青に変わった信号を渡り帰路についたんだ。

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