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 泉ちゃん、久しぶり。

 お返事遅くなって、本当にごめんなさい。中学卒業間際は体調が最悪だったし、高校入学後もしばらく落ち着かなくて。実は最近、やっと続けて登校できるようになったの。もう夏なのにねぇ。毎日登校するとか、みんな当たり前にできてることなのにって思うと情けない。でもまぁ、私としてはよく頑張ったなぁっても思うの。泉ちゃんのお手紙にも、励まされました。中学は3年生になったらクラスが分かれちゃったけど、お手紙続けてくれて嬉しかった。本当に、ありがとう。


 結局、私は中学校にほとんど通えないまま、卒業を迎えてしまいました。高校受験も一苦労で、体調悪化して通院も増えて。最近お母さんから、「浪人するんじゃないかと思ってた」って言われちゃった。まぁ、何とかなったけどね。今の高校は、名前を書けば受かるって言われてる所だし。

 でも、私が通っている花実高校は、すごくいいところだよ。私立の、単位制の高校。好きな科目を選んで時間割が組めるし、3年間で卒業しなきゃいけないって決まりも無いから、自分のペースで通える。最初は戸惑うことばかりだったけど、担任の先生もいろいろ相談にのってくれて。まぁ何とかなるもんだね。

 さっきから私、「まぁ何とかなる」って言っちゃうけど、これ担任の先生の口グセなの。橋元先生っていって、男の、40代くらいかなぁ? すごく気さくな先生。私が休んでる間、ずっと家庭訪問してくれて。

 私、入学式から頑張って一週間は登校したんだけど、パタッと行けなくなっちゃったの。夜全然眠れなくて、朝になるとグッタリで。まぁいつものことなんだけど、またかって。やっと高校生になれたのに、またこの繰り返しかって。自分にガッカリして、情けなくて。だから、橋元先生が来てくれた時も最初は会えなかったの。いつになれば登校できるか分かんないし、「頑張ります」なんて、とても言えなくて。

 でも先生は、私が出てこなくても構わないっていうか、玄関先でお母さんと話してずっと笑ってた。後で何の話してたのかお母さんに聞いたら、先生が飼ってるウーパールーパーの話だって。しかも、名前がエカチェリーナ。なんだか拍子抜けしちゃった。そのうち先生がおはぎ(うちのハムスターね)にも会いたいって言い出して、私の部屋に来てもらったの。それからかな、だんだん話せるようになって。

 後でお母さんに聞いたんだけど、橋元先生は大学で7年留年したんだって。7年目に決意して退学して、理系から教育学部を受験し直して、教師を目指したらしい。ストレートで教師になった人より、12年遅れて教師になったんだって。だからかな。橋元先生が「まぁ何とかなるから」って言うと、不思議な安心感があるの。未来への道は一本道で、急がなきゃどんどんその扉が閉ざされていく。そんな気がしていたけど、いろんな行き方があるんだよって言われた気がして。私が登校したり休んだりを繰り返してる間、先生は励ましも慰めもしなくて、ただ変わらず笑っていて、そのことに救われた。


 今は少しずつ登校出来るようになったけど、花実高校って不思議なところ。

 まず生徒がね、何ていうか……あらゆる子がいるの。不登校だった子が大半だけど、見るからにヤンキーな子、障がいや病気があるんだろうなと思う子もいる。単位制で、授業毎に教室やメンバーも変わるせいか、最初はカオスな感じがした。先生と生徒の距離も、違う。先生が生徒を叱ってるところ、まだ見たことないなぁ。メイクしてる子、髪を染めてる子、いろんな子がいるけど、先生たちは気長に話し合っている。「そのままの君で来られるようになったら、いいね」と笑っている。

 戸惑うことばかりだったけど。今は、その緩やかでのんびりした感じが心地良い。

 引きこもっていて、何年もかけて入学した子もいれば、入学後何年もかけて少しずつ単位をとっている子もいる。それを急かす人はいなくて、あなたのペースでやっていけばいいって、皆で見守ってくれている。

 そうそう、私、やっと友達ができたの。響子ちゃんっていって、同じクラスの子。最初は絶対仲良くなれないと思ったんだけど。なんでかというと……響子ちゃんって、金髪なの。ロングの髪をそのまま垂らしてて、なんか……迫力があって。クラスメイトにも茶髪やピアスの子はいるよ。けど案外話しやすくて、見た目で自分とは違うって決めちゃダメだなと思ったんだけど。響子ちゃんはいつも黙ってるし笑わないし、しかも金髪だしで、私が勝手に怖がってたの。

 でも、放課後、橋元先生と話し合ってて遅くなった時に、たまたま響子ちゃんと話ができてね。

 空き教室から、ギターの音が聞こえてきたの。聞き覚えがある曲だった。「戦場のメリークリスマス」。静かなイントロ。まるで、音も無く降り積もる雪みたいな。一音一音が胸に響いて、思わず覗いた窓から響子ちゃんが見えた。華奢な体に寄り添う、飴色のクラシックギター。白い指がひらめいた瞬間、溢れ出す旋律が世界を変えた。真っ白に凍りついた雪が、溶けていくように。

 私は、その場から動けなくなった。

 波紋が広がるように、蕾が開いていくように。音が、感情を呼び覚ます。蓋をした後悔も哀しみも、解き放たれて、包みこまれていく。

 夕暮れの光の中で、金髪が淡く光っていた。細い指が弦をつまびき、愛おしくフレッドを撫でる。柔らかな音を奏でる響子ちゃんは、妖精みたいに見えた。とても、綺麗だった。

 それが、私と響子ちゃんの出会い。

 響子ちゃんは、一人で部活の練習をしていたんだって。クラシックギターの会。なんでギターが弾けるのか聞いたら、中学の頃からやってたんだって。「部活?」って聞くと、柔らかだった表情が翳った。「家にあって……暇だったし」とだけ、ぽつんと言った。それだけで、伝わるものがあった。響子ちゃんは、きっと一人でギターを弾いてたんだ。学校に行けない間、苦しい時間を埋めるように。

 それから、放課後響子ちゃんのギターを聞きに行くようになって、教室でも話せるようになったの。響子ちゃんは相変わらず無口だけど、一緒にいるとなんとなく伝わるものがある。響子ちゃんは他人を寄せ付けないんじゃなくて、こっちに来てって言えない人なんじゃないかなって。

 響子ちゃんの髪について、「もしかして自毛なの?」って聞いたことがある。よく見たら、普通に染めた金髪より自然で、響子ちゃんに馴染んで見えたから。私がそう言うと、響子ちゃんは「自毛の色が明るいから」とだけ言った。黙り込んだ横顔の険しさに、私はそれ以上何も言えなかった。

 自毛よりさらに明るく染めた髪。響子ちゃんの金髪は、学校に行けなくなったことと関係あるんだと思う。教室で周囲に話しかけず、一人でいることとも。

 でも、私はやっぱり、響子ちゃんを綺麗だと思う。淡く光る金色の髪も、優しいギターの音色も。最近は朝、教室に入ると響子ちゃんと目が合うようになった。目が合っても、響子ちゃんは何も言わない。でも淡く微笑んだのが、私には分かる。それだけで、じんわり嬉しい。この学校に来て、響子ちゃんに会えて、よかったなぁって思う。


 本当にね。私、ここに辿り着けてよかったなぁって、思えるようになったの。今までは、こんな風になったことに負い目があったっていうか。登校するなんて当たり前なのに、どうして人並みにできないんだろう。もっと頑張らなきゃいけないのに、どうして自分をコントロールできないんだろう。ずっと、そう思ってた。情けなくて、悔しくて。

 中学の卒業式の日も、そう。卒業式には出られなくて、皆が帰った後に卒業証書を受け取りに行ったの。お母さんと校長室に行って、ほとんど顔を見ることが無かった校長先生に「頑張りましたね」なんて言われて。担任の先生もいて拍手してくれたけど、私にはなんだか白々しく思えた。皆ちゃんと、練習を重ねて本番を迎えて、壇上できちんと卒業証書を受け取っていくのに。私は頑張れなかった。ちゃんとできないままだったなぁって。帰り道の車の中で、ラジオから「卒業シーズンですね、おめでとうございます」って卒業ソングが流れてきて。私、思わず泣いちゃったの。これが、私の卒業式なのかって。

 そしたら、黙って運転してたお母さんが、急にラジオと一緒に歌い出して。お母さん、「音痴だから」ってカラオケ行っても歌わないのに。びっくりして……今まで心の中を素通りしていた歌詞が、響きだしたの。ほら見てごらん、って優しい歌声が、お母さんの声に重なって。

 頑張れなかったと思ってた私に、「足元を見てごらん」って。

 私の足元には、これまで歩いてきた道があった。遠回りして、迷い込んで、立ち止まって……それでも、私が歩いてきた道。そして、その先には未来があった。私にも、未来が。

 お母さんまで涙声になって、さらに調子が外れて、私は笑いながら泣いた。あたたかなメロディ、窓の向こうの晴れ渡った空。

 今は、あの思い出を愛おしく思える。車の中でお母さんと一緒に泣いた、あれが私の卒業式。

 私、たぶん皆と同じにはなれないと思う。この体が急に元気になることは無いだろうし、些細なことでクヨクヨしちゃう心も、すぐには変わらない。でも、そんな私だけど、ここまで来ることができた。皆と違っても、それぞれのペースで頑張ってきた仲間に会えた。それでいいんだって言ってくれる人達がいた。

 私、自分をコントロールするには、強くならなきゃいけないんだと思ってたの。負けずに、諦めずに、自分を律する鋼みたいな強さがあればって。でもね……私にとっては、違うのかもしれない。

 今日の調子はどうかなぁって、体の声に耳を澄ませること。頑張ったら、疲れた分休む。しんどい時は無理をしない。限界まで走って倒れるんじゃなくて、自分のペースで歩き続ける。皆と同じようにやれないなら、皆とは違う私なりのやり方を見つければいい。それが、私のコントロール。どうしてできないのって自分を責めるんじゃなくて……頑張ってるんだよねって、認めてあげてもいいのかなって。


 うまく言えないんだけど……こんな私でもいいんだって、思えるようになった気がする。


 突然話が変わるんだけど。花実高校って、丘の上にあるんだ。だから、学校までけっこうな坂を登らなきゃいけない。私、最初びっくりしたの。不登校の子達が、こんな坂を毎日通えるのかな? って。

 でも、それでも皆が登校する理由、今なら分かる。

 休みながら、立ち止まりながら。長い長い坂を上った先で、学校から見渡す景色は何ともいえません。風が吹き抜けて、目の前には青空が広がっていて……自由。ここは、本当に自由なところです。

 よかったら、泉ちゃんも遊びに来てみない?

 まだ先なんだけど、花実高校の文化祭があるの。保護者だけじゃなくて、一般参加もできるんだって。私もクラスの出し物はあるけど、交代制だから自由時間は一緒に回れるよ。響子ちゃんもギターの演奏するらしくて、すごくカッコいいから泉ちゃんにも見てほしい!

 泉ちゃんの高校の話も、ぜひ聞きたいな。会えたら、すごく嬉しい。

 お返事待ってます。いつもありがとう。またね。



 

 

 

 

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