手紙

 泉ちゃん、久しぶり。

手紙、なかなか書けなくてごめんなさい。あれからまた体調が悪くなってしまって。本当に情けないです。でも、今は大丈夫。こうやってお手紙書くことができて、嬉しい。


 私は今、そよかぜ教室に通っています。

 それは前も言ったんだけど、実はあの頃は通い始めたばかりだったの。何度か体験で行ってみて正式に入級したら、学校にも行ってる子がいるのに驚いちゃって。それなら私も! って思ったんだけど、無理しすぎたみたい。カウンセラーの先生からもやんわり止められてたんだけどね。登校した翌日から体調が逆戻りしちゃって、しばらく学校は無理だなぁって諦めました。今は、体と相談しながらそよかぜ教室に行っています。

 あ、いきなりカウンセラーの先生とか書いたらびっくりだよね。何から説明したらいいかなぁ。


 学校を休みだした頃は、今思うと本当に大変だった。夜は眠れなくて疲れるし、朝起きると体が果てしなく重くて。今まではそれでも、「登校する!」ってスイッチが切り替わって行けたんだけど、全然ダメで。頭が痛くて吐き気もしてきて、どうしても体が動かなくなるの。お母さんに遅刻するって連絡してもらって、部屋で休むとちょっと良くなるんだけど、さぁそろそろって思うとまた具合悪くなって、結局休んじゃう。毎日その繰り返し。

 でもある日、起きたら朝の10時でね。遅刻だ! って慌てて(どうせ休んじゃうんだけど、でも気持ちとしては行くつもりだからさ)、ダイニングに駆け込んだら、お母さんが「おはよう」ってお味噌汁を温め始めて。「もうこんな時間だよ、どうして起こしてくれなかったの」って言ったら、私に背中を向けたまま言ったの。


 「しばらく学校はお休みにしましょう。学校に行くよりも、千津がしっかり眠れたりご飯食べられたりする方が、お母さんには大事よ」


 気付いたら、勝手にぽろぽろ涙が零れていた。体をがんじがらめに縛っていた鎖が、解けていくような感じがした。お母さんは黙ってお味噌汁をついで、ご飯をよそってくれた。いつもは食べるのが苦痛なご飯が温かく感じられて、いつも困った顔をしていたお母さんが静かに微笑んでいて、なんだか堪らなくて、ずっと泣いていた。


 でもね、こんなこと言ったら怒られそうだけど、「休む」ってすごく難しい。

 昼間家にいるのが落ち着かなくて、本を読んでもテレビを観ても頭に入らないし。これだけ休んでしまって、皆にどう思われてるだろう。ずっと学校行けないままだったら、私の将来はどうなるんだろう。いろんな考えがぐるぐるして、息がぎゅっと詰まる。すごく怖い。足元の地面が崩れていくような感じ。

 かといって勉強っていうのは、教科書を見ただけでドキドキして、とても手につかなかった。お母さんは学校のことを言わなくなったけど顔が暗くて、深刻そうに電話してたりするし、心配かけてるよなぁと思ったらますます居づらくて。

 結局、おはぎといるのが一番落ち着くのに気付いて、ずっとおはぎの隣にいました。「おはぎ」って、ペットのハムスターなの。真っ黒でつやつやした毛並みでね。丸くなったところがおはぎみたいだから、おはぎって名付けたの。すぅすぅ眠るちっちゃな背中、ピンクの手足。気ままに走り回るおはぎを見ていると、ちょっとだけ息が楽にできるっていうか。おはぎには、私の部屋に引っ越しまでしてもらっちゃった。お母さんは「ハムスターは夜行性だから、物音で余計に眠れないわよ」って心配したけど、そうでもなかった。眠れない夜、元気に走り回るおはぎの足音は、一人ぼっちじゃないんだって私を慰めてくれた。


 そんな頃、お母さんがたまに出かけていくのに気付いたの。行先は言わないんだけど、帰ってくるとちょっと顔が明るいというか、ゆったりしてるというか。

 気になって「何処に行ってるの?」って聞いたら、パンフレットを見せてくれたの。教育センターって書いてあって、学校に関する相談を受けるところみたいだった。「何これ」って言ったら、お母さんは「おやつにしようか」って私の分まで紅茶を淹れて、ビスケットを出してくれた。小さな頃好きだった、動物の絵が描かれたビスケット。お母さんと二人でおやつなんて、幼稚園の頃に戻ったような気分になった。

 「お母さん、千津の学校のこと悩んでてね。そこに相談に行ったの。どうすればいいか教えてほしくて」

 ふぅん、って呟きながら、気持ちがざわざわした。結局、登校してほしいんだよなって。それは当たり前なんだけど、でも裏切られたような気がして。

 「相談したって、学校行けてないじゃん」

 ついそんな風に言ったら、お母さんはフフッと笑った。

 「ゴールは登校とは限りません」

 「は?」

 「そこの先生が言ってたのよ」

 ちょっとずつビスケットを齧りながら、考え考えお母さんは言った。

 「お母さんは、何か……正しい道から外れたような気がしてたの。どこで間違ったんだろう、何が正しい方法だろう、どうしたら戻れるんだろうって。でも先生は『これは今、千津さんが進まねばならない道なんじゃないでしょうか』って言ったの。『地図は無いし、誰も道案内はできない。けれど千津さんは、自分のコンパスを持っている筈です。私たちは皆、本当は自分のコンパスを持っている。でも自分を押し殺して周りに合わせていると、コンパスがうまく働かなくなって、どちらに進めばいいかわからなくなってしまうんです。無理をして、真面目に頑張って生きてきた子ほど、そうかもしれません。千津さんにとって、今は大事な時期のような気がします。自分がどんな人で、何を望み、どう生きていきたいのか。そのゴールは、登校とは限らないかもしれません。コンパスが指し示した方向に、千津さんだけのゴールがあるんじゃないでしょうか。私達に出来ることがあるとすれば、千津さんの邪魔をせず見守ることだけです』って」

 正直、私にはそれが何を意味するのかよく分からなかった。でも、いつも「これじゃダメだ」って責める声がする中で、「それでいいんだ」と言われたような気がした。懐かしいビスケットの味が口の中に広がって、こどもの頃みたいな気持ちになった。この世界は何でもありで、何処までも行けるような。

 「先生は、『気が向いたら千津さんもおいで』って言ってたよ。千津の担当の先生もいるからって」

 ふぅん、と呟いて、私はもう一度パンフレットを見た。

 「……試しに、行ってみようかな」

 確信は無かった。それでも、微かな声が聞こえた気がした。


 いきたい。

 行きたい。

 ……生きたい。



 それで私も教育センターに通い始めたの。古くて暗い建物で、怖い先生が出てきたらどうしようと思ったけど、私のカウンセラーは若い女性の先生でした。ずっと家にいたからかな、自分がどんな風に他人と話をしていたのかわからなくなっちゃって、最初は言葉が出なくて焦っちゃった。でも先生はゆっくり私に付き合ってくれてます。今は箱庭というのをしている。箱庭のお部屋があってね、ミニチュアのいろんな人形や家具や動物なんかが棚に並んでて、それを好きなように箱の中に並べるの。棚には専用のミニチュアだけじゃなくて、お菓子のオマケみたいな人形や、綺麗なビー玉なんかもあったりします。先生に聞いたら「今までここで働いた先生達が、箱庭に良さそうだなって思ったものを置いていってるから」と話してました。私はそういうものの方が気になって、棚の片隅に思わぬものが隠れてないか探してしまいます。先生はニコニコしながら私を見守っていて、静かな時間がゆっくり流れて、まるで別の世界にいるような気がします。


 そよかぜ教室は、この教育センターの中にあります。カウンセラーの先生達が「少し元気が出てきたら、こういうところに行ってみるのもいいかもしれない」と勧めてくれて、行き始めたの(やっと話が繋がった💦)。

 私の他には3人中学生がいます。緊張してガチガチだった私に話しかけてくれたのは、1年生のマサル君でした。

 「木原さんは、マイアサウラに似ていますね」

 「……?」

 「マイアサウラは白亜紀後期の恐竜です。化石化した巣の傍でその化石が発見されました。巣には卵やこどもの化石もあり、子育てをしていた形跡が見つかっています。マイアサウラとは、『善良な地母トカゲ』を意味するんですよ」

 「やめろオタク。どん引かれてるじゃん」

 割って入ったのが、3年生の夕貴ちゃんでした。背が高い夕貴ちゃんは私服のせいか、高校生みたいに大人っぽく見えます。構わず、優君はくりくりした瞳で嬉しそうに話し続けました。 

 「夕貴さんはアルゼンチノサウルスですね。最長45メートルとも言われる、最大の恐竜で」

 「デカくて悪かったね。あのさ、アンタも興味ないならハッキリ言った方がいいよ。コイツ話止まらないから」

 そう言った夕貴ちゃんの、少し釣り上がった瞳が怒って見えて、私は心臓が跳ね上がりました。

 「あ、えっと、すみません……」

 「敬語要らない。めんどい」

 「えっと……」

 息苦しくなって逃げ出したくなった時、おっとりした声がしました。

 「ねぇねぇ、見て〜。昨日、出来上がったの」

 2年生の凛ちゃんでした。凛ちゃんはにっこり笑って両手を広げました。ふっくらした手のひらには、きらきら輝くビーズの作品が乗っていました。

 「たくさん作ったね。あ、この指輪可愛い」

 「じゃあ夕貴ちゃんにあげる」

 「ステゴサウルスありますか?」

 「ウチ恐竜は知らないから、作れないよ〜」

 ビーズはワイヤーで巧みに形を変え、花や指輪や動物に生まれ変わっていました。小さなビーズは隙間なく繋がり、凛ちゃんが丁寧に作り上げたことが伝わってきます。すごい、と思ったけれどどう言えばいいか分からず、黙ったままの私に凛ちゃんは笑いかけました。

 「どれか、いる?」

 三人の視線が一斉に向いて、私は頭が真っ白になってしまいました。口を開こうとしても、変なこと言ったらどうしよう、嫌われちゃったらって気持ちが沸き上がって、手が細かく震え出しました。凛ちゃんが困ったように眉を下げ、差し出した手をそっと引こうとするのが見えました。違う、という声が出ず、泣きそうになった時。

 夕貴ちゃんがおもむろにビーズの花を掴み、私に差し出しました。

 「ん」

 呆気にとられながら、私はそれを受け取りました。青く透き通る花びらはグラデーションになっていて、深い海を思わせました。しんとした海の底で、私の心はほぅと息を吐きました。

 「すごく、綺麗。……あり、がとう」

 つっかえながら言った私に、凛ちゃんはふわりと笑いかけました。夕貴ちゃんはぶっきらぼうに背を向けたけれど、もう怖くはなかった。優くんは何事もなかったようにニコニコしていて、なんだか不思議な場所だと思いました。こんな教室もあるんだなぁって。


 そよ風教室のみんなは、今まで会った友達とはちょっと違います。優くんは恐竜の話ばかりだし、凛ちゃんは何でものんびりゆっくりで、授業の時間内に終わらないこともあります。夕貴ちゃんは急に怖い顔で黙り込み、うずくまったハリネズミみたいになる時があります。そんな時は先生が教室から連れ出して、話を聞いてくれてるみたい。

 でも、優くんの恐竜の話を聞いているとワクワクするし、凛ちゃんのじっくり取り組む粘り強さはすごいなぁって思います。夕貴ちゃんも、本当はすごく繊細な人なんだって今は分かる。みんな、優しいし真っ直ぐなの。心の中で思ってることと、口から出る言葉が同じな気がする。一緒にいて安心できる。だんだん、みんなとも話せるようになってきたよ。前は「ここじゃなくて、早く学校に戻らなきゃ」って思ってたけど、今は、自分がこの場所を必要としてる気がする。ここが私の居場所なんだと思う。


 これから私がどうなるのか。それは、全然分かりません。学校には行けないままだし。今も、先のことを考えるとすごく怖い。

 でも、私はこの道を歩いてみようと思います。それがどこに続いていくとしても。

 泉ちゃん。あの時、逃げたんじゃないって言ってくれたこと、ありがとう。本当に、ありがとう。

 いつになるか分からないけど、またお手紙書けたらいいな。

 からだに気をつけて、元気でね。

 

 

 

 

 

 


 

  

 

 

 

 

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