公平
教室は、ざわめきに満ちている。一学期最後のホームルーム。9月の終わりの体育祭に向けて、それぞれが出る種目決めをしていた。
「男子は前、女子は後ろに集まって下さい」
クラス委員の声に、蝉の声が重なる。窓の外には、入道雲。もうすぐ、夏休み。光と陰の
何故だろう。夏はいつも、切ない。
強い陽射しに照らされた白い道。一人、歩いていると、世界が終わったような気持ちになる。赤く染まった夕焼け空に、大事な何かを忘れてきたような気がして、泣きたくなる。
「泉ちゃん、何に出る?」
まやちゃんの声で、我に返る。
「50M走。一番距離が短いもん」
「私も。みんな、考えることは同じだね。私、遅いからなぁ。長距離にならないといいなぁ」
「ダメダメ、そんなこと言ってたら、予感的中するよ!」
会話に尚子が加わり、まやちゃんを小突く。まやちゃんはしみじみと溜め息をついた。私は思わず笑ってしまう。
クラス委員が黒板に種目を書いていく。
「希望する種目に手を挙げてください」
みんな一斉に50M走に手を挙げる。
私も、そう。
走るのは嫌いじゃない。走り続ける内に、思考は無くなって、自分が世界に溶けていく感じがする。その感覚は、嫌いじゃない。
でも、すごく速い訳でもないので、長距離を希望するのは気が引ける。どう思われるかなって。
バランス、バランス。
誰かが
「希望者が多いので、じゃんけんで決めます」
みんなで集まって、何回かじゃんけんを繰り返した。なんとなくで選んだのに、勝ってしまった。
「いいなぁ、泉ちゃん」
最後に負けてしまったまやちゃんが溜め息をつく。ちょっぴり、罪悪感。
見ると、千津ちゃんも負けてしまったらしい。眉を寄せている。
そういえば、千津ちゃんは体育も見学してる時があるな、と思う。体調が良くない時なんだろう。そもそも、体育祭当日も、休みになるかもしれない。
胸がざわついた。
種目決めは、淡々と進む。
千津ちゃんは、またしても希望する種目から弾かれてしまう。結局、じゃんけんに負けて、1000M走になってしまった。
千津ちゃんが俯く。
人形みたいに華奢な手足。透けるように白い肌。
胸がざわつく。
誰かが囁く。
バランス崩せば……。
「木原さん、代わるよ」
尚子の声がした。
「私が代わる。1000Mはきついでしょ」
尚子は屈託なく笑いかける。
「本当に……?」
千津ちゃんは、瞳が潤んで、一瞬泣きそうに見えた。
「じゃんけんで決めたのに、ずるくない?」
「ずるくない。見てなよ、バレー部の意地にかけて、上位入賞を果たす!」
周囲の野次を尚子は笑いに変えてしまう。
「あ、でも、私500M走だったんだよね。木原さん大丈夫かな」
尚子がすまなさそうに言う。千津ちゃんは小さな声で「大丈夫」と微笑む。
「私、代わるよ。50M走だから」
やっと言えた。
尚子が言ってくれたからだ。苦く思う。
「……ありがとう」
千津ちゃんの笑顔に、胸がちくんとした。
「ごめんなさい。……本番、出れないかもしれないんだから、皆に迷惑かけないように、私から言わないといけなかったのに。1000Mは、やめておきたいって」
千津ちゃんが、また俯く。
千津ちゃんが欠席すれば、代走者を出さないといけない。1000M走の代走は、なかなか引き受けてもらえないだろうなと思う。
「あんまり深く考えなくていいんじゃない?私、余計なこと言ったかもって思ったけど、木原さんがいいならそれで。木原さんが出れるなら出たらいいし、無理なら無理しなくていいんだし」
尚子は笑う。その笑顔が眩しくて、千津ちゃんの顔が見れなくて、私は目を逸らせてしまう。
クラス委員は黙々と、決まった種目と名前を黒板に書き付けている。
傍らのまやちゃんを見る。
まやちゃんも、希望が通らなかった。
「よかった」
まやちゃんは柔らかく笑う。
「木原さん、心配そうだったから。よかった」
私は目を伏せる。
「……50M走、まやちゃんと代わればよかったかな」
「そんなことないよ。私はどうにかなるもん」
まやちゃんは驚いたように言う。
「そもそも、決め方が悪くない?みんな嫌がるの分かってるんだから、長距離から決めればよかったのに。だいたい、じゃんけんで決めるのって、公平?」
周囲には聞こえないように、尚子が呟く。
公平?
私は考えてしまう。
例えば、千津ちゃんが病気がちだから無理だろうから体育祭出なくていいよってなってたら、それは違う気がする。
でも、じゃんけんで負けたからって、千津ちゃんが1000M走に出ることになるのも、違う気がする。
もっと走れるのに、短距離に手を挙げた私。
短距離を希望したくても、希望を通せない千津ちゃん。
千津ちゃんと交代した私。まやちゃんと交代するのは、どうだったんだろう。千津ちゃんとまやちゃんの違いは?
この違和感は、何なんだろう。
答の出ない迷路。
私は考える。
迷うのを放棄したら、考えることをやめたら、取り返しがつかない気がして。
強くなりたいと思った。
流されずに、違和感を無視せずに居られるように。
自己嫌悪に陥る度に思う。
強くなりたい。
遥か頂上を見上げて、でもそこに至る道は分からなくて、一歩は踏み出せないままで。
それでも。
祈るように。
授業終了を告げるチャイムが響いた。
もうすぐ、夏休み。
何故だろう。夏はいつも、切ない。
午睡から目覚めた後の物憂さ。
ぽつんと一人。
空白。
遠く聞こえる、蝉の声。
去年の夏と、今年の夏は、違うかな。
季節が巡り、想いを重ね。
私は、変わっていくのかな。
窓の外には、入道雲。
今年は、どんな夏になるんだろう。
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