紙きれ

 期末テストが終わると、心は夏休みに向かう。ぴかぴかの青空みたいな、解放感。


 期末テストの期間、千津ちゃんは、毎日登校した。少し顔色が悪い時もあったけど、休み時間の度に、次のテストの復習をしていた。

 教科書に引かれたライン。ノートの書き込み。切れ目がないそれらは、休んでいたことなど無いみたいに。

 よく見ると、目の下にうっすらと隈があった。

 「大丈夫?」

 思わず声を掛けると、千津ちゃんは淡く微笑んだ。

 「大丈夫。……みんな普通に出来てることなのに、弱いよね。でも、焦ったら、ダメなんだ。先のことを考えたら、眩暈がしちゃう。目の前のことだけ、考えるの。一つずつ、一つずつって」


 美しい詩や透明な絵に呼応する、千津ちゃんの心。

 私たちが何気なく受け流す日々の出来事が、何倍にも膨らんで、その心のひだを傷付けることも、あるのだろう。

 それが反映しやすい「からだ」なのだろう。

 良いとか、悪いとかじゃなくて。

 その心やからだと共に、どのように生きていくか、なのだろう。


 最後まで、教室で試験を受けた。

 千津ちゃんは、強い。自分で思っているより、ずっと。


 「ノート、ありがとう。試験勉強、いつもより、やりやすかった」

 千津ちゃんは、そう言って笑った。

 千津ちゃんが心から笑うと、周りの空気まで一緒にほころぶようだ。

 「私も。千津ちゃんに見せるんだって思ったら、授業中眠らずにノートとれたもん。ありがとう」

 言い合って、二人で、笑った。


 真は、数学で満点をとった。

 「御手洗、100点」

 呼ばれて答案を取りに行く時も、いつも通りの無表情だった。

 それが、しゃくに触る人もいるだろうな、と思う。

 でも、じゃあ、真はどんな顔をしたらいいんだろう。

 笑顔を見せれば、それはそれでかんに触るんだろうから。


 苦手な数学。私には手が届かない、100点。

 何でも無いと言わんばかりの真に、胸がちくんとしたのは、事実。

 本当は、そうじゃないって、知っているのに。


 私は、85点。

 ……でも、いつもより、解けた気がするんだ。

 私なりに、精一杯勉強して。分からない問題に向き合って。

 多目に時間を割いたつもりで、それでも時間不足なまま、テストの日を迎えてしまったけれど。

 これが、次に繋がっていけばいいなって思う。

 テストは、通過点。

 受けるまでの努力も、受けた後の努力も、点数だけじゃ読み取れない。


 家でもう一度、数学のテストをやり直してみた。

 二度目のテストは、95点。

 解けなかった問題は、もう一度、ノートの先生の解説を見返す。繰り返し、考える。

 一度目にとれる100点は凄いけど、やり直して100点とれるのだって、凄いんじゃないかって、思う。

 最初は分からなかった問題が、分かるようになった。

 その努力の分だけ、価値があるんじゃないかって。


 一人、勝手に想像してみる。

 国語は、気持ちの優しい女の子。

 理科は、好奇心旺盛な男の子。いや、もしかしたら女の子かも。植物とか、空とか出てくるし。

 数学は、今のところ、私にはつっけんどで気難しい男の子。

 もし、もう少し仲良くなれたら、違う顔を見せてくれるかな。

 最初から「合わない」「分からない」って諦めたら、見えない世界。

 あなたは、どんな人ですか?


 期末テストは、中間テストより、頑張れた。

 千津ちゃんと真のおかげだと思う。

 千津ちゃんも真も、最初は遠い存在だったのに。


 そして、今、先生が期末テストの順位を一人ずつ配っている。しんとした教室に、みんなのそわそわした気持ちが浮かんでる。

 「遠矢」

 ドキドキしながら席を立つ。受け取ってすぐは見れなくて、席に座ってから、ゆっくりと視線を落とす。

 ちょっぴりだけど、学年の順位は上がっていた。

 他の人からすると、大したことはないかもしれない。

 でも、私にとっては、大きなちょっぴり。


 「泉、どうだった?」

 尚子は満面の笑みだ。

 「順位、上がった。ちょっぴりだけど」

 「すごいじゃん!私も、キープしたよ~」

 尚子は、部活も頑張っているし、忙しい親に代わって家事だって手伝っている。勉強時間を確保するのに努力しているはずだ。キープした、というのは、だから凄いことなんだ。順位が上がった、という訳じゃなくても。

 「やっと、試験から解放された感じがするね」

 まやちゃんも笑う。


 結果を見せ合わなくて済むのに、ホッとする。

 前のクラスでは、「見せて!」って言われて、断れずに見せていた。

 相手の方が成績が良ければ、なんだか凹むし、自分の方が成績が良ければ、「すごいね」って言われても素直に喜べない。

 なんだか、テストの順位がそのまま、自分達の順位のような気がしてしまう。

 運動が得意だとか、手先が器用だとか、友達思いだとか、いろんな面があるはずなのに。

 テストの順位がそのまま、自分の価値みたいに。


 本当は、ただの紙きれなんだ。

 真の努力も、千津ちゃんの苦労も、ここには表れてこない。


 比べるなら、周りとじゃなくて。

 これまでの自分と、比べたい。

 自分なりの努力に、価値を見出だしたい。


 「今度の休みに打ち上げしようよ。AKIYAMAにパフェ食べに行こう!」

 「いいねぇ」

 尚子の提案に、私とまやちゃんも頷く。

 AKIYAMAは駅前のカフェ。名物はケーキパフェで、その名の通り、ケーキがパフェに贅沢に盛られている。

 種類も豊富で、何を頼むか真剣に悩む。皆で違うものを頼んで、分け合うのも楽しい。

 あたたかな木のテーブル、穏やかな音楽。二階が私たちの特等席。木漏れ日が差す静かな店内で、場違いにはしゃいで、いつまでも。


 真は、今日も理科室で顕微鏡を覗くのかな。

 テストが終わって、千津ちゃんは、心ゆくまで詩集や画集を開き、その世界で遊ぶのだろうか。

 いろんなことがあるけれど。

 私たちは、笑って生きている。

 日々にささやかな幸せを織り込んで。


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