第57話 幸せへのパラリアル。be continuity……。
***
「落ち着いた、サンキュ、胡桃」
胡桃の腕の中に押し込められた
――辛い事をたくさん抱え続けたよ。忘れたいと思っても、闇の中に逃げ込んでも、それは追って来る。「そんなこと、忘れたよ」と去るゲームの主人公が羨ましかった時期もあったけど。胡桃の感触を憶えていられるなら、俺はどんなに忘れられず辛くても、いい。
そう思えば思うほど、脳裏が何かを引き寄せるような感覚がした。
「娘に逢いたいと聞く、きみは誰だ」
胡桃はにっこりと笑うと、「下町の定食屋の看板娘です」と答えた。
「今度、うちに食べに来てください。昔懐かしい「定食」……やっぱり、人には人がごはんを作ったほうがいい。もちろん、手軽であれば、時間も確保できるけれど、煮過ぎたおさかなとか、水気の多いご飯とか、ちょっとしょっぱい味噌汁とか。そういうものって無くしてはいけないと思うんです」
アーサーの目が三日月になった。
「――娘と、よく向かい合って味噌汁を啜ったな。何でもやる娘だった。夢を応援してあげれば良かった……」
アーサーは切なげに笑う。
「いつだって遅いんだよ。後悔した時には、娘はいないんだ。今日のライブも楽しみにしていた。その為に、生涯最後の力を振りしぼって、作品を遺した。しかし、やっぱり娘の物語にしかならなかった」
優利の手に、胡桃が触れた。その指先は震えている。それでも、胡桃は息を小さく吸って、深呼吸を何度もして見せた。(ヒロ)と小さな声がして、気が付けば、優利はかつて立ち上がらせた小さな女の子の手を引いていた。
にぱっと笑った、乳歯が抜けた、あどけない笑顔。全部全部覚えているから。
『パパ』
胡桃の声とは違う、少女の声に、優利は驚きを隠せなかった。目の前には、フワフワのオーロラピンクのドレスを着た、少女が立っている。
『約束したよね、逢おうって。ずっとずっと、パパの中にいたんだ、わたし』
当のアーサーは、信じられないというように、目の前の少女を見ている。優利は胡桃の名前を呼ばなかった。意識が途切れれば、元の胡桃が重なって見える。
――これが、「
今は、きみを、初めて忘れようと思う。
働きかけるきみの嘘の感覚に、俺もまた委ねてみるよ。
『ずっといたよ。最期に呟いたのは、パパに逢いたい……だった。わたしの身体は空気に溶けて、一瞬天使みたいになったよ。でもね、どうしてもパパに魅せたいものがあるの』
少女はくるりと振り返った。「ふわ★きゃっと」のイベントに集まった人々が、騒めき始める。
『あれ、ユナちゃんじゃない?』
『本当だ! アンドロイドのユナちゃんだ! ボカロのユナちゃんだ!』
ステージのアイドルたちも、胡桃を見ている。胡桃は、まるで受賞したアイドルのような泣き顔をアーサーに向けて、涙をのみ込んだ。
『あたし、アイドルにはなれなかったけれど、たった一枚のプロマイドをホログラムにしてくれた人がいたの。気まぐれだった。そのホログラムは、3Dになり、初の映像マッピングのほんの短いショットスポットに使われたの。本当に短い時間。20秒くらい。でも、そのお陰で、ホログラム・アイドルになれたんだ。ネットの中に、わたしはずっと生きていた』
優利は目を見開きながらも、胡桃の輪郭を見ないように聞いていた。これが、門奈計磨の描いた行為ならば、残酷だ。
――でも、virtual・realityと、ネットなら、繋がる。アーサーがVRに来たことで、二人がまた出会えたのなら、それでいいと思った。
『そのホログラムは、キャッスルフロンティアKKが買い取ってたんだ。……わたしは、ずっと、ホロになっても、パラリアルになっても、パパに逢いたかった』
胡桃を見て来た暁月優利には分かる。胡桃は、ひざまづいて、人の顔色など窺わない。あまつさえ、背中から抱き着いたりはしない。アーサーの中の娘の幻影を、その心でカタチにしている。ホロは多分、門奈計磨の力だろうけど。
『パパ、大好きだよ、おんぶして』
背中に娘を載せたアーサーは、ゆっくりと年老いた表情から、若々しい表情になった。
「そうやって、おぶって、二人で公園を歩いたな、***。母さんが死んでしまって、ずっと二人で」
これが、VRの映像技術なら、死した人を出会わせることも可能だと、門奈計磨やシーサイトの面々は言いたかったのだろうか。
少し前の暁月優利なら、「胡桃は俺の彼女だ、返せ」と言ったかもしれない。でも、そんな不適合な言葉は二度と言わなくていい。
人の努力を羨む必要も、もはやない。
胡桃を信じて、生きて行く。だから、きみを今は忘れる。
「暁月優利くん……これが、人の想像力の力なんだな……まさか、娘がホロになって、生きているとは……わたしの脳は、きっと今、幸せに満ちているよ」
暁月優利は言葉を飲み込み、頷いた。
現実ではない、仮想現実。現実で笑いさざめきたかっただろうけれど、感覚があれば、ここは現実。
「幸せだよ、暁月優利くん……」
アーサーの輪郭が溶け始めた。胡桃はしっかりと背中を抱きしめている。ごめん、胡桃、俺にはきみの同調能力は通用しない。
――がんばれ、最後まで。やり切れよ?
心で応援を贈ると、胡桃はいつもの笑顔を向けた。現実では誰かがアーサーという偽名の創作者を看取っているのだろう。もしかすると、VRの脳の耀も、現実に漏れてしまっているかもしれない。
人は死す時に、エーテル光を放つという。その時、脳の中では、幸せや、何等かの想いが寄せられているのかも知れない。不思議だと言われ続けたエーテルの正体は、人の想いが溢れんばかりに還る兆候だったのか。
『お父さん……すっと、いっしょ』
胡桃は頬を寄せ、パパ、から呼び方を変えて、ずっとずっと捕まっていた。アーサーの瞼が降りる。ピカタの構図を知っているだろうか。聖母マリアが、赤子を抱いた構図とも、神が消える時に賢者に抱かれた図とも言われている。
胡桃に抱かれたままのアーサーの輪郭は薄く途切れ始め、小さな耀の粒を舞わせ始めた。瞼が降りると同時に、暗転する。ステージのアイドルたちも、観客も消え、こっそり嗚咽を堪えていた蠍座と、水瓶座、それに腕を解いて、光の洪水を放つ胡桃の姿だけがあった。
世界が変わる気配の中、警報が鳴り響いた。
『VR内全従業員に通達です。ハッカーβの攻撃により、VRシステムは一時的に制御されました。メインシステムとなる「色彩データ」「音声マッピング」「映像投影システム」が損傷を受けています』
鳴り響く警備音に、煌びやかだったステージは一気に様変わりをする。急に、水瓶座と蠍座のトーンも様変わりした。
「……門奈さんと、堂園誠士が、破れた? 嘘だろ、兄貴」
「アーサーという主軸が消えたからだ。隙をつかれたんだ。ハッカーβとは何者だ。通常、外からVRを壊すことは出来ても、中から破壊されることはできない。これでは、侵食する悪性腫瘍と同じじゃないか」
胡桃はまだ、アーサーを見送った姿勢のまま、虚空を見詰めていた。その目は何も見ておらず、求めてもいない。また、結果データが手に入った。そんな無機質な研究者の目だ。胡桃は、そんな脳をずっと抱えていた。
自分には、到底追いつかない高さに、胡桃の脳は繋がっているのだろう。
「くるみ」
暁月優利は暗闇の中でも、胡桃を捉えていた。感覚超越していて、空気には飲まれない。唯一揺らがしていた父親との壁も、もうないに等しい。
――全てはうまく、行かないさ。
でも、自分で巧く行くようにしなきゃ。
「親父と、もう一度、そうだな、VRの話でもしようか。あんたが知りえないこと、俺はゲーヲタとして知っている。国家で働いているんだぞって。な、そろそろ俺を見て。どこへも行くなよ、俺ももう、行かないから」
胡桃の目が、ゆっくりと還って来た。
「もう、泣くな……」胡桃はずっと泣いていた。笑いながらも、心はずっと濡れて冷えていたのだろう。
「ヒロぉ……」
「ああ、俺だよ。まだ、抱ける勇気もねーゲーヲタです」
ふみゃー、とまるでネコが泣くように、胡桃は鳴いて、唇を震わせた前に、光が舞い降りた。
「システムが、戻った? 拮抗してるんだ……兄貴、俺たちも行かないと」
ばさあっと音がして、目の前に、白い空気が走った。
「またぼっとして。だから、攻撃されたのよ、分かっているのかしら。ヒロは」
聞き覚えのある声、長い金髪。暁月優利は信じられない想いで、目の前に舞い降りて銃を構えた戦闘員を見る。
「キャシー! どうして……」
キャシーは相変わらずのツンデレ口調で告げる。
「あんたが心配で、来ちゃったわよ。……さっき、寝ていたあたしのそばに、しかめっつらのおじさんがやって来て、代わりに脳を支えてくれたの。あと、こいつも連れて来た。サーバーに飛び込んでったのよ」
キャシーはぽいっと後ろ手で、焼け焦げた蒼いボールを投げた。クルタだった。酷いやけどを負っている。
「クルタ! おまえ、どこに……!」
『システムの、破壊を止めるため、サーバーで焼き鳥ごっこしてました……』
「クルタちゃん!」胡桃も気が付いて、手を差し伸べる。クルタは、ぼろぼろの羽を振り落としながら、よたよたと二人の間に飛んできた。
『システム、なんとか、戻した……。僕は、最高峰の……PAI、だよ。ヒロ、門奈計磨さんから、言伝……です。このまま、帰れ、胡桃ちゃんと、元の世界で生きろ……』
キャシーがこりこりと頭をかいた。傍で、蠍座が怪訝気味に問う。
「暁月優利、きみはどうする? 僕らは
「あーあ。せっかく平和な部署だったんだけどな。シーサイトとして、ハッカーの侵入を許してはならない。アーサーの存在は、大きかったんだよ。そろそろ俺たちも戦うか」
「ふわ★きゃっとは辞めないぞ、ぼくは! 未来ちゃんは僕の嫁だ」
兄のほうが、長剣、弟が短剣を振りかざし、二人の姿はそれぞれ「暗殺者」に変わっていく。キャシーとジェミーが銃使いなら、堂園誠士は格闘、門奈計磨は軍師、なら、暁月優利は?
――社会でも、VRでも、仲間がPTになるのは変わらない。腕輪からセットアップの音がした。
「俺たちも、行きます」
クルタが驚いた表情をした。
「俺の可愛いPAIをこんなに焼き鳥にした礼はする。それに、相手が何も見えないのも、ゲーマーとしてはむかつく以外、何物でもねぇんだ」
ユーザーにとって、操られることは、一番プライドに障るのである。ゲームだって、手の上で遊ばれていると分かると、反発したくなる。
「ハッカーβ……得体が知れない。お願いなんだけど、ジェミーにはあたしが来たこと、黙っていてね」
キャシーは片目を瞑ると、「最期の大仕事だな」と颯爽と歩いて行く。胡桃が一緒に歩き出した。そう、俺の彼女は、『塔』でおとなしく王子様を待つタイプじゃない。一緒に考え、闘い、泣く格闘家だ。
『ヒロと、ぼうけん、はじめます。でも、僕、疲れちゃったよ……ヒロはお布団で寝ない。おかーさんが心配してたので、僕に「おさんどんシステム」が入ったんだ。でも、おかーさんの心配まで投影しちゃって、僕はずっと、ヒロを見守ろうなんて思った』
「クルタちゃん」
クルタは「ヒロはだらしないんです。でも、それは、自由だって思ったら、親ばかでしょうか、門奈さん」と告げた。
「おふくろの真似なんかしてんなよ……」
『記憶です。僕は最高峰のPAIです。憶えて、成長して、一緒にVRを冒険する。でも、ちょっと、もう』
アーサーが消えるのと同じように、クルタの影も薄く伸びて行く。
「システムが止まったからだ。彼はVRシステムのプラグインの役割をしているから。暁月、PAIを可愛がってたんだな。僕の時は、三日で壊れちゃったけど」
蠍座の前で、胡桃もまた、クルタを撫でた。指先は透き通ったクルタをすり抜ける。元気だった青いオウムを、こんなにもこんがり焼いた。ハッカーβを赦せない。
怒りで腹が焼け付きそうになる。その時、正面にゆらりと揺れる、塔がみえた。
VGOだ。その背中には、無数のセフィロトを背負っていた。
――まだ、独りでいたいから、きみ帰って。いつか、君はここに来る。僕を迎えに来て、きみがこの場所に閉じ込められる運命になるだろう――。
心の奥底の、ユハスは胡桃なのかも知れない。
現実だって、VRだって、生きようとするパラリアルに過ぎないのだから。だから、この手を掴んで、どこでだって、生きて行こう――。
「お姫さまが塔に閉じ込められていたら、助けに行くのが当たり前だ」
「世界が崩壊しそうになったら、仲間と力を合わせて戦うべきだ」
「最期まで、自分の力を信じて俺TUEEEEEで突き抜ける。」
「主人公なら、自分の居場所を奪うものとは死んでも戦え、転生して、無双! 門奈計磨のところへ合流しよう」
ヴァーチュアス・ゴドレス・オンライン――それは、
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暁月優利の部屋の前で、母親は、足を止める。
「何度言っても、パソコンつけっぱなし。電気代を見せてやろうかしら。お父さんも、ヒロには甘いんだから、どこ行ったのかしら、あの子。深夜勤務のブラック企業なんかに勤めて! お母さん知りませんよ! 布団で寝なさい」
コードを引っ掴む瞬間、ディスプレイに文字が浮かんだ気がしたが、それは人知れず消えて行く。
→RE PLAY?
→RESET?
――NEXT STAGE。『作られた世界』 VGO be continued……。
実装はまもなくです。どうぞ今後ともヴァーチュアス・ゴドレス・オンラインをよろしくお願いいたします。まもなく、メンテ画面に切り替わりますので、ユーザーの皆様は……。
キャッスルフロンティアKK運営一同。
――❖Virtuous Godress❖
第一部「パラリアル・Hero’s journey」了。
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