第56話《脳が視る過去と天使》

***


 ――通常、人間の感覚ナーヴは、慣れるまで時間が掛かるものだが、こと、白幡胡桃には問題ではないらしかった。医者なので、超常現象や、奇跡は信じない。


きょとん、と世界に放り出されたまま、きょろきょろと見ている子猫に近づいた。


「……ここが、VRです、か……」


 暁月優利の当初を思い出す。二人はよく似ているが、門奈計磨には気がかりがあった。どうも、白幡胡桃は、かつて生きていたユハスに重なる。



『カズマロ、君は神を信じるか? いると思う? いないと思う? 脳神経学を学んだきみにとって、ろう。だから、僕が再現しよう』


 脳心理を学ぶ門奈計磨と、犯罪心理学と、映像技術を学ぶユハス=コーデリアが近しくなるまで、時間はそう、掛からなかった。





『――また、その物騒なゲームを作っているのかい、ユハス』


 研究に割り当てられた部屋には、壁や椅子に至るまで、CC言語が溢れかえっていた。


『――もっと競争意識があれば、社会でだって動けるはずだよ。きみは競争が嫌いなんだな。カズマロ』


『ずっと、医者の競争過多に晒されたからかな』


よ、カズマロ。戦えよ。きみの優しさは理解し難い』


『結構だ。俺は、神を信じないクチだから』


『必ず信じさせてやる。ロジカル・コードさえ分かれば、セカイのVR化だってなし遂げてやるさ。脳は宇宙へ還るんだよ。きみにも意味がある話だが、よ』


 ユハスは軽く笑うと、綺麗なコルドブルーの瞳をカズマロに向けた。悲しみの青は、見る角度で宇宙と同じ深さで煌く。ゾッとしつつも、カズマロはユハスから目を逸らさなかった。


 その時間は、悠久にも似て、感覚が狂ったように、ゆっくりと消え去って行くのだが。




 ――もしかすると、ユハスはこの時、門奈の想いに気が付いていたのかも……逃げたとは思いたくないが、追いつめたのは俺かも知れない。『塔』にいるなら、逢いたい。闇の淵で考えたところで、白幡胡桃が再び問うた。


「綺麗。これが、ヒロが嬉しそうに言っていた世界なんですね?」

「きみ、感覚は狂っていないか?」

「はい。途中で、真っ暗になって、すぐにぱっと世界が輝いたので。でも、塔はなかったなあ……神様はいるって言い切りたかったのに」


 決定打だ。門奈計磨は全てを話すべきだと判断した。暁月優利に言えなかったのは、あまりにもVGOと『塔』に心酔しているからだ。案の定、暁月優利は、自らの異能を目覚めさせ、脳の限界セフィロトまで辿り着いてしまった。


 そこで、きっと逢ったのだ。深く沈んだユハスの幻影に。


 ――きみたちが、羨ましい。俺はそこまではたどり着けない。


 口には出さず、門奈計磨は白幡胡桃に説明を心掛ける。「同調者」を相手に、自分の秘匿を口にするのは、恐ろしい。訓練次第では、白幡胡桃は他人の心に寄り添えるようになるだろう。恐ろしい脳の持ち主だった。暁月優利とはまた違う、「闇」のほうだ。


「VRはブレインの問題なんだ。ここに肉体の意味はない。そうすることで、「痛めつけられる」という肉体損傷の中傷はまずなくなった。次に肉体による死も消え失せる。火傷が全身の7割に広がれば死す、壊死のパーセントや、沈黙の臓器、脳の正常化を妨げる損傷がなくなり、思う力と、生きて来た記憶、超次元の視覚でVRは成り立つ」


 胡桃はぱちくり、としながら、「全部現実として、視えますよ?」と不思議そうな表情をして見せた。堂園が来るまで、時間がある。門奈計磨は胡桃を噴水に誘った。


 夕暮れのVRは一番美しい時間だ。しかし、暁月優利はまだ感覚を繋げられないらしく、PAIが送って来るデータも、あやふやな文字列と化していた。

 また、どこかの異次元に漂っているかもしれないが、PAIを付けたから、何等かの信号は出せるだろう。


 あのクルタも、何故、成長しているのかは謎である。


「アイス、食べたらどうなるのかな」

「きみの脳のアイスに関する記憶が正確なら、さぞかし美味だろうな。――胡桃ちゃん、全部聞いた後で、頼み事をしたいのだが」

「わたしで良ければ」

「暁月優利には多分、出来ないだろうから」

「ヒロは優し過ぎるんですよ。もっと競争意識があれば、社会でだって動けるはず。彼、競争が嫌いなんです。分かってないんです」


 胡桃は冷ややかに告げると、「あたしは、それが理解できない」と呟いた。

 疑似夕暮れに、天候機関の風が頬を浚っていく。


「優しさだけでは、生き残れません」

『優しさだけでは、生き残れないんだよ、カズマロ』


 ユハスが重なった。門奈計磨の前で、胡桃の輪郭は、ユハス=コーデリアに変わっていく。


 やはり、白幡胡桃とユハスは同じ脳のTYPEだ。いくつもの脳が存在しても、アクセスする場所は必ず決まっている。犯罪者や、快楽殺人者、偽善者、善人、臆病、そういったは大本の情報を受ける場所が決まっていて、必ずそこに接触アクセスしている。

 皮肉にも、ユハスの告げた言葉を、門奈は実感してしまった。


「きみは俺の想い人に似ている。あ、警戒しないでいい。胡桃ちゃん、構えを解いてくれないかな」


 胡桃は武道の型を取っていたが、ゆっくりと腕を下ろした。つま先で歩く癖がある。暁月優利が廻し蹴りを食らってもおかしくない足つきだ。


「すいません。とっさで、ヒロの上司を蹴り飛ばしそうになりました」

「いや、誤解させたのは悪かった。手短に話すが、この世界の生命体はふたつに分かれる。まだまだ死にそうにない個体と、まもなく他界するであろう個体だ。俺は、後者の生命体を研究していてね……」


 ちょうど、光る輪郭が見えて、すこし言葉に詰まってしまった。


「まもなく、ひとりの患者が、死亡する。それが、いま暁月優利が警備している創作者だ。本当は、暁月優利に頼もうと思ったのだが……きみのほうが良さそうだ。本当は俺がやるべき仕事だが、ハッカーβの襲来予告があり、俺はこの世界を護る義務もある」


 鬼になれ、何度患者を見舞う前に言い聞かせただろう。ユハスの死の真相が知りたくて、キャッスルフロンティアKKのサーバに忍び込んだこともある。ユハス=コーデリアの死は不審な点が多かった。

 だから、未だにVGOは実装が止まっている。だが、暁月優利は観たはずだ。ユハスの求めた世界を。


 なぜか、白幡胡桃には恙なく話をすることが出来る。それはユハスであり、元来の「同調」の異能の力なのだと思う。

 社会不適合者の暁月優利が、唯一信じようとして、パラリアルの架け橋を胡桃の中に見出したのも、頷けるというものだった。


「俺は、元はzuxiメンスという、ドイツ帝国の会社に属していた。しかし、研修で日本に来て、知り合った男がいる。不思議な人間で、元々はハーフのとある外国の御曹司だった。しかしある事件で「信用スコア」を落とされた。社会的地位はあっという間にゼロになり、自殺した。VGOのシステム構築の最中に」


「ヒロが大好きなゲームだ。ヒロ、社会では生きていけないのに、VGOの話をするときだけは、いきいきしてたもの。それで、あのゲーム、あんなに暗いんですか」


「ダークファンタジーに仕立てたからな。その先がどうあるべきなのか、俺にも分からない。ただ、キャッスルフロンティアKKが権利を奪い取り、俺はそれを調べていて、シーサイトに摑まった。当時の俺は、ハッカーαと呼ばれていたよ」


「忙しいですね。医者に、ハッカー……システムまで。すごい。ヒロが聞いたら、驚くと思います」


 どこまでも物腰だけは柔らかいが、白幡胡桃には強い光が宿っていた。


「きみは、死していく人を見る時、泣かないだろう」

「笑います。赤ちゃんと同じ。人間は墓から生まれて、母胎に還る。最後、みんな赤ちゃんの顔になるのだそうです。でも、その後、からっぽになるんです」


 胡桃は寂しそうに笑った。


「人の死は悲しいです。でも、悲しみ尽くすと、空っぽ。何もない恐怖に連れて行かれそうになって、考えていると、その気持ちがどこかへ流されていく。すると、お腹が空いて、ヒロに逢いたくなって……その、繰り返し」


 正常化バイアス。食物が体内で消化するように、ユハスも、胡桃も脳で感情を消化する機関があった。


 暁月優利は違ったけれど。


 吐き散らかすけれど、すべてを持ち続ける。そして、あの感覚だ。彼にとってのVRは全てが生もので、新鮮で、純粋に視えていることだろう。


 会話が途切れて、歩く音だけが響く。油断すれば聞こえなくなる。五感をフルに神経を張り巡らせたところで、門奈計磨はとうとう告げた。


「最期に、夢の叶った人間の起こす奇跡を手にする。俺の目的はそれだけだ」


 目に映る煌びやかなネオンと、ライトアップに、胡桃も足を止めた。ミレナリオのマッピングイリュージョンが、夜を彩っている。


「今日は、ふわ★きゃっとのイベントで、たくさんのアイドルたちのVRで溢れかえる。きみは「同調」できるね? それも、死すほうだけじゃない、生死全てが手に取るように分かっているんだろう」


 胡桃ははっとしたが、「はい」と項垂れた。不思議はない。ユハスがそうだったからだ。


「ずっと、現実で隠していたんだな? その、異能」


「はい……だから、優利のことも、全部分かります。ヒロは本当に、こんなあたしを……大切にしてくれて……」


 我慢していたのだろう。本物だ。「逢えて良かった」告げると胡桃はこくこくと両手で嗚咽を堪えたまま、頷いた。


「人の死を重ねてしまうんです。それでも、知りたくて、ボランティアや、死に携わってみました。でも、VRの中に、わたしが求めていたものがあるような気がする。ヒロが羨ましかった。なんでも大切に出来るヒロが……!」



『脳は宇宙へ還るんだよ。きみにも意味がある話だが、僕はきみが羨ましいよ』



最期の台詞を思い出す。我慢できず、目の前の小さな四肢を抱きしめた。胡桃も捕まって僅かに泣いて、すぐに落ち着きを取り戻した。


「ナイトパーティー……いいなぁ……」


門奈は嵌めていた腕輪をひゅっと胡桃に投げた。


「それで、好きなホロが買える。俺はそろそろ到着する部下を迎えに行くから、ドレスアップしておいで? レシカを驚かせるような……ほどほどにして、薄給料だ。うちは」



 胡桃は頷くと、アパレルショップのアーケードに駆け出して行った。



「5G都市計画は、何者かに阻まれている……ってね」

「門奈さんっ!」


 呟きと同時に、蒼いオウムを連れた新入社員が空中から舞い降りた――。そう、知らないだろうが、VRにくる人間は、迎えるほうから見ると、まるで天使のように見えるんだ。


 だからここではっきりと云おう。

 暁月優利、きみが初めてVRの世界に来た時、俺は天使かと思ったんだ。これで、救われるって、ね……。

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