第5話 《パラリアルへの始まり》
***
どのくらいが過ぎただろう。優利を起こしたのは、枕元のスマホの小さな振動だった。
『起きてる? ひろ』
昔、「おまえはくるみだから、リスに食べられちゃうんだぞ~」などと虐めたせいで、白幡胡桃は意地でも使うとばかりに、リスのアイコンを使ってくる。
「起きてるけど。つーか、おまえのメッセージで起きた」
『ねこやしきにいます』
疲れていると言っているのに。しかし、優利の手は、勝手にアプリゲームのアイコンに触れようとする。お祭りのようなOPが能天気に流れ出した。
ねこやしき、とは胡桃が夢中になっている、いわば大江戸を舞台にした猫を集めるアプリゲームで、手軽に出来て、かわいらしいデザインから、女子にさり気に人気がある。猫は可愛い。その猫が、忍者だったり、武士だったり、姫だったりして、大江戸中に散らばっている。アップデートが頻繁なのが気になるが、図鑑にたくさんの猫を集めると、次の世界のエリアが開くのは、VGOによく似ていた。
小さな画面には、ところせましとユーザーたちが蠢いていた。「KURUMI」の名前を下げた女の子を見つけた。
『寝ろよ。ぼくみたいになりたくないだろ』
『こうでもしないと、逢えないでしょうが。ねえ、姫猫探し、手伝ってよ、せっかく奉行ねこ手に入れたのに』
返事に遅れを取った。
――こうでもしないと、逢えないでしょうが。VGOでくたくたになった心も、丸く戻る気がした。胡桃は、そういう空気を持っている。
『しょうがないな。でも、俺、明日、面接なんだった』
胡桃と喋っているうちに、脳も現実に還って来たらしい。時間は深夜二時。最終面接に向かうとして、日本橋界隈から新宿まで30分で行ける。それにしても、どうして通過出来たのだろう。
『え? 面接? ゲームは止めるの?』
『ゲーム運営会社』
『笑』
胡桃はメールを打つのが遅く、VGOのモナのような速さでのログは打てない。それでも、優利は優しい気持ちになれた。眠い眼をこすりこすり、ねこやしきをうろつきながら、自分を待ってくれていた彼女と、破滅的ゲームに囚われた自分。
――たまには、胡桃とデートもいいかもしれない。オンラインではなく、実際の遊園地や映画館、VRシアター、VRアクティブティパーク……
やっぱりゲームに辿りついて、優利はがっくりと項垂れた。ゲームがないと生きていけないなんて依存するほど純粋でもない。
実際に、VGO以外のゲームは興味がないし、すぐに飽きた。
胡桃をいつか、ヴァーチュアス・ゴドレス・オンラインに連れて行きたい、などと考えて、頭を振った。
胡桃とは戦えないな。……ポスト・アポカリプスなんか似合わないだろうに。
『じゃあ、寝なきゃだね。ひろ、夜通し起きていられるから、夜間作業ピッタリだね』
『うん、おやすみ』
やっと、満足したらしい。胡桃は元気よく『おやすみなさい!』のメッセージを残して、見えなくなった。
やっと動き出した四肢を叩き起こして、シャワーを浴びて、タオルを頭に載せて部屋に戻ると、落としたはずのパソコンが勝手に立ち上がり、VGOの初動操作を繰り返していた。
「……勝手に動いたけど、実装かな」
画面は暗転し、メール通信ボックスに切り替わる。メーラーソフトが起動して、メールを打ち始めた。
「明日の……」
『明日の面接は、初台の自社ビルで行いますので、明朝十時。必ずいらしてください』
頭に載せていたタオルを振り落として、画面を両手で掴む。中央にぼんやりとした反転した城のマークに、ドイツ語らしき言語が振りかぶる。
『ZU:MENCE 担当:K』
黙って視ていると、画面はいつものVGOのテーマ画面に変わり、「コンティニュー」のタブが現れているが、あのフリックの決闘は勝った気がしないし、まだ衝撃でVGOは視たくはない。
VRで殺されそうになったのだ。相手だったモナは容赦がなかった。延べ500時間以上をかけて、塔を登ってきたのだから、当たり前だ。
弱ければ死ぬ。そんなことは分かっている。
でも、この世界の闇を、ゲームにまで持ち込まなくてもいいじゃないか。それに、勝手に人のアカウントやリモート操作までして。面接に行くのを止めようかとも思ったが、ピザのバイトの服が目に映って、やるせなくなった。
いつまで、こんな生活を続けねばならないのだろう。どこかで、脱却しなければならないのなら。どのみち、VGOは実装待ちだ。ダメ元で、ゲームの運営会社を覗くも悪くない。
――それが、全てのパラリアルへの始まりだった。
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