四.

 梅は横になりながら、開け放たれた障子から庭を眺めていた。

 昨日の夜、梅は勘九郎と弥七の話を聞いていたのだ。

――三晩はもたない。

 梅はまた少し涙を落とし、唇をかみ締めた。

 突然、外からあわただしい音が聞こえてきた。

 弥七が見舞いにでも来てくれたのだろうか。

 そう考えたのと同時に、庭から人影が現れた。しかし、それは弥七ではなく勘九郎だった。

「梅!」

「か、勘九郎様。どうしてそのようなところから……」

 しかし、夫はそれには答えず、息せき切って言った。

「私も会ったよ、梅。私も先程、あの童に会ったんだ」

 梅は口に手をあてて驚いた。

 昨夜の話は梅も知っている。だから、夫が嬉しそうにそう語る理由が分からなかった。

「あの童って……それじゃあ、勘九郎様も……」

 梅は病のせいでいつも以上にほっそりとした肩を震わせた。

 しかし、夫は笑みを絶やさずに言った。

「そのとき、童にこれをもらったんだ」

 勘九郎はずっと握り締めていたこぶしをゆっくりと開いた。その中には、小さな梅の蕾が二つ、転がっていた。

「食べてご覧」

 梅はその意味を汲み取ることが出来ず、目を瞠って夫の顔をまじまじと見つめた。

「これを、食べるのですか? この梅の蕾を」

 勘九郎はゆっくりと頷いた。

 梅は勘九郎に手伝ってもらい、重い身体をなんとか起き上がらせると、夫の手から蕾を一つ手に取った。

 さあ、と促す夫を横目に、梅はゆっくりとそれを口に含んだ。

「あ……!」

 その蕾は梅の香りと砂糖のような甘みを口の中いっぱいに広げると、すぐに溶けてなくなってしまった。

「不思議だろう」

 口に手をあてたまま固まっている梅に、勘九郎は目を細めて言った。

 梅は返事をすることが出来ず、口に手をあてたまま、こくこくと頷いた。

「梅の蕾がこんなに甘いものだとは存じませんでした。それに、なんだか身体が軽くなったような……」

 実際、梅の顔色は先程よりもずっと良くなっていた。

「私も口にしたときは驚いたよ」

 勘九郎は、梅に朽ち童とのやり取りについて語った。


 * * *


「……そんなことが」

 二つ目の蕾も口にした梅は、もうすっかり自分の力だけで座れるようになっていた。

「ああ。おそらく、あの梅の蕾は妙薬のようなものなのだろう。私も食したときも力がみなぎってくるようだった。まあ、おかげで、桜餅は持って帰ってきてやることはできなかったがね」

「いいえ、とんでもありません。こんな素晴らしいものを持ってきてくださるなんて。本当にありがとうございます」

 梅はまた目に涙をためて頭を下げた。

「夫婦なのだから、気遣いは無用だといっただろう。それに、私は何もしていないよ。礼ならあの童にしないと。それから桜餅にも」

「そうですね」

 夫婦は声をそろえて笑った。

「とにかく、もう大丈夫だ、梅。明日にはすっかり元気になるはずだよ」

「ええ。もうすっかり良くなったみたいで。今からでも動けそうです」

「そんなに急がなくても。今日くらいはゆっくり休みなさい」

「ですが……」

 梅は何か言おうとしたが、医者が診察に来たので夫婦の会話は中断となった。

「おやあ。昨日と比べてずいぶん良くなりましたなあ」

 小太りの医者は目を丸くして驚いた。

「ええ。もうすっかり」

 医者はたっぷりとした顎をさすりながらまじまじと梅を見ていたが、やがて診察の準備を始めた。

「噂では妖の呪いだと言う者もおったんだが、まさかねえ」

 医者は梅にそう笑いかけると、早速診察を始めた。

 しかし、幾ばくもしないうちに医者の表情が変わった。腹の辺りを手で押さえながら、なにやら首を傾げている。

「むう。昨日診たときはそんなはずはなかったんだが……」

「あの、どうかなさいましたか?」

 不安になった梅が医者に尋ねた。

 医者は、改まったように梅のほうを向くと、途端に顔を綻ばせていった。

「お梅さん、あんた子を孕んでおるよ。昨日診たときはそんな感じはしなかったんだが……。もしかしたら、昨日倒れたのもそのせいかもしれんね」

 そう言って、医者は梅に祝いの言葉をかけた。

 梅は信じられない想いで、医者を見、自身の腹を見、そして涙と笑みがこぼれるのを抑えながら、急いで夫の名を呼んだ。


  * * *


 あれ以来、二人が梅童を見ることはなかった。

 しかし、二人はそれから毎年、梅の咲くころには桜餅を梅の木の下に添えた。

 二人の身に起こったことは町中の噂となり、多くの人々が梅の木の下に桜餅を添えるようになった。

 やがてその梅は人々の間でこう呼ばれるようになった。子を実らせる梅、「実り梅」と。


 そして、もう一つ。勘九郎が弥七に聞かされた梅童の唄にはまだ続きがあったのだ。

 遠い遠い昔に忘れられた、最後の唄。


* * *


朽ち童 朽ち童 どこさ行く

朽ち童 朽ち童 どこにも行かねえ


梅の木だけが 童のいえ

梅の木だけが 童のおや


朽ち童 朽ち童 何してる

朽ち童 朽ち童 何もしねえ


梅の木だけに 腰掛けて

梅の木だけを 見つめてら


朽ち童 朽ち童 どこ行った

朽ち童 朽ち童 どこにも行かねえ


だけども朽ち童 見えちゃいねえ

梅の木だけも 見えちゃいねえ


どこも 何にも 見えちゃいねえ


朽ち童 朽ち童 どこさいる

朽ち童 朽ち童 どこにもいねえ


梅の木離れて どこ行った

梅の実つけて どこ行った


見つけた見つけた 朽ち童 見つけた

かかあの裏に 隠れておった

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実り梅 朝日奈 @asahina86

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