念動力者 カレン・リードの献身

Tomorrow once more.

 カレン・リードはまず激痛を感じた。指一本でも動かせば体の芯から激痛が走り、痛みは足の先まで伝わる。動かさなくても寝ているだけで体の節々が痛む。


 目を開くと幾つもの眩い照明が顔に向けられていた。煩わしいので早々に身体を移動することにした。得意の念動力を活かし、なるべく筋肉を使わずに身体を起こす。身体を屈めると主に腰あたりが痛むが我慢のできない程でもなかった。体を起こし、改めて周囲を確認する。手術室のようだった。そこに自分は寝かされていたようだった。


 ふと気を失う前のことを思い出そうとするも、なかなか出てこない。決して忘れてはいけない使命のような何かを忘れている気がしてならなかった。


「あぁ、目覚めたか……」


 老人の声がした。ほんの少し、しゃがれた、掠れた声だった。


 声のした方向を向くと、ほんの少しやつれた長身の白衣の老人が立っていた。見覚えのある顔立ち。しかし明確に思い出せない。カレンの知らない人間だった。


「まずは生還おめでとうと祝福の言葉を贈ろう。あの状況から生還できるとはさすがは超能力の女王と言ったところか」


 おどけた調子で、拍手を加える。


「誰よ、あなた……」

「急遽君の主治医となった通りすがりの医者さ、ドクター・ブロッサムと呼んでくれ。自分で言うのも何だがそれなりの名医だ」


 その名前にどこか聞き覚えのある名前だったが、どこかで頭を打ったのか、思い出せずにいた。モヤモヤとした不安だけが萎んだ風船を膨らませつつあった。


「ドクター・ブロッサム、一体私の身に何が有ったの」


「ふむ、爆発のショックで記憶障害が起きているようだな。まあ何から何まで無事とは行くまいか」

「もったいぶらずに言いなさい、こっちは気が立ってしょうがないのよ」

「全く血圧の高い娘だ、こちらは君の命を助けるのに三日三晩寝ずに手術したというのに」

「早く答えろと言ってるの」


 カレンは側にあったメスを念動力で浮かばせてみせた。

 刃先はドクター・ブロッサムに向いてるが、彼は慌てる様子を見せなかった。マイペースに話を続ける。


「君は殺されかけたんだよ、大掛かりな罠でね」

「……誰によ、私が誰かに殺されるまで恨まれるようなことはしてないわよ」

「君もよく知ってる人間さ、名前は確か……リア・リボンズだったかな」


 その名前を聞いてカレンははっとなる。その名前は薄ぼんやりとしたものではなく、しっかりと彼女の記憶に刻まれていた。


 リア・リボンズ。彼女は長らくカレン・リードのマネージャーとして連れ添っていた女性だった。細かい気は効かないものの、我慢強く、カレンのわがままに付き合っていた。家族以外でなら最も信頼の置ける親友のような存在だった。


 しかしその存在を過去にカレンはわがままで裏切った。


「そうね、彼女なら……殺すほど憎んでてもしょうがないわね……」


 裏切りとは突然の引退宣言のことだ。何も説明も相談もないまま、勝手に契約を切り、何年も先まで続いていた予約も取り消した。後処理を全てマネージャーであるリアに押し付けていた。


「だけど違約金は全部私が負担したし、それに引退したのも何年も前の話よ、それを今更」

「衝動的な殺意だったんだよ。君は近所の車屋で最近車を買ったそうじゃないか」

「それが何の関係があるのよ」

「あぁ、その様子だと知らないな……その車屋は偶然にもリア・リボンズの旦那の実家だったのさ。君が車を買うと知って、思い立ったのだろう」


 段々と記憶が蘇ってきた。そうだ、気を失う前、車の運転をしていた。そして突然爆発に巻き込まれた。記憶がほぼ蘇っていた。だがしかし、まだ足りない。もっと大きく、大切なピースが抜けていた。


「水でも飲むかい。手術を始める直前にウォーターサーバを運ばせておいたのだ」

「……いただくわ」


 まずは落ち着こうと水を口に含む。奥歯付近に切り傷があるのか、少し染みる。


「……つまりあの爆発は事故でも何でもなく仕組まれたものだったのね。それでリアは今どこにいるの、ちゃんと話がしたいわ」

「……それは出来ないな」

「何、面会謝絶? まあそうよね、それなりの有名人を殺しかけたんだし牢獄の奥底に閉じ込められてるかもしれないけど」

「牢獄か、確かにそうだな、彼女は今きっと牢獄にいるに違いない」

「どこよ、早く教えて」

「地獄さ」

「……あんたねぇ、ほんとに冗談は程々にしないと舌を蛇みたいに切れ目入れるわよ」

「冗談でもなんでもない、事実だ。彼女は実家の自室で首を吊って自害したよ」


 その瞬間、ドクター・ブロッサムのひげが少し短くなった。

 投じられたメスが首を掠めた。


「だから冗談は休み休みと」

「遺言書には君への謝罪の言葉が延々と綴られていたようだ。最後に地獄に落ちて詫びると書いてあったそうだ。世間にはまだ公表されていないがね」


 今度はドクター・ブロッサムのもみあげが少し短くなった。こめかみの脇をメスが高速で過ぎ去った。


「糞じじい、あんた、お喋りよ」


 悪態つきながら、紙コップの水を飲み干す。


「可哀想な人ね、リア……殺そうとした人が生き残って……無念でしょうに」


 敬虔なクリスチャンではなかったが、祈りを捧げる。教派はプロテスタントだったが、日本人の母親の元で育ったため、死者に祈りを捧げる。

 真摯に祈りを捧げる姿はさながら聖母のようだったが、ドクター・ブロッサムは水を差す。


「まあ一番可哀想なのは復讐に巻き込まれた関係のない弟なんだがな」


 何気もないように独り言のようにつぶやく。


「はぁ? リアは一人っ子よ、弟なんて……」


 抜けていたピースが突如現れた。そのピースは半身のように大切な、否、自分より遥かに高尚な存在。何て自分はどうしようもない馬鹿で薄情者なのだろうか、今の今まで彼の存在を忘却しようとは。


「マルコは!!?」


 カレンはドクター・ブロッサムに凄然な剣幕で詰め寄る。


「隣の部屋、この部屋を出て右だ」


 なおも平然とする彼を突き飛ばし、カレンは走りだす。しかし足取りは重く、右に傾いたかと思うと持ち堪えられず受け身もままならないまま倒れてしまう。


 念動力と筋力を活発化させながら立ち上がると千鳥足ながらも隣室へ向かう。


「マ……ルコ……」


 隣室には見るにも無残な変わり果てた彼がいた。左目以外、包帯でぐるぐる巻きにされ、手術台に横たわっている。明らかに自分よりも重体重篤なのが素人目でもわかった。


「う、そ……どうして……」


 抱きしめようにもどこを触れて良いのかわからず、操り人形師のように両手が空を漂う。


「あまり触らないほうがいい。応急処置は済んだとはいえ、ぼろが出るぞ」


 コップ片手にドクター・ブロッサムが入ってくる。ついでにパイプを一服していた。本当に呑気な性格をしている。


「応急処置ですって? 何ぼうっと突っ立てるのよ!! 早く続けなさいよ!!!!」

「私は君の主治医で、彼は担当外だ」

「何ふざけたことを言ってるの……普通の医者ならすぐに助けるでしょうが」

「私が普通の医者に見えるかな」

「屁理屈言ってる場合じゃないでしょ! ……あぁ、わかったわ、報酬を引き上げたいのね、わかったわかったわかったわかったから言い値でどんな額でもすぐに出すから早くマルコを助けなさいよ!」

「金の問題ではない、ドナーがいないのだよ。有名人である君にはもしもの時のためにドナーが用意されていたが一般人である彼にはそれがない」

「じゃあ私がこうして生きているのだから! そのドナーをマルコに使いなさいよ!」

「無理だ。私のその権限はない。一応使ってみたらどうだと提案したんだがね、返事は来ない。どうやら上の人間が気にしているのは君の安否だけのようだ」

「決まりなんてどうだっていいでしょ! あんた、医者ならトリアージぐらい知ってるわよね? なんですぐにマルコを助けなかったのよ! そう……平然していられるの!」

「その理由も君が有名人だから他ならない。通常のトリアージでは扱われない、国家の資産。どんなに危機的状況でも君の命が最優先される」

「あーはいはい、この話はもう止めにしましょう。早くマルコを助けなさい」

「だから言っているだろう、ドナ」


 ドクター・ブロッサムが言い切る前にカレンは彼を押し倒し、首にメスを突きつけていた。今度は超能力ではなく、自らの手でメスを握っていた。

 突き刺せばその手に一生感覚が残ることを自覚した上での脅迫だ。


「命が惜しいなら、『はい、喜んで』と言いなさい」

「私は老いた。それなりに楽しく人生を送ったからな、後悔はない。一思いにやるといい」

「……じゃあ、こうしましょう。今すぐ承諾しないと病院の患者を一人残らず殺すわ。断っておくけど私はあなたほど冗談が好きじゃないの。私にやってのけられないことはないのよ」


 剛毅な男すら底冷えさせるような声だった。しかしそれでもドクター・ブロッサムは眉一つ微動だにしない。


「やってのけられないことがないのか、それならそのご自慢の超能力とやらで彼の命を救うと良い。見ておいてやる」


 彼の顔の側でメスが立つ。肉の少ない耳たぶに切り傷が出来た。


「患者じゃ足りないようなら医師も看護師も皆殺しにするわ」

「いくら脅しても無駄だ。残念ながら私はここの病院の者ではない。関係のない命だ。勝手に殺すと良い」

「……あなたには血も涙もないのね」

「メスを突きつけながら大量殺戮を予告する君が言うのか」


 カレン・リードはひどく無力な少女だった。どれだけ強力な念動力を有しようとも自分の弟の命を救えやしなかった。そんな惨めさに耐え切れず、年頃の少女のように涙を流す。


「あんたみたい奴には分からないでしょう、あの子がどれだけの価値があるのか。どこまで優しくて、愛くるしくて、健気で、まっすぐで……ちょっと特殊な特技がある私なんかよりよっぽど人類の宝に相応しいのよ……」


 対してドクター・ブロッサムはひどく冷淡のままだった。女性の涙を見てもちっとも心を揺さぶられない。人生何度目かの経験だからだ。女性の涙は見飽き、うんざりしていた。出会ってきた女性は途方に暮れるとすぐに涙を流して堪え性がないに等しい。

 ふう、とため息を一つこぼした後に、


「どんな手を使ってでも助けたいか」


 事務的な態度で冷めた声で問いかける。カレンは両目から流れてくる涙を手首を拭いながら頷いた。


「それなら君の命を差し出しなさい」


 その後に詳しい説明を加える。生命活動を維持できなくなるほどの臓器をマルコに移植すること、またドナーの提供が間に合わずカレンの命は絶たれてしまうということを。


 ドクター・ブロッサムはこれまでに何度もこの条件を出したことがある。そしてこの条件を飲んだ者はただ一人もいなかった。彼は達観し、諦観していた。立場上、人間の冷酷、非情、酷薄な面を幾度と無く目の当たりにしてきた。


(予言しよう、この少女もきっと断念する。何でもするという言葉を今に取り消す。今や彼女の名を知らない者はいない、超能力の女王と持て囃されているが所詮は小娘だ。自分の命を最優先するに決まっている。しかし自分が可愛くて、他人の命を優先しているような振りをする)


「えぇ、いいわ。それでマルコを救えるなら」


 カレンは言い淀みなく玲瓏な声で即答した。


「そうか、そうか、それなら承諾し……すまない、最近耳が遠くてな、君は……自分の命を差し出すのでいいのかな」

「えぇ、いいわ。それでマルコを救えるなら」


 補聴器が必要ないほどのしっかりとした答え。

 延々と待ち続けた、いつか聞きたかった言葉だったのに長生きしすぎた老いぼれは疑ってしまう。


「……本当にそれでいいのか、命が惜しくないか」

「くどいわ、早くしなさい。それとも実は助けられませんとか言うんじゃないでしょうね」

「あ、あぁ……それならすぐに取り掛かろう、もう一度君がいたほうの部屋に戻るとしよう」


 カレンは言われたとおりにスタスタと隣室に足を運ぶ。迷いの欠片一つ見せなかった。

 ドクター・ブロッサムが部屋に入る頃にはまな板の上の鯉のように手術台の上で横たわっていた。


「……質問、遺言等はあるか、私の権限で出来る限りのことをしよう」

「……そうね、まずは質問からかしら。この殺人事件はもう報道されているの」

「いや、まだだ。報道規制され、警察の上層部以外この事件を知る者はいない」

「そう。なら、今回の事件は交通事故ってことにしてほしいの。それが難しいなら車のトラブルってことで」

「あぁ、わかった」

「それとマルコにもそういう風に教えておいて」

「身内にも事実を隠すのか」

「マルコには重すぎるわ。あの子、リアにすごく懐いていたし。もしかしたらだけど初恋なのかもしれない。そんな人から殺されかけたなんて知らなくてもいいと思うの。ないとは思うけど復讐なんて変な気を起こしてほしくないし」

「あぁ、わかった」

「あぁ、あと、遺産全部マルコに上げてちょうだい。全部。表面上は財団に全額寄付ってことにしておいて」

「あぁ、わかった」

「あとそれから手術の跡って身体に残るの? できるなら残してほしくないわ。ガールフレンド出来た時、説明するの重そうだし」

「……弟のことばっかだな、君は」

「えぇ、そうよ、だって自分よりも愛しているもの」

「…………他はないのか」

「何よ、さっきと打って変わってえらく殊勝じゃない。本当はただのホームレスで手術無理です〜なんて言わないわよね」

「それについて安心してくれ、必ず遂行してみせる」


 ドクター・ブロッサムはここに来て、手術を始めることに抵抗を感じ始めていた。彼はこれまで幾度と無く、社会的に称賛されない手術を行ってきた。ある時は国際指名手配されたテロリストを、またある時は反社会的勢力のボスを、報酬さえ払えば必ず執刀してきた。そのことに罪悪感はなかった。

 彼にとってどの命も等しく平等だった。ただし一部を除いては。


「この世は不平等だとは思わないか、小娘」


 ドクター・ブロッサムが麻酔を行いながら独り言をつぶやく。


「私の息子も医者でな、どうして自分の元でああ育ったのか不思議だが、本当に自慢の息子だった。幼少から私の背中を見て、お医者さんになると息巻き、努力も欠かさなかった。二十歳を過ぎた頃には夢は叶い、数年後には国境なき医師団に所属し、世界各地を飛び回っていた。ひたすら真面目で責任感が強い男だった。だから、息子は自分の過失から逃げようとはしなかった」


 カレンは意識がぼんやりとし始めていたが、ようやく彼の名前をどこで覚えたのかを思い出した。


「超能力者開発の第一線にいたのなら知っているはずだろう、あの輸血事件を」


 今から数年前、とある紛争地帯で五十人余りの患者が一斉に小さな野外病院に運ばれた。その全員が女性で、超能力者だった。彼女らは世界的にも稀に見る、超能力者を首長とし、さらに女性全員超能力者という母権制の部族だった。ただそれだけで周囲から敵視され、襲撃の標的にされやすかった。


 ブロッサムジュニアもこの地帯に足を踏み入れた時からいつかこの時が来るであろうと覚悟はしていたが、想定以上の数だった。あっという間に資材は半分以下になり、特に輸血パックが不足してしまった。そこで多少のリスクは考えられるものの部族の健常者から採決し、その場で輸血することを決行した。幸いにも部族全員の血液型は一致しており、皆が献身的で自分以外の部族、兵士への提供も許してくれ、一定量の血液がすぐに手に入った。それからブロッサムジュニアは一人で三日三晩寝ずに手術に励んだ。


 最後の一人も手術を終え、休憩できるテントに足を運んでいる最中に看護師から一報があった。最初に手術を行った患者が蕁麻疹の症状を訴えているということだった。ブロッサムジュニアはそれを軽く見て、看護師に対応を委任し、そのまま就寝に就いた。


 彼が起きたのはものの十分後、先程とは違う看護師に叩き起こされた。事情の説明もままならないまま、患者のいるテントに連れて行かれ、悲劇を目の当たりにする。


 そのテントは地獄絵図と化していた。清潔感のあった純白のベッドは今や真紅に、血まみれになっていた。手術を終えた後に術後の痛みを抱えていただろうに笑顔を作ってお礼を言ってくれた彼女たちは血を吹き出し、白目を向いていた。


「何があった! 襲撃があったのか!?」

「違います! 襲撃ではありません! でも何があったのかも、全くわかりません!」


 現場に居合わせたベテラン医療スタッフも状況を飲み込めていなかった。卵を運んでいたら突然爆発したような気持ちだった。皆がパニックに陥る中、ブロッサムジュニアは冷静に助かる見込みの高い者から応急処置を始めた。しかし努力虚しく状況は好転せず、発作を起こした者は皆、二十四時間後には息を絶った。一日に多くのも手術を執刀したはずの彼は泣く暇も嘆く暇もなく、誰にも言われるでもなく原因の調査を独自に始めた。その姿を見て、仲間に血も涙もないと陰口を言われても、彼は止めなかった。


 その結果、原因はすぐに判明した。発作を起こした者は全員、超能力者の血を輸血された超能力者だと判明した。理由は不明だが、お互いの細胞が拒絶反応とGVHDを同時に起こし、最初に発熱、蕁麻疹を起こすとあっという間に多臓器不全に陥る。ほぼ対処の仕様がない未知なる疾患だった。それをレポートにまとめるとすぐさま信用できる医療機関に提出した。提出したのは事件発覚からものの六日後のことだった。彼の迅速の対応は本来なら賞賛されるべき行為だったが、後々逆にその速さが結果として仇になる。


 帰国直前まで彼は部族への謝罪を続けた。無知だったとはいえ、責任はある。しかし族長も仲間も誰も彼を責めようとはしなかった。彼の誠意は彼女たちにはしっかりと伝わっていた。


 帰国すると彼を待っていたのは凱歌でもなければ、励ましの言葉でもなければ、罵倒の言葉でもなかった。空港には報道機関が集まり、口を揃えて質問を投げかける。


「超能力者での大量人体実験の話は本当なのでしょうか」


 英雄のはずの彼はあらぬことか人体実験の疑いを掛けられるようになっていた。証拠も証人も何もない。取り巻く環境がミステリー小説のように密室的だったために、被害者の数が異例だったために、暇人が勝手に考えた妄想に過ぎない。しかし人というのは見たくない現実をないと認識するとはまるで逆に、見たいと思う妄想をあると認識するようにもできている。


 彼は勿論その場で反論した。しかし誰も耳を貸さなかった。後に部族が証言しても、どの国も報道しなかった。


 家族の待つ家に帰る前日、ブロッサムジュニアは宿泊したホテルで首を吊って自殺した。


 同じ部屋の机には遺言の代わりに、途中まで書いたレポートと資料が置いてあった。





 ドクター・ブロッサムは冷めたパイプを惜しみなく床に落とす。清潔感のある病室の床に灰が散らばる。


「さてお喋りはここまでにしようか」

「まだ眠くないわ、お喋りしましょう」

「全く子守唄にしては血生臭すぎたかな」

「ねぇ、あなたは私を殺しに来たの」


 カレンは突然そんな質問を投げかけた。ブロッサムジュニアとは全く面識がなかったが、彼を自殺を追い込んだ遠因は自分にあると考えていた。自分がいなければ、自分が世界に超能力の存在を広めなければ彼も部族たちも平穏な暮らしを続けられたかもしれない。

 そして目の前にいるこの男は遠からず自分を憎んでいても仕方ないとも考えていた。


「……憎んでいても殺しはせんさ。お前は勝手にこれから死ぬんだ」


 子供じゃないのだから感情と仕事を切り分けられる。その冷徹こそがドクター・ブロッサムの長所であり、優しさでもある。


 もう一度カレンに麻酔を打つ。段々と意識が曖昧になっていく。


「まだ報酬の話をしてなかったわ……お金だけで……いいかしら?」

「まだ喋り足らんのか、いい加減眠りについたらどうだ。集中できん」


 カレンがせがむように寂しそうな表情を浮べ、ドクター・ブロッサムは面倒くさそうにため息を漏らす。掻いただけでも毛が抜け落ちそうな頭を掻きながら、


「……それなら君の心臓を譲ってくれ。弟の手術には必要ない。次の手術に使わせてもらおう」


 なお、ブロッサムジュニアの遺したレポートが公表されてからは世界中で超能力の血液、臓器の提供を男女共に禁じられている。本来ならマルコへの移植手術は認証されていないが、しかしレポートには男性で発作した記述がないため、不可能ではない。


「私の心臓を…………誰に使うの」

「それは言えない。仕事上の都合でな」


 仕事上、とは言ったものの、本当は私情の手術だった。ドクター・ブロッサムには自慢の息子とは別に娘もいた。その娘の子、つまり孫が次の患者だ。


「そう……どこの誰か……知らない……けど成功する……といい……わね。私も……心から……成功を祈るわ……」

「祈らなくても絶対に成功させるとも……この手術も絶対に成功させる。安心して、眠れ」


 ドクター・ブロッサムの声は最後までカレンには聞こえなかった。耳は聞こえなかったが、意識はまだ残っていた。微かな意識の中、昨日までの走馬灯を見る。どの思い出にも必ず弟の姿があった。潔く自分の死を選択したものの、後悔が残る。人生を謳歌しないまま死んでしまうのだから無念なのは当たり前だ。今からマルコは自分の知らない時、場所で成長していく。そのことに寂しさを抱く。


 カレンは願う。もう少しだけ、せめて立派な大人になるまで見守っていたかった。

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