エピローグ ある少女の新しい日常
その街は休息をとりつつ静かに朝を待っていた。
毎日同じ事を繰り返していたその街に、新しい命令が届く。
――シミュレーション終了。
――新規プログラム24,718,536,190本の実行に支障を認められず。
――予定通りモデル2018年9月1日を開始して下さい。
街は生き物であり疲弊老朽、そして成長もする。
「真央~、ぐずぐずしてると置いてくでー。転校早々遅刻したらしゃれにならへんぞ」
一歩先に玄関を出た兄の飛鷹(ひだか)が、門の前の道路で後ろを振り返り、まだ玄関で足になじんでいない新しい靴と格闘中の私を呼んだ。
彼は校章が胸ポケットに印刷された学校指定の半袖のシャツと、紺のスラックスをはいている。手提げ鞄の持ち手を片手で握り、それを肩に担いだ状態で立っている。
「待ってよ~、お兄ちゃんの意地悪~」
私は何とか靴に足を押し込み、家の玄関から出た。すると私の姿を認めた白い大きな犬のタロウが、首輪から繋がれた鎖をじゃらじゃらと鳴らしながらワンワンと吠える。
「いってきます、タロウ」
私は庭の隅に鎖で繋がれたタロウに手を振り挨拶をしてから兄の横に並んだ。だが彼の視線はまだ玄関の方を向いている。
「ほら、ちびどももはよせい」
兄がそう言うと続いて玄関から小さい影が二つ出てきた。
「ちびとか言うんじゃねぇよ」
玄関から出てきた明宏はぶつぶつ言いながら、私達に顔を合わせることなく横を通り抜け門を出て道路に出た。彼は通学用の青いショルダーバッグを肩から提げ、小学校指定の黄色いつば付き帽子をかぶっている。
「待ってよー、お兄ちゃん置いてかないでー」
続いて真新しい赤いランドセルを背負った華加も飛び出してきた。
私と明宏と華加はタカツキシティの親戚の家、和光家に預けられたという事になっている。だからお兄ちゃんと呼んではいるが、彼は実の兄ではなく従兄弟という設定だ。
家の前で二人ずつに別れた。小学校に向かう明宏と華加は左に、中学校に向かう私と1つ年上の兄は右だ。
大きく私に手を振る華加と振り返す私。背を向けて我関せずという感じで先に行ってしまう明宏と従兄の和光飛鷹(わこうひだか)、この二人はよく似ている。
女の兄弟に対してやけにそっけない。それともこの年頃の男子とは皆こうなのだろうか。
私も真新しく固い着心地の制服に身を包み、置いて行かれないように早足で兄の後に続く。
「皆さん初めまして、唐沢真央と言います。埼玉のクキ中央中学校から転校して来ました。よろしくお願いします」
中年の男の先生に連れられて教室に入った私は、教壇の横に立ち挨拶した。
教室の全ての目玉が私の方を向いている。
この春に続いて計三回目の転校だが、何度体験してもこの雰囲気には慣れそうもない。
私が教室に入った瞬間から「東京もんや」「ちょっと可愛いやんけ」「クキってどこや?」と、学生の一大イベントに中は静かに沸いている。
「彼女の言葉を聞いたとおり関東の人だ。こっちの方はまだ来たばかりで不慣れだそうからみんな親切にするんやぞ。じゃ、あそこの空いている席に座りなさい」
私は先生の指さした席に向かった。
「よろしくお願いします」
座るときに隣の席のポニーテールの女の子にあいさつした。すると、彼女の方からも話しかけてきた。
「おまえ、東京から来たんか」
「ううん、違うよ。埼玉だよ」
「まぁ埼玉でも千葉でも青森でもどうでもええわ」
彼女の方から話を振っておきながら心底興味なさそうだ。あと、青森は離れすぎ。せめて関東で統一して欲しい。
「それじゃ本物のたこ焼きくうたことないやろ。安くて美味しい店知ってるんや、行くか?」
「うん!」
私は割と大きな声で返事をした
「じゃあ、放課後転校生歓迎会をかねて皆で行こう!」
彼女が手を挙げるとこの会話を聞いていた皆が手を挙げて賛同した。
「コラ騒ぐな授業中やぞ。それ、先生もいっていいかー」
「先生のおごりならねー」
「じゃあ、やめだ」
「ケチー」
「おまえら教師の安月給しらんやろ」
「知らーん」
「て言うかどうでもええわー」
誰かが言った無責任な一言に教室が笑いに包まれる、私もそれにクラスの中の一人として参加した。
今日は二学期最初の日なので、始業式と連絡事項を伝えるだけで今日の授業は終わった。
帰るには少し時間が早いので、放課後は私の隣の席の子、鶴ヶ島ほの花さんの音頭で転校生、つまり私の歓迎会が行われることになった。
目的地は学校の近くの公園だ。そこに彼女が朝言っていた、東京では食べられない本物のたこ焼きを売る店があるらしい。歌が苦手な私にはカラオケパーティーとかにならなくて本当に助かる。
皆で制服のまま学生鞄を持って公園に買い食いにやってきた。
そこは中央に貸しボートも営業している大きな池があるところで、そこかしこにアイスクリーム屋、クレープ屋など数軒の屋台が営業している。
その中の一つ、たこ焼き屋の前に彼女は立ち止まった。近づくと香ばしいソースの香りが私の鼻をくすぐった。
まだ残暑厳しいさなか、屋台のおじさんは汗だくになりつつ、Tシャツとねじりはちまきで黙々と二本のピックを操り、鉄板の穴の中をたこ焼きをひっくり返している。
「一見みすぼらしい屋台の様に見えるけど、実はこういうところが穴場なんやで」
「みすぼらしいは余計や」
彼女の私に話す声が大きかったので、屋台のおじさんにもそれは当然聞こえていたようだ。
見るからに柄の悪そうなおじさんの巻き舌で超低音の大阪弁に、私の体はビクッとはねた。
「おっちゃんたこ焼きおくれ、人数分」
なれっこなのか彼女はおじさんの対応を意に返さず、後ろから付いてきたみんなを手のひらで指してたこ焼きを注文した。このけんか腰の会話がこちらでの日常なのだろうか。
「できたて用意するからちょっとまちーや」
おじさんもそれ以上邪剣にせず注文を請け負い、鉄板の上に銀のじょうろみたいな器具で、溶いた小麦粉の生地を流し込む。
「この子東京からの転校生なんやって、んでな本物のたこ焼き食わせよー思うて連れてきたんや」
彼女の説明を聞いたおじさんは生地の海の中に、ぶつ切りにした蛸を素手で一個一個落としている。その手を休めずに私をじろりとにらんだ。
「東京もんにたこ焼きの味がわかるんか」
「たこ焼きぐらい食べた事があります」「出身地は東京では無く埼玉です」
とはおじさんの圧力に屈して言えず、ただ私は愛想笑いを浮かべる事しか出来なかった。
「あいよおまち」
それでも調理拒否すること無くおじさんはたこ焼きを完成させた。
「ほいよ、東京もんのお嬢ちゃん」
おじさんは最初に私にたこ焼きを手渡した。笹舟の形の紙皿の上に六個のたこ焼きが所狭しと並び、その上にのせられた鰹節が熱気で蒸されくねくねと躍る。
おじさんは次々とたこ焼きの紙皿をクラスのみんなへと渡していく。しかし彼らにわたる紙皿は私のものと違い何も乗っていない。
紙皿だけを受け取った彼らはたこ焼き屋の前を離れ、めいめい公園のベンチや芝生の上に座った。
「冷めないうちにくうで」
全員に紙皿が行き渡るのを確認すると鶴ヶ島さんは言った。もちろん彼女が持つ紙皿も空で爪楊枝が2本載っているだけだ。
私達はそのたこ焼き屋が正面に見える、ほど近いベンチに座った。
紙皿の上のたこ焼きの一個には爪楊枝が2本並んで刺さっている。私はそれらを同時に指でつまんで、刺されているたこ焼きを口に運んだ。
私の口には大きいそのたこ焼きを、やけどしないように慎重にかじりとった。
ソースの甘辛い香りと味が口の中に広がる。
「な、旨いやろ転校生」
彼女も紙皿の上にのっていた爪楊枝をつまんで紙皿から口へと動かし、なにも入れていないのに口をもぐもぐとさせている。見回すと他のみんなも彼女と同じしぐさをしている。
「うん、おいひい」
口の中でたこ焼きのかけらを転がしながら私は答えた。これに使われている生地は小麦粉をただ水で溶いたものではなく、何らかの出汁が加えられているようだ。
「そうやろそうやろ、うちのたこ焼きは日本一や」
私達の会話が聞こえたのか屋台のおじさんは腰に手をやり胸を張った。
「ん~それは言い過ぎかな、日本でいいとこ二番目くらいとちゃう?」
そう言ってまたもや彼女は何も刺さっていない爪楊枝を、空の紙皿から開いた口へと移動させた。
「なに? それじゃ一番はどこや?」
「さぁ、どこやろな~」
広い公園にみんなの笑い声が広がった。私もたこ焼きを吹き出さないように口を押さえた。
それにしても今日は日差しが強い。
テレビの天気予報では今日は一日快晴だと言っていた。
ドラマもバラエティも作れない、事件は起きないので放送すべき内容が無く、いつもは真っ黒な画面しか映さないテレビだが、唯一天気予報だけは放送している。
このタカツキシティは外側を厚さ三メートルの透明な特殊プラスチックで覆われている。内部の天気はコントロールされているので、はずれることは無いだろう。
この街を覆う透明な特殊プラスチックは、高いところは地上1500メートルもあり、強風のような自然災害、外敵からの攻撃があった場合に物理的ダメージをそらすために全体が卵形の曲面で構成されている。
私達を守ってくれるドームなのだが唯一の欠点は、曲面なので外の景色がゆがんで見えることだ。今も太陽は丸では無く横長に見えている。夜になると月や星もこの街独自の形で空に浮かんで見える。
今でこそ私はこの風景に違和感を抱いているが、そのうち慣れるだろう。
私は生きていかなければならない、与えられたこの場所で。
ここは幻ではない現実の街なのだから。
そのゆがんでみえる空の上、ドームの外壁に沿って何かが飛んでいる。私には豆粒位の大きさにしか見えないが、その直線的な動きは鳥では無く警備中のドローンだろう。
たこ焼きはこの日差しに負けないくらい熱いがすごくおいしい。私は口をはふはふさせながらもう三個目まで食べている。
「おじさん、おいしい。ここのたこ焼きは世界一!」
「わかってるねぇ、東京もんのお嬢ちゃん。もうひと皿焼くから遠慮無く食いな。もちろんサービスや」
私がお世辞ではなく心からそう言うと、おじさんは使い込まれたじょうろで鉄板の上にあたらしい生地を流し込んだ。
(了)
幻の街 長谷嶋たける @takeru0627
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