第5話 魔恨

 訪問を電話予約していたユリエは時間通りに、そのビルにある一室を尋ねた。

 

 ユリエが何も言わないうちに、長い腰まである髪を後ろでひとつに束ね黒いドレスを着た、その年齢不詳の女は呆れたように言った。

「アンタ、随分とまぁ、恨まれたもんだね」


「恨み?ですって?」


「まぁ、そこにお座り」

 部屋自体は拍子抜けするほど事務的で普通だった。

 中央に応接セット。

 衝立で奥は見えないが、他に人のいる気配もない。


 女はユリエを自分の座っていた応接セットのソファの前、テーブルを挟んだ向かい側に座るように促した。


 座るのももどかしく、ユリエは着ていたブラウスの長袖をひじまでまくりあげて無言で見せた。

 そこにはもう肘下ひじしたに迫る勢いで肉のトゲがいくつも出来ていた。


「おやおや、心当たりはないのかい?」

 この女にはコレが見えるらしい。


「当たり前でしょ。あたしはいつだって間違った人達を正して導いてあげてきたのよ。感謝されこそすれ、恨まれるなんて考えられないわ」


 女は溜息を一つついた後で、静かにこう言った。

「これはね、”魔恨まこん”というものさ。他人からの恨みの塊」

「普通はね、一つだけでもっと大きい」

「でも、アンタの場合は、ほら、小さいけどこんなに出てきている。それも増え続けているんだろ?」

「アタシもこんなのは初めてみたよ。でもアンタの話を聞いていたらわかる気がしたよ」


「どういうこと?」

 ユリエはイライラと聞いた。


「アンタはこうなってもまだ、そんな調子なんだもの」

「”魔恨まこん”を何とかできるとしたら、それは自分をかえりみるということだけ」

「アンタにそれができるかい?」


 ユリエには意味がわからなかった。

 この女は何を言っているのだ。

 あたしが何を反省しないといけないというのか?

 やっぱり、こんな所に来るべきではなかった。いい加減なことを言って法外な相談料を取るつもりに違いない。

 そうだ、後で通報しておこう。

 これは真っ当な市民の義務だわ。


 黙り込んでしまったユリを憐れむような目で見ながら女は言った。

「ああ、これでは仕方ないね。相談料は要らないから、お帰り」


 無言のままユリエは立ち上がった。

 ほら、やっぱりいい加減な事を言ってたのがバレそうになったから、急に怖気付いたのよ。決まりだわ。今回、通報は勘弁してあげるけど、新聞広告代理店に苦情と注意喚起の電話はしておかなきゃ。次に見かけたら容赦はしないからね。


「失礼しますわ!」

 にらみつけて叩きつけるように言ってから、ユリエはドアを乱暴に開けて部屋を出て行った。



 しばらくして……



 後に残った女は悲しそうな顔をして

「あれはもう手遅れだね」と

 ポツリと言った。


 そして……


 そういえば、あの哀れで愚かな女の名前を聞いていなかったな、と思ったのだった。

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