第6話 錯乱

 ユリエはパニックになっていた。

 あれから、見る度に肉の棘は増えるばかり。

 そして、それだけではなかった。

 やはり肉の棘達は喋るのだ。

 それもユリエが一人の時に限って。


「お前こそ恥を知れ!」

「恥をお知りなさい!」

 その声は、それぞれ違う。

 ただ、言うことは皆同じだ。

「お前こそ恥を知れ!」

「恥をお知りなさい!」

 どちらかの言葉ばかり。


「なんであたしがそんな事、言われなきゃいけないの!」

「あたしはねぇ、間違った事なんてしたことないのよ!」

「いつだって、間違ったことを正してきたんだから!」

 ユリエはパジャマのまま寝室に籠るようになった。


 夫は心配したし、娘はそんな母を以前にも増して怖がるようになった。

 夫は何とかしてユリエを病院へ連れて行こうとしたが、ユリエは怒り狂うばかりで手がつけられない。


 夫にはユリエは一人で髪を上げて首の後ろ辺を鏡で見てはブツブツと独り言を言っているようにしか見えなかった。

 勿論、ユリエの言う肉の棘などというものも、どこにもない。


 家の空気は淀みきってしまい、空気を入れ替えようと窓を開けることはおろか、カーテンを開けることさえユリエは嫌うようになった。


 PTA会長は任期を待たずに体調不良で辞任することを申し出た。

 夫が頭を下げて迷惑をかけたことを詫びてまわって、何とか収めて貰うことができた。


 役員達からそれ以上、ユリエに対する批判の声は出なかった。夫や娘があまりに気の毒だったからだ。

 ただ、あれだけの事を言い放っていたユリエに同情する声は、さすがに出なかった。



 ユリエはすっかり鬼気迫る形相になっていた。

 梳かすこともない髪は所々固まってしまっていてボサボサだ。

 夫がせめて顔だけでも拭いてやろうとしても、手を振り払って叫びだす。


 ろくに食べることもしないのだから、体調も悪くなる。夫は医師と相談してユリエを説得し、何とか入院させることにした。


 次の日に入院という前の晩、ユリエは相変わらず寝室に籠っていた。


 鏡は片付けられていた。

 見れば興奮して手がつけられなくなるからだ。


 確かに肉の棘は見えなくなったが、ユリエにはまだ消えていない事がわかっていた。

 声がするのだ。

 いつものあの声。

「お前こそ恥を知れ!」


「うるさい!うるさい!うるさい!」

「なんで、あたしがそんなこと言われなきゃいけない!」

「あたしは間違ってない!あたしは正しい!」


 ユリエには、どうしてもわからなかった。

 この肉の棘、「魔恨まこん」の意味が最後まで理解できなかった。



 その時



 肉の棘が全てと内側にひっくり返って皮膚に突き刺さった。

 

 不思議と痛みは無かった。



 ただ、それらは一斉にユリエに言った。

 ユリエの内側に向かって

 小さな口を開いて、声を揃えて

「お前こそ恥を知れ!!!」

 その声はユリエの頭の中に、身体中に、反響し続けた。




 そして、ユリエは







 発狂した。

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