第二話 釧路高貴は欠けている -01
ただそう思っていた。
おそらく物心ついた時から思っていただろう。
その答えは小学校に入って直ぐに、今までよりも多くの人と関わるようになって直ぐに、はっきりとすることとなった。
彼は他人への好意が欠けていた。
恋をしていないとかの浅い話ではなく、友人に、親に、親戚に、近所の人に、
好意が欠けていた。
友人と話すのは楽しかった、親や親戚への感謝もある、近所の人にもお世話になった。
しかし、好意がなかった。
もう少し正確に表すのであれば、楽しく話す友人が、育ててくれた親や親戚が、お世話になった近所の人が別に違う人だとしても、自分は今と変わらない感情を抱いたのではないかと考えた。考えてしまった。
違う人でも変わらないのであればその人を好きというのだろうかと。
気づいてからの彼は一言で表すならば無難であった。
友人には親しいと思わせるように、親にはこんな自分だと悟られないように、波風が立たないように。
人間関係は上手かった。
しかし、自分だけはわかっていた。自分だけにしかわからなかった。他人にわかるはずがなかった。
彼は他人と明確に違う部分が自分にあるということを気づかれることが、なによりも怖いと思っているだけだということを。
彼はそんな自分への不満はなかった。むしろ満足していた。
欠けているという事実があること以外は。
けれど、いずれ知ることになる、自分が欠けていると思っていたものがただの気づきだったのだと、それは自分だけでなかったと。しかもそれは子供っぽい妄想であり、思い込みであったと。
こんなのはありふれたそしてよく聞く話。
◇ ◇ ◇
「2年8組の釧路です、来たんですけど。」
「昼休みにわざわざ悪いな、ちょっとばかし教師陣じゃ手に負えないというか手を出しづらい問題があってな。」
職員室に入った僕に話しかけてきた声の主はボサボサの髪に整ってない髭、度の強そうな眼鏡に教師とは思えないほどに緩んだネクタイ。
怠惰の権化みたいな格好をしているくせに、なぜか気怠さのあるかっこよさがある。
まあ俺の担任教師なのだが。
「そんな面倒そうな問題を俺に押し付けないでくださいよ。」
「まあ聞くだけ聞け。面倒かどうかはお前が判断してくれて構わないが、お前なら難なくできるだろうから大丈夫だ。」
先生の言葉から察するに教師より生徒の方が色々と都合がいいような内容なのだろうか。
「来月生徒会選挙があるだろう、それの生徒会長の立候補者がいなくて困ってるんだ。」
「えーっと、俺にやれと?」
「そんなパワハラじみたこと俺が言うわけないだろう。基本的には一年時に副会長やってた奴がやるはずなんだが、今年はそいつが転校したからいないんだよ。そのうえ、毎年1人はいるであろう立候補者もいなくてな、まあ、お前がやってくれてもいいんだが……」
「先生だと立場上、生徒会長やらないかと言い難いから俺から立候補を勧めろってことですね。」
「相変わらず話が早くて助かる。」
「でも、先生って生徒会関係ないですよね?」
「ああその通りだ、無関係にも程がある。まあ訳ありなんだよいろいろとな、平たく言うなら、お前らが出来すぎなんだ。この学校はクラス替えがないだろう。そうすると3年間クラス間に学力差というか、能力差というのかそういうのがなんとなくできてしまう。意識していなくても、出来てる者に出来ない者は気後れしてしまう。それは教師間にもいろんな形で表れる。今回秀でているのがお前たちだった、しかも厄介なことになんとなくでなく明確にお前たちは秀でている。まああとは教師個人個人の思惑とかがあるんだろうが、俺のクラスのやつに生徒会長をやらせればいいんじゃないかっていうような流れというか空気感ができてるってわけだ。」
「なるほど、納得しました。期限とかは?」
「早いに越したことはないってくらいだな教師陣から直接言葉で言われたわけじゃないから本来は俺の仕事じゃないわけだしな。」
こんなだらしない格好で、仕事に不誠実そうに見えるのに、案外学校全体のためを思って動いてるんだよなこの人。
「そういうことだったらやるだけやっときます。」
「おう、頼んだ。」
引き受けたもののどうしていいかわからないな。
先生が言うようにクラスメイトはみんな優秀だ、それこそ、生徒会長をこなせるほどに。
問題は手段だ、いくら人間関係が得意だとしても、他人を生徒会長にさせることなんて一体自分にできるのだろうか?
おそらく無理に近いだろう、不可能でこそないが説得するうちに絶対に
それもそのはずなのだが、生徒会なんて縁のない俺が急に生徒会長やってみろよって言うわけだからな。
そんな風になるならいっそのこと、めぼしい人材に全て話して了承を得た方が早そうだ。
「ひとまずは昼休みに何人かに話題を出してみるか。いくら俺でも生徒会長候補がいならしいって話題を出しただけで胡散臭さは出ないよな。」
「生徒会長がどうかしたの釧路?」
まさか返答が返ってくるとは思ってすらいなかった独り言に、返答が返ってきて反射的に声のする方を振り向く。
声の主は艶やかで美しい黒髪ショートに気持ちつり目気味の気が強そうな生徒だった。
「いや、別にただの独り言だよ。」
なんとなく誤魔化してしまった。とはいえこれがベストのはずだ、教師陣はともかくとしても、生徒には言うべき内容ではないだろうしな。
「そうかい、ボクの推察では先生に呼び出された君は、今年の生徒会長候補がいないということを知らされ、そのためクラスから候補者が出るように勧めろと言われたが、具体的にどうしようか思案してるってところだと思ったんだけれど。」
端的に言うならば、俺は驚愕した。
このボクっ娘、
クラスで、否、学年で、もしかしたら学校全体だとしても3本の指に入っているかもしれない人物である。
彼女が卓越してるのは今の一連の流れで十分理解できたであろう、観察眼とそれに基づき行われる推測である。
毎回、定期テストの際に彼女が「この問題でるよ」と言った問題が全て出ているのがいい証拠だ。
多くを知っている天才ではないが、多くを知ることのできる天才。
いくら観察と推察に優れていると痛いほど知っていたとしても、隠そうとしてしまうし、それがいとも簡単に看破されれば、驚愕もするというものだ。
本当にどの情報があればここまでわかるんだよ。
「そして、今君はボクに隠そうとしたことがバレたわけだけど、きっといつもみたいに君の様子から言い当てたと思っているのだろう。しかしながら今回ばかりはちがうんだなぁ。」
明らかに反応して欲しそうだ。
「えーっと、違うって言うと?」
「実を言うとね、ボクも先生に頼まれたんだよ。だから、今回はべつにすごいことしてないよ。」
同じことを頼まれたのかそれなら、わかってもたしかに納得が……あれ、おかしくね?
「なんで、先生が2人に頼むってわかったんだ?しかも、俺に頼むって。俺は2人いるってことすら知らなかったのに。」
「ああー、別にそれは大したことじゃないよ、先生って保険をかけたがるとこがあるから、ボクの保険として釧路が、釧路の保険としてボクがってところじゃないかなぁ。」
十分凄かった。
「そうだ、強いて言うならボクの保険に誰を選ぶかといえば君かなっていうのは一応推測だね。」
「それはどうやって?」
少し気になっている俺がいた。
「どうって言われても、さっきも言ったように保険はかけると思ったから、ボクの方に期待してるのが推測することで実は生徒会長になりたいって思ってる人がいたらその背中を押すことで候補者が見つかるかもしれないということなら、もう片方には生徒会長になりたいと思ってない人間を生徒会長になりたいと思わせ、ならせることができるような人物であるはずだって思ったってだけだよ、そんな人はボクが知る中では君だけだし。」
人が何を望みそのために行動するかどうか、行動した場合どのような行動を取るかをこうも簡単に推測するまでは、それなりの付き合いがなければできないのだろうが担任教師が相手なのであれば、難なくというか容易くというか解くまでもなく解いている。
「先生がわざわざ言わなかったってことはお互いがいることを知らない方がいいと思ったわけだろうし、正反対のことを期待しているなら俺もその方がいいと思ったのだけどなんで俺に探りを入れてきたんだ?」
「いやー鋭いね、実はボクもどうしていいか分からないというか悩んでいてね。」
「その言い方だと方向性は見えているけど手段になやんでるってことか?」
散々言い当てられたため少しでもやり返そうと俺のできる精一杯で反撃してみた。しかし、明かに情報が足りていない中での苦し紛れだった。何がその言い方だとだよ。
「頑張ってやりかえそうとしてるねえ、でもちょっとちがうかな、言うならば、遠くもないけれど惜しくもないって感じかな。」
俺の意図はいとも簡単に見透かされた。せめて、惜しかったらよかったのに。
「いや、そんなに悲観する事じゃないさ、ボクは遠くもないけれど惜しくもないと言ったけれど、当たっている部分は当たっているんだよ。たとえば方向性は見えている。しかし手段も思い浮かんでいる。まあ遠からずだよね。」
「ちょっと待てよ、どちらも思い浮かんでいるなら何を悩んでいるんだよ。」
「そう、こっちが本題。方向性も手段も思い浮かんでいるわけだけれど、先生が予期せぬほどに面倒な事になっていたんだよ。」
「先生が予期せぬほどに……それは俺たちでは何もできないってことか?」
「違う違うそこまで深刻じゃないよ。先生が予期しなかったのは、予想していなかったのは立候補しようとしていた人物が思いのほか多かったことだよ。」
「多かったってことはもう探したのか。」
「釧路よりボクの方が先に依頼されたからね、まずは立候補したい人を探したほうがいいかなと思って。」
「それで、なんで多いとダメなんだ?」
「普通に多いだけなら困りはしないんだけどね、まあ順序通りに説明していくと、まず8組内に3人、立候補しようとしていた人がいた。」
「誰と誰と誰?」
「えっとね、山岡と大橋、あとは古賀ちゃんだよ。」
「山岡と大橋はたしかに生徒会長とかやりそうな感じはするけど、古賀は意外だな。」
「でしょ、そしてそこが複雑になってるところでもあるんだけど、さっき釧路が言ったように山岡と大橋はやりそうなんだよ、そしてそれはお互いが一番わかっていた。2人ともが立候補してくれたならば、ボク達は特にすることもなく平和だったのだけどね。」
「二人の間に何か問題でも起きたのか?」
「いや、そんなことはないよというか真逆だよ、言うならばそうだなぁ和平を結んでしまったって感じかな。どっちも相手にだけは負けたくなかったみたいでね、それなら他の人がなった方がいいだろうってことで2人とも立候補取り消しちゃったんだよね。」
「もしかして、2人とも立候補すると思っているから引っ込み思案気味の古賀も立候補できずにいて、誰も立候補してないってことか?」
「その通りだよ。それ故に、ボク達としては、いくつかの選択肢ができてしまったといえるんだよ。だから君とコンタクトを取ることを思い至ったんだ。」
「お互いがお互いに邪魔し合うってことが起きないようにか。」
「そういうこと。というわけで、協力しよう。具体的には誰に生徒会長なってもらうか決めるだけだけど、ボクはここまで情報集めたんだから、説得は君に任せるよ。」
「まあそこまで、いろいろ教えてもらったわけだからそれぐらいはしないとな。」
そういうわけでとりあえずのところ俺たちの方針は決まった。
まだ話したいことがあります。 灯束甲兎 @navycoat
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