第10話 三つの選択肢

 しばらくの間、丸尾と共に俺は火の安全管理をしていた。激しく燃え上がるキャンプファイヤーの傍は、自分が火で燻されているかのように熱い。


 シャツの首元を掴んでをぱたぱたと仰ぎ、額の汗を拭う。


 火を見ていること自体は飽きないが、火に正面から向き合っていると顔が焼けそうに熱い。


 火から顔をそらし、賑わう生徒たちの姿をぼんやりと眺めていると、石段の端の桜の下に神崎さんの姿が見えた。


 俺の神崎さんセンサーは未だ健在のようだ。


「神崎さん……あれ?」


 何やら神崎さんの様子がおかしい。先ほどから非常に困ったような表情を浮かべている。


「どうしたんだろ。」


 汗を拭って立ち上がり、神崎さんの姿がよく見える位置にずれた。すると、神崎さんの傍に長身の男が何やら頭を下げているのが見えた。


 文化祭の後夜祭、美少女の神崎さんと、彼女に頭をさげる謎の男子生徒。


 これから状況から導き出される結論は、おそらく一つだけだろう。


 脳が理解して焦燥を感じるよりも早く、反射的に心臓がぎゅっと鷲掴みされる感覚が走った。


 不規則に鼓動する心臓と流れる冷や汗。息が詰まる感覚と共に、先ほどまで大火の前で火照った身体が、一瞬にして冷たく冷え切っていく。


「何さぼっているんだね?」


 丸尾は眼鏡を外してタオルで顔を拭いながら、俺の横に並び立った。


「丸尾……。あれ見てみろ。多分男が告白してるんじゃないか。」


「なんだとっ!?」


 丸尾は丸眼鏡を慌てて付け直し、まじまじと神崎さんとその傍にいる男子生徒の姿を眺めた。


「ちょっと火を見ていてくれるか。邪魔してくる。」


「お、おう……。」


 丸尾はすがすがしいクズだが、それを利用する俺はそれ以上のクズだといえる。


 勢いよく勇んで行った丸尾だったが、すぐさまUターンして引き返してきた。


「どうしたんだ?」


「いや、様子を見る限り、男が振られたらしい。だから邪魔するまでもなかった。」


「そうだったのか……。」


 思わず、ホッと安堵の息を漏らしてしまった。


「……。」


 そこから嫌でも付きつけられる真実


 ――俺は神崎さんのことが、好きだということ。


 同時に、心底自分のクズさに嫌になる。


 俺は神崎さんのことを諦めようと、忘れようとしてきた。それなのに、神崎さんが男に告白されるのを見て、酷く嫌な気分になって、彼女が男を振ったことに安堵している自分がいる。


 もし自分が告白し、この長年ずっと思い続けた気持ちを、神崎さんへ言葉にすればあるいは――などと考えている自分もいる。


 そんな自分が浅ましく、卑しく、汚らわしく、不愉快で、そして――人間らしい。


 言葉にして想いを伝えること、それ自体に意味があるかもしれない。神崎さんに告白しなければ、俺の大事にしてきたこの気持ちは、発散することなく溜めこまれ、ヘドロのようなものになって沈殿するかもしれない。


 告白する事に意味がある。


 結果ではなく、過程に――思い続けた想いに。


「ふっ……ははっ……。」


「な、なんだ急に笑い出して……。」


 丸尾は突然笑い出した俺に対して、ぎょっとした表情を浮かべた。


「……考えるべきは――大事にしたいもの」


 今まで大事に抱き続けた想いと、新しく芽生えた大事にしたい想い。


 俺がちろるに対して抱いた想い。その想いはもう完全に本物であり、決して揺るがない……そのはずだ。


 しかし、神崎さんへの想いが捨てられない俺に、その資格があるのかどうか。全ての心を捧げてくれる彼女に、自分は見合う男なのか。


 そんな事を考える自分は全く救いのない男だろう。だからこんな自分は救われなくてもいい。


 それでもやはり――彼女は救われるべきだと思う。


 こんな俺を、好きでいてくれて、ずっと言葉と行動に示してくれた。自分の想いよりも俺の想いを優先するような、それでいて俺を惚れさせようと懸命だった桜木ちろる。


 努力は報われるとは限らない。それでも救いはあってほしい。


「……。」


 ――どうする?


「おい、大丈夫か?」


 心配そうに、そして訝し気に丸尾が声をかけてきた。


「あぁ……。ちょっと自己嫌悪とかで潰されそうになった。」


 丸尾はしばらくの間、怪訝そうな顔で俺を眺め、「自分を卑下するような男は、女にモテないぞ。」と呟いた。


「……そういうもんか。」


「そうだ。だから、私も君もモテないのだよ。」


 丸尾はそう言って俺の肩を叩き、熱気で失われた水分補給に向かった。


「全く、自分を卑下したり、自己嫌悪したりくらいはさせてほしいもんだなぁ。」


 自分は不幸だと口にすることは見るに堪えないけれど。


 少なくとも、今の自分が不幸だと言ったら、そんな度し難いやつはもう死んだほうがましだと思う。


 俺は不幸じゃない――幸せだ。


 あんな可愛い同級生を好きでいられて、あんな一途な後輩に好かれていて。


 俺は幸せすぎる。


「まぁ――くよくよ考えるのも、いい加減に終わりにする時かもしれない。」


 ここで俺の脳内には、三つの選択肢が現れた。


1、本命――、神崎若葉に告白しに行く。


2、対抗馬――、桜木ちろるに告白しに行く。


3、穴馬――、約束の時クリスマスまで保留を続ける。


 心は決まったか。


 正しい選択――


 後悔のない選択――


 自分が心から望む選択――


 いや、違うな――後悔してもいい選択か。


 揺るがない選択――俺が選んだ選択は――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る