第11話 神崎若葉への告白
コンクリ塀にもたれながら、俺はキャンプファイヤーの火が遠くに揺れているのをぼんやりと眺めていた。
待ち人来る――今年の正月に引いたおみくじには、確かそう書いてあった。
“体育館側の石段の一番上、桜の木の下で待ってます。”
そんな文面で連絡を入れると、すぐさま既読がついた。
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文化祭の後夜祭――突然の呼び出し。
相手は一年生の時に同じクラスだった男の子だ。名前は確か……山田くん? だったか、そんな感じの名前の男の子だ。
そんなに話したことのない相手だから、どうして呼び出されたのかわからない。
「神崎さんのことが好きです! 付き合ってください。」
「えっ……!? ご、ごめんなさいっ!」
突然の告白――
まさか告白されるなんて……。びっくりしちゃったし、すごくドキドキした。告白されること自体は嬉しいし、恋愛とかにだって全く興味がないわけではない。
でも――
「今は誰とも……付き合うつもりはないので……ごめんなさい。」
――それが私の答えだ。
肩を落として去っていく姿を見ると、なんだかすごく申し訳ない気持ちになる。だけど、少なくとも今は、フルートだけに……音楽だけに集中したい。
普通科の高校に通うことに決めたのは、まだ音楽に向き合う覚悟がもてなかったから。でも今は違う、私は音楽と向き合うことに決めた。
私は不器用だから、いくつもの事を同時に上手くこなすことはできない。一つのことに専念しないと、今まで積み上げたものが駄目になってしまう気がする。
私の夢は、もう私だけのものではない。裕福とはいえない普通の家庭なのに、音大に通うための学費を出すといってくれた両親、格安でレッスンを請け負ってくれる先生。私の夢を応援してくれる部活のメンバー。
そして――
“ピロリロリンッ!”
突然鳴ったスマホのメッセージ音。
“話したいことがあります。体育館側の石段の一番上、桜の木の下で待ってます。”
「……雪くん?」
話したい事……? 一体どうしたのかな。
きっとそれはないだろうけれど……、もしも告白とかだったらどうしよう。
先ほどの一件があったから、どうしても意識してしまう。
青葉雪くん――いつもは静かでそんなに目立たないけど、誰かのために一生懸命になったり、自分の事だけじゃなく、人の事も真剣に考えたりできる人。
お世話になっている吹奏楽部の先輩の弟で、クラスの同級生で、サッカー部のキャプテンの男の子。勉強もできて、生徒会の仕事もして、何でも器用にできるし、私よりもずっと大人っぽくて……。
そして何より――とても優しい人だと思う。
後ろに小さな子供が並んでいたら、そっと列を譲ってあげたり、夏に海に行ったときは、私の足がつって溺れてかけたところを助けてくれたりした。
私の夢の話も、真剣に聞いてくれた。夢を追う決断をした私を、「すごい!」って真っすぐな目で褒めてくれた。
「やっぱり……、雪くんは少し……特別……なのかな……///」
好きとかはよくわからないけど、他の普通の男の子とはちょっと違う……と思う。
「って、わたし何考えてるんだろ……おかしいな。」
変な妄想をぶんぶんと振り切り、それでも少しどきどきしながら、青葉雪くんの待ってる場所へと向かった。
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「ごめんね、お待たせ~」
秋夜に響く、鈴の鳴るような涼しげな声。その声に振り向くと、黒髪の美少女が立っていた。
「神崎さん、ごめんね。急に呼び出しちゃって……。」
「ううん、全然大丈夫だよ。それで……話ってなにかな……?」
神崎さんは普段とは違い、少し強張った表情だ。そりゃ、文化祭の後夜祭で呼び出されたら、警戒するに決まっている。ましてや、先ほど他の男子から神崎さんは告白されていたのも俺は知っている。
承知の上で俺は神崎さんを呼び出した。彼女に告白したいことが、心の中に二つ浮かんでいた。
緊張していることが伝わらないよう、落ち着いた声音を意識して話を切り出す。
「あのさ、神崎さんとは……夢についてよく話してたと思うんだけど……。そのことでちょっと話したくてさ……。」
「夢……?」
「うん、覚えてるかな。前に相談した――自分に夢がないって話。」
我ながら、好きな子に何でそんな事を相談したんだ――と思わなくもない。
「もちろん覚えてるよ! あっ、もしかして雪くんの夢……見つかった?」
「まぁ、そんな感じなんだ。夢といっていいかわからないけど、それでも指針は立ったというか、目指す方角は見えたというか。」
「おぉ~! それはおめでとうだね! やったね~!」
神崎さんはにこやかな笑顔でそう言ってくれた。彼女の笑顔に、一体これまでどれほど癒されてきたことだろうか。
「それで、それで~?」
「えっと……。」
「あれ? どんな夢なのか、教えてくれるんじゃないの?」
きょとんとした表情で、神崎さんは俺の顔を覗き込むようにして言う。
「確かにそのつもりだったのだけど……。」
自分の夢に向かって、全力で向き合う彼女に、自分が見つけた夢を報告したいと思った。
しかし――いざ言おうとすると、何だか妙に恥ずかしさに襲われた。
「やっぱ――恥ずかしいな。」
「えぇっ~!? 教えてよっ!」
神崎さんはひどく肩透かしを食らったような表情をした。
「いや、ごめん。言うから――ちょっと待ってね。」
俺は大きく深呼吸した。横隔膜が沈み込む感触と、心臓の鼓動を強く感じる。
夢を語るのは恥ずかしい。きっと言葉先輩もこんな気持ちだったのだろう。それでも意を決してする一つの告白。
長い間追い求め続けた、自分の夢という答え。
「夢は――写真家になることなんだ。」
夢を意識してしまえば、どうしてもっと早く気が付かなかったのかと不思議に思う。
写真家――それを夢だと強く意識するきっかけは、やはり神崎さんの言葉に間違いない。彼女のおかげで、俺は夢を真剣に考え続け、人生において進むべき方向が見つかった。
「写真家――。」
神崎さんは俺の夢を聞き、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「うん! いいねっ! 雪くんなら絶対になれるよ!」
まだ実力も何も伴っていないのに、全肯定されるとどうにも居た堪れない気持ちになる。俺は恥ずかしさを紛らわせるために、言い訳のような言葉を口にした。
「いや、その……写真家っていっても、どうすればなれるのかとか、全然わかってないんだけど……。でも、実際に生徒会の仕事とかで写真撮ってたら、誰かの輝いている姿を切り取って、残して置けることに興味があるなって思って……。」
「そっか、素敵な夢だと思う。私はもちろん応援するよ!」
「うん……ありがとう。」
神崎さんは遠くで光るキャンプファイヤーの炎を眺めた。いや、もっと先の未来にある何かを見ていたのかもしれない。
「雪くんは有名な写真家になって――素敵な写真を撮るために世界各地を飛び回ったりするのかなぁ。私も――有名なフルート奏者になって、世界中でコンサートして回りたいなぁ~。そしたら、海外でばったり出会っちゃったりすることもあるかもね。」
「えぇっ!? それはまた……急にスケールが大きくなったね。」
「えへへっ! まぁ私の当面の目標は、とりあえず音大に入る事だけどね。だけど、最終目標はそれくらい大きな方がいいな~って。」
神崎さんの思い浮かべた新たな夢は、あまりに大きくて――そしてあまりに魅力的な夢にも思えた。
思わず、俺はもう一つの告白をしたい衝動に駆られる。
「あのさ……」
「うん? どうしたの、雪くん。」
神崎さんはあどけない表情で、俺の言葉を待った。どこまでも無邪気で、優しくて、おおらかであり、自分の夢に一途な彼女。
そんな神崎さんを初めて見たその日から、ずっと心を奪われていた。
満開の桜の下でフルートを演奏していた神崎さんを見て、これほど美しいものはないと思った。写真に残したいと心から願った。
――君のことがずっと好きだった。
その一言を伝えるだけで、きっと俺の心の内に秘められ続けた想いは、水が気体へと昇華するように一瞬で救われるのだろう。
「……。」
無言の俺を、神崎さんは優しく見守っていた。
「――ううん、何でもないんだ。」
胸に秘めたもう一つの告白は、伝えることはできなかった。
「……そう? 何でもないなら……いいんだけど。」
神崎さんは、不思議そうな表情で言った。
「うん。夢について――どうしても神崎さんに伝えたかった。神崎さんみたいに、俺も夢のために頑張るって言いたかった。ごめんね、後夜祭のこんなタイミングで呼び出してまで話して。」
「いやいや~謝らないでよ。夢の話とかって、普段なかなか言えるような話でもないしさ、雪くんの夢を教えてくれて、私はすっごく嬉しかったよ?」
「そっか――ありがとう。」
「えへへ~、どういたしまして。また何か言いたい事があったら、いつでもお話してね!」
「本当にありがとう。」
「お互い、夢に向かってがんばろうね。」
そう言って、神崎さんは俺に手を差し伸べてきた。
「そうだね、頑張ろう。」
俺もまた手を差し出し、彼女の細くて小さな手を握った。お互い夢に向かうという決意と決別に満ちた、力強い握手だった。
握手を終えた後、神崎さんはにこにこと笑顔で手を振って、校庭へ続く石段を下りていった。
「……これでいい。」
神崎さんを見送った後、俺はどこか晴れ晴れとした心地になった。
神崎さんをずっと好きだった――という想いは、彼女に伝えることは叶わなかった。
この日の事を、俺はいつか後悔するかもしれない。
あの時、気持ちを伝えておけばよかったという後悔――。しかし、後悔してもいいと思える。大人になった時、若かったなと笑って話せる時がくるはずだから。
神崎さんに恋い焦がれた俺の想いは、自分の夢と向き合うこと、そして夢に向かって進むエネルギーとして昇華させる。
そのための決別が済んだ今――、俺が何よりも優先するべきは――
いつも懸命に、愛の限りを尽くし、俺の事を想ってくれる後輩だ。
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