第43話 彼女の『ご褒美』

 自然とサコを避けるようになる。

 女の子同士でそういう相談をすることがあるのは理解できなくない。でもそのことで友だちの方から糾弾されるのは勘弁して欲しい。


 慈善事業ではないんだ。

 恋っていうのはものすごくエゴイスティックな感情のぶつかり合いで、決して相手の要求に無理をしてまで応え続けることとは違う。相手のために押しつけがましく『してあげたい』と思うこともあるが、それだってエゴだ。

 いままで面倒で、どうでもいいこととして流されるように恋愛をしてきたけれど、それは本物じゃないんだということに珠里と会って気づいた。

 でもサコの気持ちに応えなければ。サコはこんな俺でも意味のある存在だと錯覚させてくれる。それは毎日を続けていく上で小さな支えのひとつだった。


「あっちゃん」

 遠慮容赦なく白衣の背中をつかまれる。

「サコ、こういうのはまずいよ。いま忙しいんだ」

「サコちゃん、三上、実験中だから」

 サコはすごい目力で、唇をくいしばって俺を見上げた。

「なんで? わたし今日、終わるまで待ってる」

「どこでだよ、何時になるかわからないし」

「あっちゃんの部屋の鍵、貸して」

 なにも言えなかった。まだサコに対してそういう覚悟みたいなものはなかった。部屋の鍵を渡せるほど、生活に踏み込んでほしくなかった。

「ごめん。とにかく終わったら連絡するからそれでいい? 遅くなったら待ってちゃダメだよ。女の子は危ないんだから」

 サコはうなずきもせずに走って行ってしまった。

「すごい子に好かれたもんだな」

 サコにもいいところはある。でも、まだ譲れないところがある。


「真弓ちゃんのせい?」

 ふたりで夜道を歩く。夕方、ざっと降った雨でアスファルトが常夜灯に照らされててらてら光る。……真弓ちゃんのせいか、そうか?

「いや、佐田さんはなにも悪くないよ」

「真弓ちゃん、ごめんねって言って凹んでたから」

 凹んでいたのはサコのためで、それを自分の恋の障害だと思うのはどうかと思う。友だちだろう? 女の子にとってあんなに言い難いことを言ってくれたのに。

「サコ……、佐田さんはいい子だよ。仲良くしろよ」

「言われなくてもしてるし、ちゃんと謝ってくれたから許したよ」


 アパートの鍵を開ける。キィッと音を立ててドアを開ける。サコは靴を脱いで部屋に上がった。

「ねえ、あっちゃん。合鍵をくれないのはわたしが『させない』から?」

 は? ……させてくれと頼んだ覚えはない。どうしてそうなるんだよ。佐田さんか? 彼女がそう言ったのか?

「あのさ、サコ。そこのところ、見解に違いがあると思うんだけど」

「どこが? わたし、いつでもいいよ。いまだって」

 ドナルドとプーさんにコーヒーをいれる。両手に持って戻ると、サコは服を脱ごうとしていた。

「だから、無理しなくていいよ。しないとつき合ってることにならないの? 世の中には『プラトニック』って言葉もあるんだよ」

「……つき合ってる?」

「じゃあなんで部屋まで来るんだよ」

「つき合ってるから。わたしはあっちゃんの彼女だから」

「それでいいじゃん。俺、別にガツガツしてないし」


「……前の彼女に負けたらやだ」

 珠里。

 負けようもないよ、いまここにいないひとに。もう世界が違って手が届くこともない。ラインには既読がつかない。電話だって本当は何度も。

「サコ、前の彼女はいまはいないよ。今日は遅いからコーヒーを飲んだら帰りなさい。駅まで送るから」

「……どうしたらまた抱いてくれるの?」

「サコが怖くなくなったらね。また今度」

「今度、ね」

 サコの気持ちもわからないでもなかった。でもそれは彼女の心の問題だ。俺にはどうにもできない。

 それとも佐田さんが言うみたいにもっと気をつかって気持ちよくさせてあげたらサコも受け入れやすくなるのか? かと言って、いま以上に努力をしろと?

 無理だ。なんの努力だ。

 俺が抱きたいのは珠里だ。もしも相手が珠里だったら、痛がっても怖がっても無理にねじ伏せて、唇を塞いで、押し入る。珠里を抱ける機会がきたら逃さない。

 もしも心がもう、あの男に移っていたとしても。


 サコを駅まで約束通りに送って、何気なく途中のコンビニに寄る。夜食になるものはあるかな、と物色する。ふと、アイスのコーナーに目が行く。

 ハーゲンダッツのストロベリー。

 珠里が『ご褒美』に買っていたものだ。つまり、彼女の好物だった。

 食べたいわけではなく手に取る。珠里の気持ちがわかるんじゃないか、とバカな考えが思い浮かぶ。

「ありがとうございましたぁ」

 温めた弁当とアイスクリーム、温度の違うふたつは別々の袋に入れられた。……そう言えば弁当ばっかりで珠里にバレたら怒られるな。ハーゲンダッツをそっと見る。

 部屋に帰るとなにをするよりも早くスマホを取り出した。あふれる気持ちはもうブロックがかけられていようがなんでもよかった。心の中から本当に言いたいことを文字にする。フリックする指に迷う必要はない。


『会いたいよ』


 心の底から勝手に滑り出た言葉だ。会いたい、いますぐ会いたい。抱きしめて、前みたいに「ただいま」ってささやくから。

 会いたいよ。会いたい。

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