第11話 贅沢

 連れて行かれた珠里の職場は、珠里が元気な時には散々通った無印良品と同じビルのテナントだった。まったく何も言わないんだから、と少し呆れる。

 珠里の言うところの「オバサン」たちはふたりともひとの良さそうな感じで、接客業だからか人あたりもよかった。そう、確かによく知った近所のオバサンのような。

 ふたりは田島さんと平塚さんと言った。

「どんなひと連れてくるのか、ドキドキしたわぁ。息子が彼女連れてきたときと同じくらい」

「岩崎さんの言ってた通り、イケメンじゃないの。若いっていいわよねぇ」

 ふたりは店が空いているのをいいことに、言いたいことを言いたいだけ言った。そして珠里も同じように言いたいことを言って、無邪気に笑っていた。


 確かにこの職場なら働きやすいかもしれない。もう、珠里の存在を無視するひとはいない。それどころか以前と同じようにキラキラした珠里を通りすがりに眺めていく男は何人もいた。

「あなたねぇ、三上くん? 岩崎さんみたいにいい子はなかなかいないわよ。わたしたちの娘同然だしね、泣かせたら承知しないわよ。卒業したらさっさとお嫁にもらってやらないと女なんてすぐ、が立っちゃうからね」

「もう! 年齢のこと言わないでよ、気にしてるんだから。篤志、わたし、まだまだ平気。病気してた分、エネルギー消費してないから老化がゆっくりになってるはず」

 岩崎さんてば面白い、とオバサンたちは声を立てて笑った。珠里もその輪に加わって笑った。

「ほら、オバチャンたちと遊んでても面白くないんだから、さっさとデートに行っておいで。話は明日聞くからね」

 はぁい、と甘えた声で珠里は答えた。

 手を振ってエスカレーターに今度は俺を引っ張る。


 珠里の家族のことを考える。珠里は遠慮してそう思っていないようだけど、珠里の本当の家族は引き取ってくれたというおばさんの一家だろう。だとすると、そういう引け目がない分、オバサンたちにはすきなだけ甘えられるのかもしれない。それは珠里にとって大切なことのように思えた。


 結婚か……。


 いつかはするだろうけど、現実的に考えたら目の前にそれはない。当たり前だ、まだ学生だし、おそらく大学を卒業しても大学院の学生だ。そのあと助手になれたとしても薄給だと聞いている。結婚は俺にとって数直線のずいぶん先にあるのかもしれない。

 だけど珠里のことを考えたら、本当の家族になってあげることがいちばんの安定への近道なのかもしれない。「いつでもそばにいるよ」という保証付きの約束だ。

 難しいことをふと考え始めた時、エスカレーターを下りるよう珠里に手を引かれる。


「休憩時間にね、パパっとご飯を食べてたまに来ちゃうの、無印」

 服を見ようと決めた時から珠里の中ではここだったんだな、と思う。そういうわかりやすいところがかわいい。

「ちょっといいなぁと思ったのはね、あのね……あ、良品週間だ。十パーセントオフだよ、どうしよう?」

「欲しかった服も安く買えるってことでしょう」

「……欲しかったっていうか、いいなって思っただけだよ。ほら、女って見て歩くのすきだから」

 顔を赤らめて興奮気味に服を選び始める。今日は『買う日』だってふたりで話し合ってきたんだけど、ちゃんと決まるんだろうか? 迷ってる。それを目で追っている。珠里が着ればなんだって似合うのに。


「あの、これとこれ、試着していい? 見てくれる?」

「いいよ、そのために来たんだし」

「ありがとう! さっさと着てくるから」

 珠里は小さなエネルギーの塊のようになって、素早く試着室に向かった。店員さんに試着をお願いしている。珠里が焦らないようにゆっくりそこに向かう。手にした二着のワンピースはどう違うのか、俺には着て見せてくれないとわからない。

「着られた?」

「もうちょっと。背中のボタンが」

「はめてあげようか?」

「うん」

 カーテンが開くと、珠里は髪を持ち上げて後ろを向いた。白いうなじから背中が目に入る。「篤志」と呼ばれてハッとする。

「ごめん、ごめん」

 ボタンをはめてあげると髪を無造作に垂らして、くるりと前を向いた。


「どうかな?」

「黒?」

「ううん、墨色。ニュアンスがあっていいでしょう? すとんと落ちる素材なのもいいし、上手に重ね着すればフルシーズン着れるかもしれないし、お得かなと思うんだけど……」

 どうかな、と上目遣いで顔をのぞかれる。『すとんと落ちる素材』は体のラインが見えて、見方によってはナチュラルというよりセクシーだった。

「いいんじゃない、キレイ目だね」

「本当に?」

「もう一枚は着なくていいの?」

「向こうは対抗馬だから」


 カーテンはまた閉じて、俺は売り場でほかの服を見繕う。あのワンピース一枚ではこの季節は過ごせないだろう。暖かそうなセーターを見つける。こんなのはどうかな、と思っていると珠里は靴を履きながら戻ってきた。

「あの、あとカットソー買ってもいい? 重ねようと思って」

「二枚くらい買ったら? 珠里は着回すのがすきでしょう?」

「二枚は贅沢じゃないかなぁ」

 結局、カットソーは一枚しか買わなかった。けれど珠里としては欲しかったワンピースが買えてうれしくて仕方がないという顔をしていた。


 気に入るものが買えてよかったね、と背中に隠した袋からラベンダー色のセーターを出す。

「似合う? 派手じゃない?」

「こういうの、ワンピースの上に着てもいいんでしょう? とりあえずあったかそうだし」

「篤志、ありがとう!」

「もうすぐ誕生日でしょう? 早いけどプレゼント」

 その小さな手で、俺の手をぎゅっと握る。下を向いていて表情が見えない。

「顔、見えないよ?」

「ダメ、うれしくて泣いちゃう」

 一緒に迎える誕生日は初めてじゃないのに泣くなよ、と思う。頭を抱える。

「バカだなぁ。誕生日の度に泣くの?」

「誕生日、ずっとお祝いしてくれるの?」

「そりゃ、するでしょう」

 珠里は本当に泣いていた。ひとから見えないようにそっと隠す。

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