第四十三綴 ものけの姫、壊れる

 アヤカがいた浄瑞寺本堂舞台と夜弥がいる本堂内部は目と鼻のさきである。

 アヤカはトリイに化かされていたことにより猜疑の堂々巡りにはめられ、夜弥もまた現在憎しみに捕らわれているために、互いの居場所が把握できなかっただけだ。もっとも夜弥はもはや、アヤカを探すことなど頭にもなかった。


「物の怪の苦痛、すべて、貴様にかえしてやろうぞ……ッ」


 ただただ、憎悪の黒き焔に身をこがしていた。

 戦ううちに着物ははだけ、雪白の肌に奔る赤い裂傷があらわとなっている。ほとばしる血潮が椿をよりいっそう赫々あかあかと染めあげ、やがて漆黒にけがしてゆく。

 満身創痍で鉄扇を振るう夜弥とは違い、陰陽師は柔らかな物腰を崩すことはなかった。


「せっかく可愛いのに、そないに怖い顔せんといてェなァ。ちアゃんと覚えとる、当然や。都人みやこびとを脅かした鬼を封印せしめた安倍清明、ひとびとに仏の教えを説いた恵慈弥勒えじみろくは、ぼくのなかに脈々と生きとるんやから。君の両親りょうおやのことかて、この目でみたよーに知っとるんやで」


 笑みのかたちに縫いつけられた目の縁から夜弥を覗きみる滅紫めっしの瞳は、嗜虐的な快楽にひずんでいる。それでいて声色だけは、憐みを寄せるように穏和だ。


「君の父親が野辺に曝した無残な骸も、君の母親が無様に泣き叫ぶ姿も、みィんな……」

「貴様、父様と母様を愚弄するのかッ!」

「ちゃうちゃう。けど、君の両親を含めた怪と鬼は、もゥちょっと利口やったら良かったのに、とは思うで? 人間と共に廻心えしんしとったら、倭を追いだされはせーへんかったのにねェ」


 わなわなと、夜弥の切れた唇が戦慄く。


「侵略者の軍門に下れと申すのかえ……ッ!?」


「そや、それが倭のため、しいては人のためやろ? 人間は卦体けったいな力を持つ君らを怖がっとった。安倍清明に物の怪や鬼の討伐を頼んだんも人間や。裏工作は否定せーへん、けど僕らが倭に渡る前から物の怪を嫌悪する人間はおった。……物の怪はもう、人間には必要ないんや」

「違うッ」


 憐憫を装った猛毒に理性を侵されて、夜弥が顔をゆがめる。

 わずかでも信念が揺らげば、たやすく泣きだしてしまいそうだった。泣けば楽になるのだろうか。それでも泣くことは許されないから、すべてを憤りに変えて、彼女は目の前の敵にむける。


「暗鬼は聡明な男や。それやったら、ひとつの時代の終焉にも気づいとったんとちゃうやろか? どれだけあがいても、どうにもならへんことを」

「父様を騙り、貴様はなにがいいたいのじゃ……」


 嗚呼、ほんとうは知っている。陰陽師が宣告しようとしている言葉とその意味を知っている。わかっているから、くちにださないでくれとの夜弥の懇願は受けいれられるはずが、なかった。


「君は未来を託されたんやのゥて、ただ単に棄てられたんとちゃうか?」


 なにかが音を立てて、切れた。

 せかいの終焉に音があるのならば、きっと、こんな音だろう。


 陰陽師の一言が、夜弥の千年を壊していく。物の怪の未来を託されたのだと信じて、久遠にも等しい時を生き抜いてきた。

 身を切るような哀絶とて、魂を焼き焦がす憎悪とて、終わりのない孤独とて。

 倭の地を取りもどす為ならば絶えられた。


 しかしながら、夜弥は愚かではない。

 ほんとうはそんなに愚かではない。

 

 故にわかってもいたのだ。


 物の怪に、未来などないということを。


 仏魔に牛耳られ、それを良しとする人間が跋扈する現世にあって倭を取りもどすことは、もはや夢物語に他ならないということを。覆水盆にかえらず、もとに戻らない関係もあるとわかっていた。


 だが、諦めることはできなくて。

 世の無常に、流されたくは、なくて。


「――――黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れぇぇぇぇぇッ」


 否定した。

 

 両手に構えた鉄扇を頭上で交差させ、夜弥は後足で砂をかけるように強く、床を蹴たてる。御堂の床が爆ぜ、木端が舞う。鋭利な木屑の雨中を、夜弥は陰陽師だけを射竦めて疾駆した。


 陰陽師を殺せば、すべてを否定できる気がした。

 あの倭の日々が帰ってくる気がした。


 千年前、どれだけ待っても、帰ってはこなかった二対の下駄。ふたたびに彼女の名を呼ぶことさえなかった暗鬼と椿が、笑いながら、戻ってきてくれる気がした。

 

 縋るような怨憎を閃く鉄扇に乗せる。

 鬼の形相で夜弥は陰陽師の命を奪うためだけに武具を振るった。


 だが、全霊を傾けた攻撃は、思いもよらぬ人物に阻まれる。


「夜弥」


 鉄扇を振りおろそうとしたさきで、誰かが彼女の名前を呼んだ。

 ぴたりと制止し、闇に目を凝らす。浮かびあがったのは陰陽師ではなく、慣れ親しんだ緋色の髪。


「アヤカ……!?」


 にっと口角を持ちあげてたたずむ彼にたいして、驚きとともに怒りが湧く。アヤカの後ろでは陰陽師が嘲笑っている。腕を組み、高みの見物を決めこんでいる。


「うぬよ、何故……ッ」


 邪魔をするのだと激昂しかけて、夜弥は言葉を詰まらせた。

 危うく斬り捨てるところだったが、扇は確かに制止させたのだ。


 それなのに、何故。

 何故、アヤカの腹から鉄が生えているのか。


「っ……」


 アヤカの唇からつうと血が垂れる。

 荒涼とした辺境に取り残された、卒塔婆の群れの如く。数多のやいばが、アヤカに突き刺さっていた。

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