第四十一綴 ものけの姫子に惚れたから

 背中に打たれた符と腹の符が爆発したのだと、アヤカにわかったのは固い床に叩きつけられた後だった。

 爆風と火花で全身がずたずたにひき裂かれ、曼殊沙華の如く鮮血がほとばしる。

 出血からか、痛みからかは判断しきれないが、急速に意識の灯が消えてゆく。真紅のスコールを浴びながら立ちつくす、キサラギの姿がかすむ。それでも、じっとこちらを睥睨していることくらいはわかった。


 ――残された選択肢は二つだけだ。


 ここで野垂れ死ぬか、それとも陰陽師に下るか。


(後者は無理だな。俺……あいつに惚れてるからな)


 命がけで夜弥を護るにいたった理窟などは、考えればいくつもあげられるが、けっきょくのところは、それだけだ。 恋人でなくとも主従にちかくとも……傍にいる理由ならばそれいがいにありえない。


 夜弥を、護りたかった。


 彼女はアヤカが見た、どんな女よりも綺麗だったから。

 彼女はアヤカが知る、どんな女よりも強くてもろかったから。


 彼女の身を護るには、人間風情ではあまりにもちから不足だとわかっていた。

 それでも、この鬼紛いの全身全霊を賭せば、彼女の魂くらいは護れるはずだと、信じていた。過信せずにはいられなかったのだ。


 目蓋が重く、もはや開けていることもできない。

 目蓋の裏に浮かんだのは、ぎゅっと両の腕で自分のからだを抱きしめている、小さな夜弥の姿。


 彼女は泣いている。真っ赤な涙を流して泣いている。


(泣くなよ、泣かないでくれよ……)


 いつか、気が狂いそうなほど、おなじことを願った。

 でも、それは届かなかった。声がでなかったせいだ。手を差し伸べられなかったからだ。

 今度もまた、そうなのか。

 泣きじゃくる夜弥を抱きしめることもできずに果てるのか。


(俺のこの命は、救われたいのちだったはずだ)


 ならば、なんのために救われたのか。


(すくなくとも……こんなところで果てるためじゃねーだろ)


 選択肢はふたつ――だが、ほんとうにそうだろうか?


「……は、ははっ」


 遠退いてゆくキサラギの足音がとまる。

 とまらざるをえなかったのだ。彼の着物のすそを、アヤカが血まみれの手でつかんでいたのだから。


「俺って馬鹿だな、なんでこの俺が与えられた選択肢から選ぶんだつーの。違うだろ……俺はもっと壊れてて、異常で異端で異質で、馬鹿で、馬鹿な生き物だろうが……!」


 呂律がまわったかどうかはわからない。そもそも、うつぶせで刀を投げながら、まともに話せるわけがなかった。

 投げ放たれた刀にたいして、キサラギの反応は素早い。


 着物のすそをつかまれているため、その場から逃れることこそできないが、身体を逸らしてキサラギは刃との接触を避けようとする。アヤカとて、これでしとめられるとはおもっていなかった。

 血の海から跳ね起き、アヤカは宙を舞う刀へと手を伸ばす。全身がバラバラになる図が脳裏に浮かびあがるが、恐怖はない。あいにくと、そんなもの、とうの昔に死んでいるのだ。


 血まみれで突進してくるアヤカの気迫に押され、キサラギの動きが鈍る。

 肉薄した瞬間、キサラギは身を縮めた。あろうことか得物から目を背けたのだ。違和感が実体化した。刀がキサラギへと到達する直前に柄を握り、そのまま右腕を振りおろす。

 刀はキサラギの首を落とす勢いで迫り、


「お前、ラギじゃねーよな?」


 ぴたりと。

 首筋を捉えて、とまった。


 断言に等しい問いを受け、キサラギの顔が苦々しげにゆがむ。立ちこめていた霧が集まり、彼の姿をつつみこんだ。

 次に霧が晴れたとき、そこに立っていたのはキサラギではなかった。


「なんでわかったのよ……。やっぱり、実践慣れしてないのがバレちゃったのかな」


 鳥居トリイがふてくされたようにアヤカを睨みかえしていた。

 頭のなかが真っ白になって、ぐるりと回転。刀を握る手を緩めなかったのはかろうじて残った理性のおかげだった。


 トリイだけは普通の友達でいてくれると。

 根拠もなく。

 信じていたのに。

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