第三十九綴 浄瑞寺にいざ参る

 狛犬がそびえていた。

 浄瑞寺きよみずじに到着して、まずアヤカの視界に飛びこんできたのは仁王門を背に吼える、巨大な狛犬だった。二頭の狛犬は道の両側からこちらを睨んでいるように見える。

 普段なんの感慨もなく眺めていた狛犬に威圧感をおぼえるのは、アヤカの背を遥かに超える大きさゆえか、それとも思考が物の怪寄りになってきた証拠だろうか。

 じっと睨みかえすようにして狛犬を仰視していると、夜弥が制服の袖をひいた。


「ほお、なかなかに勘が鋭くなってきたようじゃな」

「つーと、なに? やっぱ、あれも仏魔かよ?」


 戦闘になるのだろうか。

 できれば、公衆の面前での戦闘は避けたい。命がけで戦っているのに、ひとりで暴れているだけにしか見られないのはさすがに辛いものがあるし、これだけ人が多いと、警察を呼ばれかねない。


「否、あれは巡礼者の見張り程度の役割しか持っておらぬ。『鬼姫が現れた』と内部に連絡はいくやもしれんが、どちらしてもすぐに気取けどられるじゃろう……覚悟は良いな」

「何回、確認したら気が済むんだよ」


 唇をゆがませると、夜弥が満足げに頷く。

 仁王門を睨みつけて石段を登ってゆく。誰もが楽しげに談笑しながら通りすぎてゆくなかで、強い意志を瞳に宿したアヤカと夜弥は、さぞや浮いていたことだろう。華やかな四重の塔を横目にみて、拝観受けつけで一度足をとめる。小銭をかき集め、拝観料を受けつけの女性に渡した。そこからは夜弥に導かれるまま、本堂を経由して阿弥陀堂まで辿りついた。

 御堂内部へと入ろうとしたアヤカを差しとめ、夜弥が御堂の裏側へと引きこむ。

 御堂の裏には、掌大の鳥居が無数にならべられていた。立ちのぼる線香の煙を透かしてみる韓紅は、べっとりとした鮮血を思わせ、実に不気味だ。


「で、どうすんだよ」

「ここから《裏》へと回る」


 人がいなくなったのをみはからい、夜弥が鳥居のなかへと腕を差しいれた。

 鳥居のむこうにみえていた土砂に波紋が拡がった。液晶画面に強く触れた時のように空間がよじれ、異界への通路が開けたのが見て取れる。土砂にぶつかるはずの手は鳥居に呑まれ、うつつから切り離された。


「うむ、ちゃんと繋がっておるようじゃな」

「ちょっとまて、裏ってなんだよ?」


 常識を超えた現象には慣れたが、やはりある程度は頭でも理解しておきたい。


「全ての物質に表裏おもてうらがあるように空間にも裏と表がある……それは分かるな?」

「ってか、言葉通りだろ? なら、分かるよ」

「仏魔は普段、神社仏閣の陰域いんいきに潜んでおる。隠ノ宮もまた、陰域の一種じゃった。もっとも物の怪たちは隠ノ宮が存在していた場所を圣域せいいきと呼んでおったがな」


 つまり、ここからが本陣と言うわけだ。どんな仏魔が待っているのか。アヤカが気を引き締めなおしていると、夜弥が不意にその手を取った。


「これを、うぬに渡す時が来たようじゃな」


 小さな掌でアヤカの手を包み、何かをしっかりと握らせる。


「なんだよ、これ……」


 柔らかな手の感触が強すぎて、それがなんであるか、確認するまでわからなかった。

 それは刀を象った精巧なストラップだった。しかしどれだけ丁寧なつくりをしていても玩具には違いない。これで戦うのは一寸法師くらいのものだろう。しかしながら夜弥はそれを真刀だと言う。


「すぐに分かる。うぬにあつらえむきの名刀じゃとな」


 それだけ言い残し、夜弥は一気に肩まで鳥居内部へ差しいれた。そこからは吸い込まれるようにして、全身が向こう側に消えて行く。

 残されたアヤカの手には刀のストラップがあるのみだ。


「おっ、おい! 俺もここから入ってだいじょうぶなのかよ!?」


 痛みはないようだが、肩から先が侵入する際に夜弥の身体全体が異様な伸びかたをしていた。空間ごと肉体まで捻じれるようだ。

 迷ったが、御堂の裏から修学旅行生らしき喋り声が聞こえ、即座に腹を決めた。

 恐怖心は死んでいるのだ。理性が転換すれば、アヤカの行動を鈍らせるものはなにもない。

 腕をまるごとつっこみ、そこからは吸いこまれるに任せる。


「……やっぱ、こーなんのかよッ」


 案の定、全身がローラーにかけられて、ミンチになりかけているのに、なおもぺらっぺらになるまで伸ばされる感覚を味わうはめとなった。痛みがなく感覚だけなのがなまじおそろしい。

 前後上下もわからない状態で、砂利の上に放りだされる。


「怪の刀を持ってしても、狭間の拒絶に曝されるか……人間とは不便なものじゃのう」


 どうやら夜弥はすぐちかくにいるようだ。

 嘔吐感にもならない胃のむかつきと猛烈な目眩に襲われ、目を開けて立ちあがることすらできない。夜弥の声がやけに艶っぽく感じるのは、五感が乱れているせいだろう。

 返事をする気も起きず蹲っていると、暖かなものが背中に触れた。


「大丈夫かえ?」

「ッ!?」


 びくりと肩を揺らし、過敏な反応を取ってしまう。

 瞼をこじあけると、思ったとおり、夜弥は大人の姿に変異していた。

 膝上までしかなくなった着物からのぞくもっちりとした太股を砂利に投げだし、背中をさすってくれている。もっちりといっても、必要いじょうに肉づきがいいわけではなく、弾力感がある餅肌という意味だ。唇の艶めきもいつもとおなじはずなのに、ひどく官能的に見えてしまう。


「……っ……つーか、これ、こんなにデカかったか?」


 照れ隠しもふくめて、ストラップだったものを持ちあげ、まったく別の話題を持ちかける。


「いつの間にか、本物の刀になってんだけど」


 惑うことなき真刀だ。重量も増し、これのせいで前のめりに倒れた気すらする。

 夜弥はにやりと唇をゆがめ、嘲弄するように顎を持ちあげる。


「だから、言ったじゃろ? うぬにあつらえむきの名刀になるとな」

「つーことは、え? 何? 今回は俺も戦うのかよ?」

「そうならぬように善処するがの。自衛が必要になることもあるじゃろう」


 まじまじと刀に視線を落とす。本物だ。ひとを、斬るためのものだ。夜弥の足手まといにならないためならば、なんでもする覚悟だった。

 無言で頷き、しっかりと柄を握りなおす。


「で、いつの間に開放したんだよ。だいたい呪いが俺のほうにきてねーぞ?」

「陰域に封じられおる怪の影響じゃろう。怪配けはいの強き場所では、顕人あらひとが近くにおれば自然と覚醒できることがある。それと比例して、ここは仏魔の域でもあるからのう、我が身に受けたる呪いも強まる……まあ、長居しなければ、問題ないがの」

「ホントか?」


 夜弥は顔色が悪いようには見えないから、言葉どおり心配はいらないのだろう。しかし、彼女の性格を考慮すれば、無理をしている可能性も……。


まことじゃ。ほれ、それよりまわりをよう見てみい」


 言われてはじめて、周囲の異常に気づいた注意力の散漫さを悔いた。


「ここは……取りあえず、生き物が生きられるせかいじゃなさそうだな」


 御堂の配置などは現実世界といっさい変わらない。それなのに、これほどまでに荒涼としてみえるのは、色彩というものが存在しないせいだろう。白黒テレビの映像を思わせる色褪せた世界に唯一、鳥居の朱色だけが滲んでいる。夜弥の着物と似て非なる、禍々しい呪いめいた色彩だ。生命を圧殺した、アヤカと夜弥以外動くものがないはずの空間で、ふとなにかが視界をよぎった。

 ソレが無数の人影であることをさとった刹那、ぞくりと悪寒が背を駆けた。


「あれは……なんなんだよ」

幽霊ゆうれんじゃ」

「幽霊? って、死んだ人間がなるアレかよ」


 納得できないわけではない。だが、アレはほんとうに、その程度のものなのだろうか。腑に落ちない様子のアヤカを見かねたのか、夜弥が首を横に振り、否定の意を示す。


「あれは願をかなえてもらった代償に、生きながら仏魔に捕らわれたひとの霊魂じゃ。肉体だけは現世で動いていても、魂はああして陰域にとらわれ、ふたたびには戻ることはできぬ」


 御堂のまわりをぐるぐるとまわり続ける魂の行列。目が見えないのか、指で御堂を確かめながらまわり続ける。そのためか、壁に深い爪痕が刻まれているのがここからでも窺えた。


「まさに堂々巡りってわけかよ……」

「惑わぬためには、己のなかに渦巻く迷いを完全に断ちきらねばならぬ」


 夜弥の口調は言い利かすようでありながら、いつものように力強くはなかった。どこか頼りなさげにそういって、夜弥は早くも歩きだしていたアヤカを振りかえる。


「時にアヤカ……」

「ん? なんだよ、早くいかねーといけないじゃねーの?」

「うぬは友が敵になりし時は迷わず戦えるかえ?」


 どくりと、心臓が跳ねた。

 キサラギの顔が脳裏を掠める。 小参次にいわれるのとはわけが違った。答えられずにいた時間はアヤカとしては数秒だったつもりだが、実際はかなりの間、言葉がでなかったらしい。


「すまぬ。おかしなことを訊いたな」


 諦めたふうにして、夜弥が下駄を鳴らす。

 追い抜いてゆく夜弥の後を追いながらも、アヤカは確かな返答をだせずにいた。

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